第0話の弐 どうしようもなく絶望しているあなたへ
周りを見渡す。ただの白が視界を埋め尽くす。
自分の体の所在さえあやふやだ。
そこにあるべきものがない。
その感覚でいっぱいだった。
驚きすぎて、
「なんだよこれ……」
と呟くのが精一杯だった。
これは創作世界ではなく現実だ。
人間驚きすぎるとなにも考えられなくなると初めて知った。
俺はいったいどうなった?変な浮遊感がずっとしているし、命の危機を脳内が全力で告げている気がする。
貧血で倒れた風でもないし、気絶した訳でもなさそうだ。証拠に、手足はしっかりと動かすことができる。
ただただ、自分の存在だけが虚無に支配されているような感覚だった。
非現実的な超常現象を目の前にして、怖さ以外の感情が無くなりかけたその時だった。
『やっほー☆ やぁやぁ。来てくれたみたいだね』
呑気な女性の声がしたと思ったら、急に目の前に『ナニか』が現れた。
それがナニかは分からない。
人間ではないことだけは確かだ。
大きさは自分と同じくらい。でもそれ以外はなにも分からない。
目の前にいるのに、ナニかもわからない恐怖。
だが、少なくとも言葉を話しているのは分かった。
頭の中に響いてくるような声だが、発声器官がどうなってるのかとかはこの際無視することにしよう
「なにが、どうなったんだ……」
警戒心をMAXにして、目の前の存在に問いかける。
『あれぇおかしいな。キミは、どうしようもない人生をどうにかするためにここに来たんだろう?』
不思議そうにナニかはそう言った。
俺の人生がどうしようもない。とその存在が言ったことも理解する。
なんだそれは。確かに、自分ではどうしようもない人生だと嘲笑することはあるが、自分のことを全くしらない第三者にそこまで言われる筋合いはない。
訳の分からない状況で、罵倒のようなことを言われたので何か言ってやろうと思った。
『あぁごめんごめん。気に障ったなら謝るよ。訳が分からないままあんなこと言われたら、怒る以外の選択肢はないもんね』
殊勝に謝ってきやがった。
なんなんだコイツ。
いい加減にしてくれ。なんだこの状況。まさか、この年で異世界転生でもさせる気か?
「いや、謝ってくれるのはいいんだが、今のこの状況はなんなんだ? 俺はどうなったんだ?」
『え? キミ、イセカップルのアプリをダウンロードして登録したでしょ』
「あのマッチングアプリだろ?それがどうしてこんなことになってる?」
『どうしてってそりゃ……察しの悪い男だなぁ。マッチングさせるために決まってるじゃないか』
ますます意味が分からない。ここまで中身のない会話をするつもりはなかったんだが、何の情報も手に入らないのは初めてだ。
「マッチング……いや、アプリはダウンロードしたし、いまから始めてみようかと思ってたけど」
『じゃあ、分かってるじゃないか。『キミ』はどうしようもないその人生を変えるために、なけなしの勇気をふり絞ってうさんくさいアプリをダウンロードして、訳の分からないまま表示される女の子にメッセージを送って、俺、今日は行動したぜ、と満足するつもりだったんだろう? それで、返事がこないことに傷ついて、もう辞めるわってなるんでしょ?』
「いや言い方!!確かにそうなるかもしれないけど、言い方ってものがあるだろう! あとお前誰なんださっさと自己紹介してくれないか!?」
『ボクのことなんかどうでもいいじゃないか。ハッキリ言うけど、君はほんとーにどうしようもない男だよ。……でも、行動するその勇気があったことだけは、イイと思う』
「いきなり貶されたと想ったらほめられたぞ。何て反応していいかわからんけど、ありがとう」
気分はもうヤケクソだ。
目の前の超常存在?は一体何を考えているのか。
『まぁ君はなんの目標もなくマッチングアプリやって悪いヤツに騙されて、この世を儚んで自殺する運命だったけどね』
「……は?」
『というわけで、現代でなにも為せなかった君は、『とっても可哀そうだから』、漫画や小説なんかにあった、憧れてた剣と魔法のファンタジー異世界に行って、チートでハーレムでも作って満足して死んで欲しいなって』
「おいまて。なにも、わからない。これ夢なんだろ?」
『夢じゃないよ』
「俺が、死んだ? よりによって自殺?? でも俺死んだ記憶なんてないぞ」
『そりゃ当たり前さ。人間が死んだときの記憶なんて持ってたら気が狂っちゃうよ。君の今持ってる記憶は、絶望してた最中、少しの勇気を持てた時間軸までしか残ってないからね。その後のキミの悲しい人生はかけらも覚えてないよ』
「……マジか」
『大マジさ。まーめんどくさい解釈だと思うけど、『本来なら』そうなってたって話でもあるかな。あたまヨワヨワな君には絶対理解できないだろうから割愛するけど』
「お前の説明下手を人のせいにするな!! ……あー、まてまて、チートでハーレム作れんの?」
『うわぁ反応遅い上に俗物過ぎるでしょキミ。さすが(ピー)才の平成ひと桁生まれだね。最低だわ』
「お前いま、平成一桁生まれ全員を敵に回したからな。ぶち殺すぞ」
『はは、現金な男は嫌いじゃないけど、脅されるのは嫌いかなぁ。……さて、質問に応えるけど、チートでハーレム作れるよ。結局男ってそういうの好きなんでしょ?』
「そりゃハーレム嫌いじゃない奴は男の本能的にレアだと思うけど……。なんでそんなに嫌そうな言い方すんの?」
『そりゃ嫌さ。いくらボクだって上司に言われたからって、頑張って生きた人間をそんな安易な場所に放り込んで満足させるなんてこと、させたくないさ』
「安易に満足。俺はイイと思うけどな。ていうかアンタ、上司いたのか」
チートでハーレムなんて、まさに夢のようじゃないか。
『キミさ。考えてみろって。一回しかない「その場限り」の人生を「運命」っていうどうしようもないものに台無しにされて、親から受け継いだ遺伝子をこの世に残さないまま、異世界にいって、物的証拠のなんて微塵もない自分の『魂』とやらが入ることによって作り変えられた『赤の他人』の体に入れられて、イケメンで、理想の体で、強さで、人生上手くいく保証のされた……
言ってしまえば『他人の人生』を体験して、本当に満足できるの?
本当にそれはキミがやったことなの?
その生きた軌跡は本当に君のものだと言えるの?』
その問いかけに、俺は、なにも応えられなかった。
でも――。 ひとつだけ分かる。
ここで『他人の人生を生きる』ということに頷くことだけは、俺の、俺自身という魂が許さなかった。
『そうじゃあ、ないよなぁ?』
目の前の存在が、俺に問いかけている。
このまま安易に『他人の人生』を歩ませて満足させるのか。
それとも別の『道』を示そうとしているのか。
俺は――
「俺は、それは、嫌だっ。俺が本当に求めているのは、今生きている世界で、親に恩返しして、愛する人を作って、子供も作って、暖かい家庭をつくって、趣味の合う友人もたくさん作って、幸せな人生だったと呟きながら、大往生することが俺の救いだったんだ!!」
言ってやった。真正面から。
俺、泣いてたかもしれない。けれど――悔いはない。
ファンタジー異世界?
若かったら確かに飛びついていた。だが俺はおっさんだ。
『ふむ……いいだろう。合格だ』




