裏切りだ、怒れよ
「落ち着け、今は回復が先決だろう」
「分かっている。だからこうして大人しく座ってるんだろうが」
オードランは椅子に座って苛立たしげに足を小刻みに動かすアリューを諌めた。
彼らは王国中央に位置するフェルナン候の領地にある館の一室、客人を招く貴賓室にいた。その場所には二人だけではなくアミルカーレと、彼が率いてきた軍の指揮官に当たる男もいる。
少年は不安げな様子でおろおろしており、対して指揮官の男は我関せずとばかりにのんびりと椅子に身体をうずめていた。
「僕たち大丈夫でしょうか? このままバッサリとか……」
「そりゃあねえさ。もう候の宣言は近隣の王権派、貴族派のどちらの勢力にも知れ渡らせた。ここで俺たちの首をバッサリなんてことは、それこそ自分の首を切り落とすと事と同じだ」
こうして領地に連行されるまでの間、彼らは候の宣言を候自身に公文書化させ、それを各地の勢力に通達している。
こんな状態ではいくらなんでも事態の揉み消しは不可能だ。
「でも白竜殿から僕たち引き剥がされてますし。絶対何かあります」
「だからこそこちらの騎士を、白竜殿の部屋の前に護衛として派遣している。それに彼女の生命の保障も候は誓約に含めているんだ。危害を加えることなんてできない。……それ以外の方法、言うもおぞましいが……いやそれを考慮する必要もない。候にとっては害にしかならない」
オードランが途中で口をつぐんだ方法。意識が無い白竜を辱める様な内容を彼は数瞬心配したが、すぐにそれはないと心の中で断じる。
それをしたところで白竜の名誉と純潔を汚すだけであり、男が意識のない女性を辱めるなど、いくら高位の者とて外聞が悪すぎてできるものではない。
「勿論お前の言った通り奴さんは怪しい。灰色じゃなく完全な黒だ。助ける理由として『王国には竜の力が必要、例え貴族派であろうと此度は王国のため助力いたす』なんて言っているが、あそこまで嘘くさいとむしろ感動さえ覚えるね」
だがな、と彼は言葉を切り、少年と義弟に言い聞かせる。
「あそこで候の手を取らなきゃ確実に死んでいた。乗らなきゃならない状況だったんだ。で、こうして相手の術中に嵌ったのなら、後俺達ができることは最大限に警戒して、尚且つ何時でも反撃できるように魔力と体力を回復させることだ。焦ることじゃあない」
「分かりました」
「……」
暗く沈鬱な雰囲気で二人が了承する中、オードランは「よし!」と手を叩いて空気を一変させようとする。
話題転換とばかりに意地悪い笑みを浮かべ、アミルカーレに疑問を問い詰めた。
「話題の転換といこう! 戦場じゃあ聞けなかったが、お前、領主を継いだとか言ってたな。勘当されたんじゃあなかったのか」
「あ、それなんですけど……」
少年は言いづらそうに身体をもじもじとする。
「お二人が白竜殿を助けようと決意したとき、僕すごく感動したんです。ああ、凄い格好良いなって。でその時僕は白竜殿の従者だったじゃないかと思い出したんです。それで他の人が白竜殿を助けに行こうと言うのに僕だけ何もしないとは何事だ! と思いまして。とにかく何かしなきゃと思ったんです。それで砦から飛び出しました。でも非力な僕一人じゃ何もできないしどうすれば、と飛び出してから頭がグルグルになって、その……」
どうにも要領を得ない話を延々と続ける少年に、横からつまりとばかりに声が割って入った。
先程から高級な椅子の座り心地を楽しんでいた男のものだ。
「いきなり勘当の事実をすっかり忘れた坊ちゃんが、前の領主様の館においでなされましてな。前領主様が突然の事態に呆然としていますと、坊ちゃんが『決闘だ! 勝ったら家督を譲ってください!』とそのまま
殴り倒しました。後は馬乗りになりボコボコにして、なんやかんやで家督をお継ぎになられました」
「何だそのなんやかんやとは……」
「その辺は色々と。まあ私達が途中から担いだってのもあります」
「よくこんなもん上に担ごうとしたな」
こんなもんと言われたアミルカーレは、泣きそうな表情をする。
男はそんな主をにんまりと見てから彼に返事を返した。
「賢しいだけの人物より、良い馬鹿の方が好きですから」
役目は終えたとばかりにまた椅子の背もたれに身を預け、男はその感触の良さに夢うつつとなり始めた。
アミルカーレはがっくりと肩を落とし、オードランはそれを笑いながらも少年を慰める。
先程までとは違い随分と場が解れた。自然と二人は笑い合った。
しかしアリューだけは笑わなかった。無表情に竜殺しを手元に寄せ、じっとそれを見つめていた。
どうしたと、周りが問う前に青年は椅子から立ち上がる。
「すまない。席を立つ」
突然の行動に二人は驚く。
「おい」
オードランはもう一度言い聞かせようとしたが、
「すまない」
青年の何時にもなく真剣な眼つきに黙った。止めてはならない。理屈抜きで彼はそう確信する。
はあ、と深く息を吐く。手でとっとと行けと合図し、青年は軽く頭を下げて退出した。
退出し扉が閉まる音がすると、オードランは深々と椅子に体重を掛けた。
「暗雲は晴らせども、未だその先は分からずか。神よ、あの馬鹿な二人に最大限の御慈悲を」
呟き、近くに置いてある竜殺しに手を伸ばしその感触を確かめる。
どうかこれを抜くような事態にならないことを祈りながら。
アリューは部屋を後にする。
ひっそりと候の手の者が後ろから着いてきているが、彼は意に介さなかった。
腹を圧迫される不安。今すぐに何かしなければという焦燥。そうしたものが彼の心の内を支配していた。
それは彼が先程の部屋で気を落ちつけるために、何となく自身の剣を見たときに始まり、手繰り寄せ手にすると一層強くなっていた。
彼はなんら信憑性も証拠もないが、竜殺しが彼に何かを伝えようとしているのだと考えた。
まずい、まずい。急げ、急げ。間に合わなくば後悔する。
そうした感情が彼の脳裏に響く。
だから彼は足を向ける。失えば後悔する相手の元へと。
憎しみと後ろめたさと、負の感情で塗れようとなお好いていると断言できる竜の元へと。
「止まれ」
貴賓室の一室、白竜を泊めている部屋の前で直立する騎士二名が、近づいてくる従者の姿をした数名を呼び止めた。
騎士達はアミルカーレの貴族軍に所属する者達である。
彼らの任務は白竜の護衛であり、当然ながら接近してくる候の手の者を扉の前で留める。
鋭い眼つきで従者たちに詰問した。
「貴様は何者で、ここに何の用で来た。例えここの主人の指示であろうと用も無く立ち入ることはできない」
騎士が誰何すると男たちの中から一人が前に出ると、右腕をすっと上げローブの隙間から何かを見せつける。
男の腕には灰色の鈍い色を放つ腕輪が嵌められていた。
腕輪が放つ奇妙な光は騎士達の眼に入ると、彼らの眼から精彩さを奪った。焦点が合わず表情が僅かに弛緩する。
それを見届けた男は満足そうに二人に返答した。
「簡単だ。私はフェルナン候であり、『例の用』でここに来た」
「……そうか、フェルナン候で、例の……、用か」
「そうだ。そしてお前達も疲れたであろう。ここは私達が受け持つゆえ、少し席を外して身を休めるがよい」
「そうだな……任せて…休んでも、問題、ないな」
扉を守っていたはずの騎士達はそのままふらふらとした足取りで、その場から離れていった。
彼らが廊下の角を曲がり姿が見えなくなった所で、男は平坦ながらも興奮の色を滲ませながら声を上げる。
「研究の副産物か。中々に便利ではないか」
「多少の意識誘導しかできず、その間の記憶を奪うこともできないので取り扱いはそれ程良くはありませぬ。まだ改良の必要がありましょう。まあ、此度の様に半刻程の時間を稼ぐ位であれば打ってつけでありますが」
「謙遜するな。誇るがよい」
「は。それでは我らはこのまま準備を」
いつの間にか彼らの周りには数十の人が集まっていた。黒のローブで身を包んだ一団はフェルナンが抱える研究者達だ。無遠慮に扉を開け放つとどんどんと中に入り込んでいく。
部屋の中は質素ながらも質の良い家具が取り揃えられていた。
部屋の奥に据えられているベットの中。そこに彼らが欲していたものがいた。
一見そこらに居る取るに足らない村娘の風貌だが、彼女こそが今王国を取り巻く動乱の中心。
人間を超越した全ての生物の頂点に立つ存在。白竜が静かにベットに横たえられていた。
研究者達の一人が部屋に敷かれていた敷物を取り外す。するとそこには一つの紋様が描かれていた。
形は完全な真円であり、その中には腰を下ろし床を凝視せねば分からないほどの記号が書き込まれている。
王国が使う設置型の術式であった。
しかしそれは明らかに他の標準的なものとは違った。
本来簡素かつ効率を心がけるはずの設置術式は、式と式が複雑に絡み合い傍目には何を意味するかまるで理解できない。
普通の術者であれば失敗作と呼んだことだろう。しかしこれこそがフェルナンの望んでいたものだ。
人間の手が届かない遥か高みを往く超越者を地に落とすため。
片田舎の貧乏貴族の血を引く者が不遜にも至高の座を得るため。
餓欲に苛まれる一人の者が、自身の半生と灰色の蜥蜴どもの血で作り上げた妄執の結晶の形がそれなのだ。
フェルナンは昂揚で震える右腕で服にしまわれたあるものを取り出す。
それは何の飾り気もない首に付けるサークル、いや首輪であった。
彼の表情が初めて変わる。うっとりとした、子供が初めて親に玩具を与えられたような、混じりけのない喜色であった。
彼がそうしている間にも研究者達は準備を進めていく。
魔力を通し循環させることで術式を立ち上げる。大規模かつ複雑な処理だからだろう、淡い魔力光が部屋を包み込んだ。
がたいの大きな者達は二、三人でベットを持ち上げそのまま白竜を術式の中心へ持っていく。
そして何らかの金属でできているだろう拘束具で白竜を繋ぎ止め、地面に描いた術式外の床から伸びている鎖を拘束具に繋ぐ。
準備の全てが終わったのであろう。
男たちは術式を囲む位置に移動し落ち着く。先程フェルナンと会話した男が厳かな声で彼に告げた。
「全ての準備が整いました」
フェルナンの顔がまた変わる。
童のような純真さに男が持つ餓欲の狂気が混じりだす。口が限界まで吊り上がり、眼から理性がかき消される。
「始めよう」
だと言うのに男が発した声は平坦であった。
不審者というのは普段それ程会わない存在だからこそ不審者と言うのである。
であるならばだ。普段気狂いアリューに付きまとわれ、夢の中で母と前妻と名乗る女のハイブリット生命体と唾液交換させられ。
そして今まさに起きてみればどこかの邪教団張りの黒ローブにベットに拘束されながら囲まれ、人間としてしちゃいけないような表情をしている初老の爺さんににじり寄られている現状はどうしたものだろう。
実はこの世界では人間という者は全員こんな奴らばっかりなのだろうか。
本当はこの世界の常識こそが彼らで、俺こそが彼らにとっての不審者なのでは。
深淵を覗く者はまた深淵に覗かれていることを心がけるべし。ミイラ取りがミイラ。因果応報。
良く分からない単語が脳内を一瞬巡った後、はっと気付き体内で魔力を籠める。
どうなってるのか知らんが、このまま寝てては絶対やばい。生命の危機と生理的嫌悪感が警鐘を鳴らしっぱなした。
拘束具など引きちぎり、早くこの不審者共を薙ぎ倒さなくてはならない。
「んぅっ!」
しかしどうしたことか。鋼鉄など綿の様に引きちぎる竜の力でも拘束具がビクともしない。
危機意識が一段階上がる。
「眼が覚めたのか」
そしていけない薬物をきめたかのようなトリッパー老人に気付かれる。
「やはり安全策は講じるものだ。術式に使われている式を応用して編み込んだ鎖がなければ、貴殿は今頃我らの首を撥ねているところだな」
表情が彼方の世界に飛び立っている癖に、声音だけがやたら冷静で思わず背中から冷や汗が出る。
なんでこうも世界は俺に厳しいのか。もう少し敵にしても常識人を送り込んではくれないのか。
だが嘆いてばかりはいられない。本格的に状況が危ない。
幾ら力を籠めようが、いや籠めているはずなのに何処かにそれが逃げていく。もしや繋がれている鎖がマナのアース代わりにでもなっているのか。
どんなに頑張っても千切れない。こうなれば目の前の人物に交渉するしかない。
できるとは思えないが、できなければ死ぬかそれに近い何かになりそうだ。
務めて冷静に、そして怒気を籠めて老人を脅す。脅せば案外怯んで外させることができるかもしれない。
「貴方は……誰です」
「一度玉座の間でお会いしましたが、改めて名乗らせて頂きましょう。フェルナン候。しがない王国の貴族をやっております。フェルナンとでもお呼び下さい」
何の意味もなかった。
泣きそうになりながらも外面用の声と表情をしながら打開策を探していく。
まずは一番聞きたいことを聞いていく。
「王国の貴族が何故私を拘束するのです。私を殺しでもするのか?」
「滅相もありません。国旗に誓って、ああ意味は分かりませぬか。私の命と全ての権利に誓って貴殿には傷一つも負わせないことを誓っておりますゆえ。その身一寸たりとも欠けることはありませぬ」
一応の安心。命の心配は遠ざかった。後少なくとも拷問とか実験系も考えなくても良さそうだ。
「では何だ? 私がお前達同族の姿をしているから色欲でも湧いたか」
「そのような無礼を働く気もございませぬ」
ただ、と老人は右手に持っていたもの、首輪らしきものを俺に見せつける。
「ただ貴殿に似合うと思ったネックレスを送らせて頂きたく存じまして。これを嵌めさせて頂きましたら直ぐに解放いたします」
絶対それやばい奴だろ爺。
絶対あれだ、洗脳系だ。こいつは俺を操り人形にしようとしている。一気に血が頭から下がる。
何で今更そんな便利品が出てくるんだ。王都にもそんなものはなかったし、砦の書物にもそんなもののってなかっただろうっ。
「竜に首輪などいらぬ。貴様の犬にでも付けてやればよかろう」
「ならばなおのこと。私、一度竜というものを飼ってみたいと思っておりまして」
もう思惑を隠すことなく老人は俺に笑いかけた。
どうする、どうするっ、どうする!
脅しは何の効果もなし。ではいきなり方向転換して絶対服従宣言? 服従するならこれ付けても良いよねで終わりだ。
ショート寸前の思考回路をひたすら回していく。今まで何だかんだで上手くやってきたのだ。
今度だって大丈夫だ。何か、何か、何か何か!
黙った俺に老人が少しずつ近づいてくる。危機が少しずつ近寄ってくる。
だというのに俺の頭には何の答えも思い浮かばなかった。
しかし、少しだけ、そうほんの僅かな蜘蛛の糸のような文字通りの糸口を見出した。無意識に、捲し立てるように言葉が口から洩れる。
「オードランはっ……アリューはどうした……」
そう何だかんだで王国に着いてから腐れ縁の二人に俺は突破口を求めた。
「おや?」
老人の歩みが止まる。
「彼らは私と死線を共にした、戦友なのだっ……。二人が私を見捨ててお前に引き渡すはずがない。貴様がっ、貴様がどれ程の企みを立てようが、二人は必ずやそれを粉砕するぞ」
多少声が上擦りながらもきっと睨みつけた。
自分の武力で脅せないのならば他人のものを拝借してでも脅しつける。
あの二人ならどんな地位の人間だろうが、考えなしにその力を発揮してくれるだろう。今はもう彼らのクレイジーさに賭けるしかない。
唾を呑みこみ相手の動向を覗う。どうか引いて欲しいと心の中で必死に願う。
だがだ。
やはり現実は俺に優しくない。
暫し黙り込んだ後、老人はその笑みを一層に深めながら嗤いかけてきた。
「そうですな。御友人のこともしっかりと報告をせねば失礼にあたりますな」
声が俺の耳に入ってくる。
「彼らは二人は果敢に貴方を救出し王国に連れて帰った後、しっかりと私に貴方を託されていきました」
「……は?」
「私がお頼み申したら彼らは快く受け入れてくださいました。今は貴賓室で寛いでいます。後ほど会ってみるのもよろしいですな」
「うそ、だ……」
言葉を理解できなかった。ショート仕掛けた思考は完全に止まった。
周りの男たちの一人が老人に近づき何かを耳打ちする。そして老人は鷹揚に頷いて俺の横に立った。
彼は口を俺の耳元に寄せると、そっと囁いた。声は完全に嗤っていた。
「嘘だっ!」
「つまりは裏切られたのです」
カシャンという音と共に首に首輪がついた。
あのクソ野郎共! 後で絶対ころっ……
口汚く罵る前に何かが俺の中に入ってきた。




