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いや、拳銃なのか何なのか。とにかく謎の装置を向けられ、思わず両手を挙げる私と羽場。
「ちょ、ちょっと待ってよチクリン! 何それ!」
「私ら、敵じゃないですって! 落ち着いて!」
私と羽場が、一斉に云う。それでも彼は私たちに装置を向けたまま、こちらを凝視した。
「誰に、云われて来た」
枯れた声で云うチクリン。混乱して何事かを叫びまくってる羽場を制して、私が答えた。
「誰でも。私たち、竹林さん、何か知ってるんじゃないかと思って」
「何か?」
「その咳とか。体調、物凄い悪くありません?」
額に浮かんだ汗、酷く疲れた様子。彼は、私と同じような症状に陥っているに違いない。きっとドクターが持っていたリストは、あの謎の病気の罹患者リストなのだ。
そう考えて云った私に、彼は息を飲み、額の汗を拭ってから、大声で叫んだ。
「オレは、医療室なんか、行かないぞ! 何をされるか、わかったもんじゃない!」医療室、と、私と羽場が呟く間に、彼は銀色の装置を揺らしながら、僅かに私たちに歩み寄った。「ほら、そこをどけ! 殺されたいのか!」
「殺されたいワケ、ないじゃん!」
急に私を盾にして、隠れる羽場。そして後ずさろうとする私を押してくる。
「ちょ、止めてくださいよ羽場さん!」
「チクリン、キミは何か、勘違いしてるよ! ボクらは味方だって!」
「味方?」と、嘲るような笑みを浮かべるチクリン。「フン、オマエ等が幹部連中に何か云われて来たのは、わかってんだ。いいか、連中に云っておけ! もし、オレに指一本でも触れたら」
不意に羽場が、パチンと手を叩いた。
「あっ! 待って! これからオマエは、こう云う。〈もしオレが死んだら、情報が全世界にばらまかれるように仕組んでる〉」口ごもるチクリンに、彼は続けた。「でもさ、それって良く考えてみなよ。ここは地球じゃない、隔絶された月面なんだよ? 通信なんて、全部監視されるに決まってんじゃん」
「フン、オレを誰だと思ってる。通信士だぞ? もうファイルは既に地球に送信済みだ。そしてオレがあるサイトに一定期間接続しなければ、それが全世界に公開される」
「へぇ、それって頭いいや。公開には何を使うの? ユーチューブ?」
「いや、ニコニコ動画だ」
「それは悪手じゃないかなぁ。あそこ、アカウントないと見れないじゃん。何でユーチューブにしないの? あっちのがファイルサイズ制限緩いし、全世界からアクセスあるし」
「どっちでもいいでしょ!」私は二人の会話に割り込み、云った。「あの、そのデータなんですけど。私たちに、見せてもらえません?」
この提案は、完全に想定外だったらしい。チクリンは困惑したように硬直し、息を詰まらせ、そして何度か咳込んでから、私に目を向けた。
「何故だ」
「何故って。中身、知りたいから」
「そうそう」と、羽場。「云っただろう、ボクらは敵じゃないって。もしボクらが黒幕なんだったら、そんなの見る必要ない。違う?」
理解しがたい、というように、首を傾げるチクリン。
「ホントにオマエ等、運営とは無関係なのか? オマエら、良く隊長や佐治と話してるだろう」
「そうだけどさ、事、この件に関しては別。どっちかっていうと、ボクらも見張られてるんだ」それでも警戒の手を緩めないチクリンに、羽場はようやく私の陰から身を現した。「信じられないなら、別にいいよ。だったらチクリンが地球に送ったっていうファイル、見せてくれるだけでいい。それに、チクリンに何があったか、全部記録されてるんでしょ?」
「うんうん、それだけでいいです」と、私。「元々公開するつもりだったんでしょう? なら先に私たちに見せてくれても、いいじゃないですか。敵相手の切り札には変わりないですし」
「そうそう。あとでメールで送ってよ。そしたらボクらも、チクリンがここに隠れてるってこと、黙ってる」
チクリンは何度かこみ上げてくる咳を飲み込み、苦しそうにしながら、私たちの提案を考えている様子だった。そして少しすると、彼は鋭い瞳を苦悶に歪ませつつ、云った。
「いや、それは」と、例の装置を握る手で、汗に濡れた髪を掻き上げつつ、繰り返した。「それは」
「それは?」
そろって尋ねた私たちに、彼は大きく息を吐きながら云った。
「いや、ちょっと、考えさせてくれ」
「何で? 何を?」
と、私。そして僅かな沈黙の後、彼は何だか、怖ず怖ずと云った。
「いや、だって、ほら、オレ死んだら公開するって感じで撮ったのだから。恥ずかしいし」
「はぁ?」
激しく問い返した私を、羽場が前に出て遮った。
「何云ってるのさ! チクリン、超イケメンだし声も格好いいじゃん!」
「いや、オレ、前に自分の声、録音して聞いたことあるけど。すんげーキモかったし。通信士なんて、なるんじゃなかったって」
「んなことないって! ほら、何だっけ。あの昔の声優。ガンダムの敵役の」
「池田秀一?」
「いや、それシャアでしょ。じゃなくてほら、壷がどうのって」
「塩沢さん? まぁ、それでもいいけど、あんな声、してる?」
「うん、マジマジ。超似てる」
「いやでも、オレ全然顔も洗ってなかったし、今考えると超訳わかんないこと云ってたかもだし」
何かグチグチと面倒くさいことを言い始めた。どうしてこう、この件には変人ばかり関わってくるのだろう。羽場は一生懸命それをフォローしていたが、私は段々イライラしてきて、遂に言い放ってしまった。
「羽場さん、もう面倒くさいし、この人殺しちゃいましょう。そしたら公開されるんでしょ?」
「何てこと云うのゴッシーは!」
慌てて叫んだ羽場。チクリンも何か面倒くさくなった様子で、例の装置を投げ出しつつ云った。
「わかった、わかった。オマエらは敵じゃないって云うんだな? じゃあ証拠は? オレに何の用が?」
ようやっと、本題に入れそうだ。
私たちは基地の奥地、普段は誰も来ない最下層で床に座り込み、とりあえずこちらの事情から説明していく。チクリンはそれを、何度か咳を飲み込みながら聞いていたが、事私が同じような症状に陥っていた所に話が進むと、彼は壁から背を離して私の顔を覗き込んだ。
「オマエも?」
「えぇ。きっとその病気、米軍が何かやってる実験に関係あるんですよ。冥王星人の体液に含まれてるウィルスとか、何か、そんなの。それで米軍も津田ドクターも、事を公に出来なくて。こっそり治そうとしてるんですよ!」
ふむ、と唸って、腕を組み、ケホケホと咳込みながら考え込むチクリン。私はもっと激しい反応があると思っていただけに、彼の冷静さが不思議でならなかった。
「そんなの、許せると思います? 冥王星人のウィルスなんて、これからどんな影響があるかもわからないのに。勝手に変な注射するだなんて!」
「それは、まぁ、な」
軽く云うチクリン。私は彼の反応に納得がいかず、身を乗り出していた。
「竹林さん、なんでそんな落ち着いてるんですか! 竹林さんも、アームストロングに行った時に、変な部屋に入ったりしたんじゃないですか?」
ふむ、と再び考え込むチクリン。私がじりじりとして反応を待っていると、遂に彼は、酷く不思議そうな表情で顔を上げた。
「いや。オレ、アームストロングとか行ったことないし」
「え?」揃って問い返す、私と羽場。そして私が問いを重ねた。「じゃあ、いつから、その咳を? 何をそんな怖がっていたんです?」
再びの沈黙。そして彼は考えを纏めるように何度か身体をゆすると、小首を傾げつつ、云った。
「いや。何か違うな、って。オレ、確かにヤバいと思ってたけど、オマエらのとは、ちょっと違うわ。オマエ、何か幻覚でも見たんじゃねぇのか?」
「いやいや、幻覚とかと違いますって! チクリンさん、何が違うんです?」
「いや、まぁ。それは、こんなワケなんだ」
彼は疲れたように壁を背にし、ケホケホと咳込みながら、思い出すように語り始める。その内容はまさに、奇想天外としか云いようがなかった。
彼は通信士というのもあって、基地の外部の様子を良く眺める。定点カメラだけではなく、司令室の窓から双眼鏡で眺めたり、場合によっては地下道を通って監視塔に向かい、そこから状況を確認する事もある。
彼が異常な体験をしたのは、その監視塔に向かった時の事だった。
「普段から、アームストロング基地の方向からは。変な光とか見えたりするもんで。注意して見てるんだけどよ。その時ばかりは様子が違った。物凄い光が、漂うように浮かんでいたんだ」
監視塔は、基地が存在するクレーターの外輪山に作られている。チクリンは光の正体を探ろうと双眼鏡を覗き込んだが、まるで霧の中に浮かぶ光源のように、はっきりとしない。
彼はすぐに基地に通報しようと、通信用の受話器を取った。しかしそこからはノイズが響くばかりで、まるで用を為さない。
くそっ、と彼は吐き捨て、再び双眼鏡を覗き込む。
その時、彼を更に慌てさせる事態が起きていた。光源のすぐ近くに、かぐや基地のLRVが走っていたのだ。しかしLRVは光源に気づく様子もなく、まるでのんびり走っている。チクリンは再び通信を試みたが、ノイズは更に酷くなる一方。
そして彼が見守る中、不意に動力を失ったように、LRVはライトを消し、動きを止めた。続いて光源はLRVの前に回り込むと、スポットライトのような光を地上に発する。
それが消えたときに残っていたのは、二つの銀色の人影だった。
「グレイだよ。あれは、グレイだ」
云ったチクリンに、私は息を飲み、尋ねた。
「あの、目がおっきくて、手足の長い?」
「そう、アレだ」
そこでふと、私は酷く不思議に思った。私がLv10で見たものは、確かにグレイっぽい姿だった。しかし阿部が云う冥王星人は、しっぽがあって、茶色くて、と。まるで姿が違う。
だがその謎も、続くチクリンの話を聞いて、氷解した。
月面に降り立った、二体のグレイ。それは停車しているLRVに歩み寄って行ったが、その時チクリンは、彼らの上空に、更に別の光が現れているのに気がついた。
眩くはあるが、少し茶色がかった光。そしてそちらからも月面に向けてスポットライトが投げかけられたかと思うと、茶色い外皮、細い尾を持ったヒト型の異星人が現れた。
別の、異星人。
その登場に、グレイは酷く困惑している様子だった。まるで彼らとLRVの間を塞ぐようにして現れた有尾異星人は、グレイを威嚇するように雄叫びを上げる。
「いや、そりゃ真空だから聞こえないよ? でも、そんな風にしたんだよ!」
顔を見合わせ、何か相談するように顔を寄せるグレイ。そして間もなく彼らは、元の光に吸い込まれ、姿を消した。
満足そうに、怒らせていた肩を落とす有尾異星人。
そして、ふと、彼は黒々とした瞳を、数キロは離れているだろうチクリンに、まっすぐ向けた。
はっ、と息を飲むチクリン。その脳内には、深い、深い、声が響いていた。
『我は冥王星より来たり、ガジュルメット。お主には全てを伝える、使徒たる使命を与えん』
そして気がつくと、ガジュルメットは、チクリンの隣に立っていた。
二メートル近い巨体に見下ろされ、完全に頭が混乱するチクリン。その彼に、ガジュルメットは云った。
『我が敵、そしてお主等の本当の敵は、ネズミーである。その真実を知らせるため、お主を冥王星に案内する』
チクリンは、ただただ、震えながら頷くしかなかった。らしい。
そして冥王星への長い旅路。襲い来る火星人やエウロパ人を撃退し、様々な怪奇現象に見舞われながらも、なんとか冥王星に辿り着いたガジュルメットとチクリン。
そこには巨大な地下都市があり、地球など及びもつかない巨大な文明が繁栄していた。幾種族もの異星人が交流し、様々な文化や哲学が育まれ、チクリンは新たな世界を目の当たりにした。
そこで見た物を、まるで私たちなど目に入らない様子で熱弁するチクリン。異星人とのラブロマンス、アルファ・ケンタウリへの旅、神と呼ばれる生命体との出会い、などなど。まだまだ、続く。
それを、ただただ口を開け放って聞いていた私は、ふと腹の虫が鳴いて、我に返った。
これは、色々な意味で、不味い。
「羽場さん、どうしましょ、これ」
囁いた私に、羽場は大きくため息を吐いた。
「これ、別の意味で、ドクターに云った方がいいかもね」




