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月でウサギを飼う方法  作者: 吉田エン
月でウサギを飼う方法 四章:月へと得るもの、失うもの
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 とはいえ、一度中毒になってしまったものは、なかなか止められないのは確かだ。朝のコーヒー、三時のおやつ、風呂上がりの一杯。岡は煙草はかなりあっさり止めてしまったが、辛いものは相変わらず。今度はどこから調達してきたのか、唐辛子で真っ赤になっている煎餅を、まるで煙草代わりのようにバリバリと食べている。殿下は生き方自体が中毒のようなものだし、私は結局一日数本は煙草を隠れて吸っている。


 テツジが去ってから、南寮110室は酷く静かになってしまった。元々殿下は自分からしゃべるということがないし、岡も何気にテツジのボケがないと静かだ。私たちは取材やイベントなどの合間に、主におざなりになっていた書類の整理、それに基地に行ってからでは難しい調べ物を黙々と行っていた。


「それにしてもさ、意外と頑張ってるよね、四人とも」出版社の取材に呼び出された時、ふと羽場はそんならしくないことを云う。「正直、もっと大変かと思ってたんだよね、キミらの面倒見るの。でもゴッシーちゃんも文句一つ云わないし、男連中もタスクチームに従って頑張って勉強してるみたいだし。偉いよね!」


「別に偉いっていうか。かなり疲れ溜まってますけどね」そう、私は固まりきった肩を叩く。「でもまぁ、きっとこれまで私らって、別に何もやってなかったんじゃないですかね。彼らにしても、バイトだパチンコだって話しかしてませんでしたし。それがこんなことになって。意外と楽しいっていうか、やるべきことがハッキリしたというか。だから案外、苦は感じてないと思いますよ。みんな」


「いいねぇ青春だね! ボクなんかもそんな気持ち持ち続けたいけどさ、やっぱ大人になっちゃうと税金とか年金とか凄いしねぇ。あんな戦争も始まっちゃったら守りに入っちゃうし」


 例によって彼は放っとけばどんどん違う方向に話を進めていく。私は早々に諦めて、受付ロビーのソファーに深く座りなおした。まるで構わずに一人でベラベラとしゃべり続けていた羽場だったが、急に口ごもって立ち上がる。


 彼の視線の先から、一人の人物が近づいてきた。勝田さんよりももう少し年上らしい、ベージュのスーツを着た女性。彼が私たちに軽く頭を下げると、羽場が一歩前に進み出て、気味の悪い笑みを浮かべた。


「どうも。宇宙公団の羽場といいます。チーフ、テクニカル、アーキテクト。ハードウェア制御のスペシャリストです。こちらが五所川原さん。今回のプロジェクトの事務経理担当です」

 と、妙に格好つけた声で云う。彼女は少し困惑したような笑みを浮かべながら、懐から名刺入れを取り出した。


「どうも。月刊シーズンズの編集やってます、阿部です」


 その名を聞いた途端、思わず耳を疑った。頭から血の気が引いてきて、背中一面に冷や汗が浮かんでくる。


 まさか、こんな所で、こんな名前に出くわすとは、思いもよらなかった。

 月刊シーズンズ。

 それは間違いなく、私が新人賞に送ったマンガ雑誌の名前だった。


 しかしシーズンズがこの出版社から出されているなら、私ものこのこと出向くような愚は犯さない。まるで違う名前の出版社から出されているのは確かなのだ。


 一体全体、どうしてこんなことに。

 完全に混乱している私に彼女は薄く微笑んで、脇に抱えていた茶封筒を胸の前で掲げてみせた。


「五所川原さん。それとも、後藤さんとお呼びした方がいいでしょうか」

「すいません! 失礼します!」


 私は咄嗟に頭を下げ、踵を返して出口へ向かった。

 とても正気ではいられない。叫び出してしまいたくなる。


「え? あ、ちょっと! どうしたのよゴッシー!」


 慌てて追ってくる羽場も構わずに、私は小走りでビルの外に出た。そして元来た道を辿って、駅へと向かう。直ぐに羽場は追いついて、私の袖を取りながら混乱した声を上げた。


「ちょっと、どうしたのよ! 何か彼女、悪いこと云った?」私が黙っていると、彼は私の前に回り込んで、後ろ向きに歩きながら顔を覗き込んだ。「待ってよゴッシー。どうしたのさ。とにかく、落ち着いて。ね?」


 私は思い切りため息を吐きながら立ち止まった。


「どういうことなんですか! どうして予め、云ってくれなかったんですか!」

 彼は急に目を丸くして、そして一瞬辺りの人通りを気にしてから、おずおずと私の袖を恐る恐る掴んだ。

「まぁ。良くわかんないんだけどさ。とにかく、ちょっと落ち着こ? ね?」


 促されるまま、見知らぬビルの軒下に入る。そこには何気なく灰皿が置いてあって、私は無意識のうちにポケットをまさぐった。けれども目的の物は持ち歩くのを止めていたのを思い出して、再び大きくため息を吐きながら壁に寄りかかった。


「あの、さ。ゴッシー、いい?」

 おっかなびっくり話しかけてくる羽場に、顔を向ける。彼は狼狽えた笑みを浮かべながら、無為に両手を擦り合わせた。

「いい? えっとさ、一体、何が問題だったのかな、って。原因は彼女? それともボク?」

「どうなんです?」

「どう? うーん。難しい質問だね。宇宙の真理よりも難しい。だってボクには何の心当たりもないからさ。彼女は確か、何か茶色い封筒を持ってた。そしてゴッシーを、後藤さん、とか呼ぼうとした。ボクには何が何だかさっぱり。そしたら急にキミは出てっちゃって、ボクは慌てて追いかけてきた。どう考えてもボクが原因じゃないよねぇ?」

「羽場さん、何も知らなかったんですか?」

「何を? ひょっとして彼女、ゴッシーの知り合い? キミを捨てたお母さん、ってことはないよね? だって彼女はまだ若いし」

「いいです。わかりました。何でもないです」


 そう云って腰を上げた私を、彼は慌てて追ってきた。


「待ってよ、待ってよゴッシー。何なのさ一体。説明しづらいこと?」

「そうです」

「そう」一瞬彼は諦めかけたが、直ぐに説得を再開した。「あ、いや、でもさ。彼女に非があるんなら、ちゃんと謝らせるからさ。何なら担当変えてもらってもいいし。せっかく来たんだし、一回戻ろ? ね?」

「駄目なんです。あそこは」

「あぁもう、何なのよ。あ、待ってよゴッシー!」


 結局私は羽場を振り切って、寮へと駆け戻った。そしてスーツを脱ぎ捨てると、椅子にへたり込んで煙草に火を付ける。そして飲み差しだった缶コーヒーを口にすると、大きくため息を吐いた。


 まったく、どうしてこんなことになるんだろう。


 私は床に積み上げていたシーズンズの最新号を拾い上げて、その奥付を見る。住所は今日行った出版社の近くではあったが、ビルの名前は全然違っている。しかしよくよく見てみると、出版社とは別に発行社というのがあって、それは確かに、今日行った出版社だった。


 きっと、シーズンズの出版社は、あの出版社と資本関係があるのだろう。だからきっと打ち合わせの場所を借りるか何かしたのだ。


 そう考えてる間にも、携帯は絶え間なく鳴り続けていた。羽場からの着信履歴が十件近くになっている。

 多少冷静さを取り戻した私は、彼には何の落ち度もないことに思いが至って、さすがに可哀想になってきて受話ボタンを押した。


「あぁ、ゴッシー? 良かった。なんか失意のあまり自殺でもしちゃったんじゃないかと思ったよ。危うく警察に電話するとこだった」

「すいません。思いっ切り気が立っていたので。でも、すいません、あの出版社は駄目だったんです。ちょっと事情があって」


 大きなため息の後、珍しく真剣そうな彼の声が響いた。


「さっきの編集の人。阿部さんから聞いたよ。何か応募してたんだって?」答えない私に、彼は再びため息を吐いた。「良くわかんないんだけどさ。凄い申し訳なさそうにしてたよ? あの人。いい話だから、急に云って喜ぶところを見たかったって。気持ちはわかるよ。ボクだって、キミらに伝える時はそうだったからね。でもさ、いい話だと思うんだけどねぇ? 彼女はキミの漫画、雑誌に載せてもいいって云ってるんだ。こんないい話、滅多にないよ?」


 私は煙草の煙を思い切り吸い込んだ。


「そんな話じゃないかと」

「でしょ? きっと気が動転してただけだから、って云っておいたからさ。じゃあ、もう一回、アポ入れるからね?」

「いえ。いいです。いいんです」

「どうして!」

「だって。これじゃあまるで、私が月に行くことになったから、優遇されてるみたいじゃないですか」

「そりゃ、そうかもしれないけどさ。でも使えるチャンスは、使うに限ると思うけどねぇ」

「とにかく、羽場さんには悪いんですけど。もうあそこからの話は全部断ってください」

「でもさぁ」

「あと、今日の話は、絶対秘密です。誰かに云ったりしたら、承知しませんからね」

 少しの沈黙の後、彼は渋々といった様子で云った。

「わかった。わかったよゴッシー。でもさ、パイプは残しておくから、気が変わったらいつでも云ってね。知らなかったけどさ。キミの夢なんでしょ? もったいないよ」

「夢だから、適当に出来ないんです。マンガも、月も」


 私は終話ボタンを押して、煙草を揉み消してからベッドに寝ころんだ。


 まったく、こんな事態も想像出来なかったなんて。

 けど、もし。

 もし、あの編集の人が、本気で私のマンガを買ってくれていたのなら、それは確かにもったいないことだ。


 私は引き出しから桜庭の手が入った原稿を取り出して、一通り眺めてみる。それは微妙な線の違いは見え隠れするが、大筋で先に送ってある原稿と大差のない仕上がりにはなっている。


 おもむろに便せんを取り出して、そこに応募要項を書いていく。住所、氏名、職業、等々。そこには私のものではなく、全て楓の物を記していった。続けて封筒を引っ張りだし、全てを中に詰め込み、封をする。


 もし、これが前に送ったものと同等の評価が得られるのなら、私は迷わずシーズンズの申し出を受けてもいいことになる。


 だが、もし、そうでなかったなら。

 とにかく、これを送ってしまったら、余計なことはスッパリ忘れよう。

 そもそも今は、計画に専念するべきだ。月に行きたくても叶わなかった人たちのためにも、それが私の義務なのだ。


 私は煙草をもみ消し、臭い消しにうがいをしてから、構内にある簡易郵便局に向かう。そして原稿をポストに投げ込んで、岡たちの部屋に向かった。しかし食堂を通りかかったところで、なんだかげっそりした表情の岡、それを苦笑を浮かべながら見送るおばちゃんとはち合わせる。


「おう、ゴッシー帰ったか」


 そう岡は軽く私の肩を叩いてから、よろよろと南寮に向かう。私は首を傾げながら、おばちゃんに目を向けた。


「どうしたんです? 変なのでも食べさせたんですか」

「違うわよ。ここのところ、捌く練習をさせてるの」

 そういえば、と私は口を開け放って、まじまじと彼女を見つめた。

「忘れてました。やらなきゃ、やらなきゃと思ってたんですよ。ウサギを捌く練習。私の仕事だと思ってたのに」

「そうなの? この間ね、岡くんにいつやるか聞いたら、自分がやるって言い出したから」彼女は腰に手を当てて、遠くの角を曲がっていく彼の後ろ姿を見送った。「あれで、結構優しいのよね、岡くん」

「余計なお世話ですよ。こういうことに、男も女も関係ないんですから」

「まぁ、ここのところあなた、忙しそうにしてたしね。あまり怒らないでやって頂戴」

「いえ。こういうことは、はっきりさせておかないと。ちょっと叱ってきます」


 そう踵を返そうとした私の肩を掴んで、彼女は私の顔に一瞬だけ鼻を近づけた。


「いいけど、中で牛乳飲んでからね」

「牛乳?」

「匂い消しには、それが一番なの」

 私は慌てて、自分の服の匂いを嗅いだ。

「ありゃ。わかります?」

「それはね。一応私も料理人だし。ほら、中に何本か余ってるから。飲んで行きなさい」


 私はガックリと肩を落として、苦笑するおばちゃんに続いて食堂に入った。


 まったく、私は何をやってるんだろう。

 そう、ここの所、そればかり考えてさせられている。


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