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天使のキスで、道化は目を覚ます

「ったく、もともと柄じゃないんだよ。あんなヒーローみたいなことは」

 服を着た彼を、ようやく私は直視することが出来た。

「あなた、ひょっとして、全裸ならなんでも出来るんじゃないんですか?」

「そうみたいだな。全裸の時点で道化モードのスイッチが入るみたい。ひょっとして俺って無敵キャラじゃない?正にジョーカーって感じ。やべえ、超格好良いんですけど」

 そう言って笑う彼に私は釘を刺す。

「例え無敵でも、もう二度とやらないでください」

 全裸に命を救われることほど屈辱的なことはない。これは確実に私の人生ナンバー1のトラウマになる、そんな自信があった。


 彼が私の肩に手を置く。

「お、普通に触れる。賭けに勝ったからだな」

 嬉しそうに自分の手を見る。そして、私にこう言った。

「まあこれであんたも卒業だ」

「…………はい」

 お別れの時間だった。

「あなたは?」

 私が訊ねると彼はいつものように飄々と答える。

「俺はもう死んでるから。精々天国とやらを堪能するよ。ただ、もうあんたは大丈夫だ。大変だとは思うけどよ、生きてみなよ。やる気がないだけが取り柄のこの俺が、こんだけ必死になったんだ。なかなかないことだぜ?まあ、だから、だからってのは変か……まあ人生楽しんで。そんだけ言っておこうと思ってな。んで、まあ、その……泣くなよ。あ、泣いてない?あ、そうか。本当か?あ、ほんとに泣いてないね…………。目に涙も…………浮かべてないね…………。っていうか少しは泣けよ、たく」

 彼が不貞腐れた声をだす。

 そう、私は泣いていなかった。強くなると決めていたから。


「遊園地は?」

 それだけ、私は聞いた。

「そうだな、道化は遊ぶことに関したら誰にも引けを取らないんだが、まあ、それは別の男に譲るよ。そいつはきっとあんたの騎士にもなってくれるさ」

 そう言うと、彼が少し真剣な表情を見せる。

「実は最後だから言うけど、俺、あんたのこと…………」

 私は黙って聞いた。が、続きがなかなか出てこない。


「私のこと?何ですか?」

 長い沈黙。

「……いや、なんでもない」

「気になります。言ってください」

 彼の顔を下から覗き込む。しかし、彼は首を横に振った。

 私は隙をついてキスしてやろうかと思ったけど、未経験なことなのでやはり躊躇してしまい出来なかった。

「いや、いいよ。今更言っても仕方ないことだし」

 その後、何度彼を問い詰めても、口を割ろうとはしなかった。

 その間にも世界は光に包まれ、色をなくしていく。

 それは私達に残された時間がわずかであることを知らせていた。

「最後に一つ忠告だ」

「なんですか?」

 私が訊ねると、彼は意地悪そうに言った。

「神様がやってきても、カードだけは引くなよ」

 二人、顔を見合わせて笑った。


 彼は背中を向けて歩き出した。ありがとうと私が叫ぶと、彼は片手を上げるだけで、もう振り返りはしなかった。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 目が覚めたら、私はベッドの上だった。

 両親が心配そうな顔で私を覗きこんでいた。目に涙が浮かんでいる。先生を、早く、という声が聞こえる。

 ああ、とうとう私は現実に帰ってきたのだ。そう実感した。

 


 それから少しの時間が過ぎた。

 屋上から飛び降りた私は、ちょうど植え込みに落ち、一命を取り留めたそうだ。

 いろんな人と話をした。親、先生、お医者さん。 私の中には死にたいという気持ちはもうなかった。


 皆がびっくりしていたのは、私が目覚めた時に既に生きる気力が充分だったことだ。私は自分の行為を悔い、二度と自殺などしないと真っ先に誓った。母親に一体どうしたのかと聞かれたので、夢の中で親友に説教されたのだと伝えた。人生をしっかりとやり直すと決めた私に、周りの皆は協力的だった。

 死の衝動からは開放された私だが、それでもカウンセリングの類は勿論受けなければならない。今更死の衝動がどうとか言いだせば尚更心配されるだけだったので夢の中でのあの出来事については黙っていることにした。

 そもそも頻繁に全裸の男が現れる物語である。そんなことを話せば確実に精神鑑定一直線である。


 しばらくはリハビリの日々が続いた。

 健康な体を取り戻す為には毎日欠かせないことで、挫けそうになる日もあったが、頑張った。私はもう大丈夫だった。


――――――――――――


 そして、自分の力で動けるようになった私は、一番初めに知子のお墓参りにいった。墓前で手を合わせ、少しのごめんねとたくさんのありがとうを伝えた。新しく出た『ジュブナイル』のニューシングルを手向けることも勿論忘れなかった。

 そして次に、学校へと出かけた。

 夜ではなく昼に。校門の前のまっすぐな道。左手に川原、右手に廃ビル。それは幾度となく通い、遊んだあの道だ。

 全く相違はなかった。夢の世界のこの近辺の情景が精巧に出来ていたことを私は痛感した。

 そして私は道を歩く。



 校門の前に、置かれているものがあった。



 それは、いつもの缶コーヒーだった。



 それを私は手に取る。

 しばらく手の中で遊ばせてから、ポケットにいれた。



「で、遊園地はいつにしますか?私の騎士様?」

 私は空に向かって問いかける。


「そうだな。今週末がよくね?」

 返事が返ってくる。


「残念。今週末は家族と過ごすので、無理なのです」

 私は答える。


「なにー。じゃあ、今からとか」

「今から、ですか?」

「そう、今から。電車に乗って、ぴゅーっと」

 能天気な声。それは、いつもの声。

「うーん」

 私はしばらく考え込む。しかし、答えは既に決まっていた。

「……ではそうしましょう」

「へーい。…………ってもっと驚いてくれよ!!」

 後ろから回りこみ、彼がツッコミを入れる。

 悪戯好きの猫みたいな瞳の、浅黒い顔。

 私は軽く首を傾げて、口を開く。

「ああ、あなただったんですか。なんだ、てっきりボーイフレンドのまさお君かと思ってました。びっくり」

「全然びっくりしてないですよね。え?ていうかまさお君って誰?」

 彼は頭を抱えこんでしまった。昼間に見る彼は初めてだった。


「ところで、なんでここにいるんですか?」

 私は彼が一番聞いて欲しいであろう質問を投げかけた。

「そう、それだよそれ!いや、それが、お恥ずかしい話。俺もう死んでる死んでると思ってたんだけど……なんか実は死んでなかったみたいでさ」

「おやまあ」

 私は大げさに、わざとらしく驚いた振りをする。

「……知ってたのか」

「さあ、どうでしょう?」

 私は両手を広げ、とぼける。

「だって、あんた全然驚いてないじゃないか」

「それはだって、死んでる死んでるって言いながら実は生きていました、なんてセオリー中のセオリーじゃないですか?」


 そう、彼は死んでいなかった。


 私はあの夢で雑誌を読んだ。ある男子生徒が事故にあった、自殺という噂も、といったような内容だった。だが、その雑誌には男子生徒が死んだとは記されていなかった。しかし、夢の中の彼は何故だか自分がとっくの昔に死んだのだと思い込んでいた。

 病院のベッドで長い間眠っている、というのが真実だった。生への無頓着。思い込み。全ては彼のその厄介なクセの所為だった。私の死の衝動と良い勝負だ。まあそれで私は随分と、それはもう散々に苦労させられることになったのだが、その話はひとまず置いておくとしよう。

 私はその真実を最後に知子から教えてもらった。何故知子が知っていたのか、私には分からなかったが、そんなことどうでもいい。知子はいつでもどこでも何でも知っている子だから、知子なのだ。



 さあ、だけど簡単に迎えられた今日の再開ではないことを、ここにしっかりと記しておかなくてはならない。私の時なんて、比にならない冒険だった。


 夢の世界で私と彼が別れた後、私は神様と出会った。

 彼や知子の言った通り神様はえらく怒っていて、私は正座で三時間くらい説教をされた。神様の説教と言うぐらいだから、命を粗末にするなとか、悲しむ人間がいるぞ、みたいな説教を想像するかもしれないが、神様の怒りはそんなことではなかった。

 なんでも、人間が決められた運命でなく、自分の勝手で死ぬと、その地域の神様の管理が行き届いてないという事になり、もっと上の神様に凄く怒られるらしいのだ。

 口から唾を飛ばして自分が絶対に怒られたくないと熱弁を振るう神様を見て、神様も人間も、皆同じなんだなとしみじみ思った。

 最後に、私にもカードが用意されていたのだが、私はもう生き返れるので必要はないだろうと言われ、神様はカードを引っ込めようとした。

 私はその全てのカードを神様の手からひったくった。なるほど、『騎士』、『牧師』、『詩人』、色々とある。その中からある一枚のカードを見つける。


――これが良い。これに決めた。


 そして私はそのカードをそこから抜き取り、神様の眼前に突きつけ、一つの提案を持ちかけた。


 神様がにやりと笑った。


 このおっさん、最初からそのつもりだったな。とんだタヌキの神様だ。まあいいです。あんたが怒られなくていいようにしてあげますよ。

 そして私はある一つの世界、とある人物の夢へと飛び込んだ。


 新たなる、長い戦いの幕開けだった。


 それに関しては語りだすと、とてもとても長くなるので、また今度。



 そして今、私と彼は、肩を並べて歩いている。

「あ、ところで俺、病院のベッドで寝ている時、すげえおかしな夢を見てさ。どうしてもやる気がでない俺を、あんたが迎えにくんの。でさ、あんたの背中から羽根が生えてて、頭に輪っか浮いてて……。俺、似合わねーって笑っちゃってさ。あんたはもう泣くわ不貞腐れるわ暴れるわ目からビーム出すわでもう大変。でもさ、俺それでも全然やる気でなくてさ、それであんた……って言っても夢の中のあんたなんだけど……俺に何したと思う?」

 ニコニコしながら彼が私に聞いてくる。

「さあ、そんなこと知りません。私が知るわけないじゃないですか」

 私はしらばっくれる。くるんと後ろを振り返り、逆に彼に訊ねる。

「ああ、そんなことより、あなたが最後まで言わなかった言葉の続き、教えてください。『実は最後だから言うけど、俺、あんたのこと……』なんだったんですか?」

「うおーーー!あんなこと言うんじゃなかったーー!恥ずかしいーーー!死にてーー!」

 彼が頭を抱えてしゃがみ込む。私は笑う。

 止まっていた時間が動き出す。


 風が優しく頬を撫でる。


 天使のキスで、道化は目を覚ます。


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[一言] ええやん...。ハッピーエンドだいすき
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