道化騎士
「ウオオオオオ」
彼の宣戦布告が合図であったかのように、同時に襲いくる数体の影達。しかし、襲った先にはもう彼はいない。一瞬の間に、影達の背後へと高速移動していた。ブンと遠心力に任せ、真横に剣を薙ぐ。
「ウオオオオオ……!」
まとめて影が消え去る。
そうやって同士が消え去るのを間近で見た一体の影は、目の前にいる人間が只者ではないと一瞬で認識し、間合いを取って様子を見る。
彼の挙動を見ていられる体勢のまま、バックステップで後退した……が。
「――遅い!」
右足で地面を蹴り、前進。一瞬でその影との間合いを詰める。彼の顔と影の顔が今にもくっつきそうなくらいの距離。彼がニヤリと笑う。
「あんたさあ、死にたいんだって?だったら……」
大きく剣を振りかぶり――。
「その願い、叶えてやるよ!」
そのまま真下へ降ろす。真っ二つになり、影が消えていく。
速くて、強い。これではまるで……。
斬った影がしっかりと消えるのを見届けて、彼が私を振り返る。地面に座り込んでいる私は自然と彼を見上げる形となる。
「遅くなって悪かったな。あんたよく頑張った……もう大丈夫だ。こんな世界、俺がぶっ壊してやる!」
彼が手を差し出す。その手を私は握った。握れた、しっかりと。
いや、当然だ。彼は諦めていなかったのだ。
初めから。そう、私と初めて出会ったあの時から。理は、繋がっていた。
考えた末の――賭けだったのだろう。
今彼は、道化を守ったまま、ルールの範疇で行動している。これなら神様も文句は言えないだろう。
彼の確かな感覚を支えに、私は立ち上がる。彼が笑う。その笑顔の眩しさと言ったら……。
これではまるで……騎士ではないか。
「ウオオオオオ……」
「下がってな」
私をそう促すと、彼は足を一歩前に出す。襲い掛かってくる影一体をものともせずにカウンターで斬り払う。影達は彼の俊敏なフットワークを前に、触れることすら許されない。
「ウオオオオオ……」
一体ずつかかっても歯が立たないと理解したのだろう。今度は四体の影が四方向から襲いくる。その攻撃を――。
「ふん!」
一体を左肩から袈裟斬りで薙ぐと――。
「よ!」
その返す刀でもう一体に斬りあげる。
「はあ!」
その次の瞬間には振り返り、後ろから来る二体を横一文字に斬って捨てる。その間わずか三秒。まさに電光石火。それも後ろにいる私を庇いながらである。
更にもう一体襲ってくるが、彼は「ほい」と地面に何かを落とす。バナナの皮だった。
突如現れた黄色い物体に反応出来ず、影はそれを踏んで滑って転んだ。彼は横たわる影に剣を突き刺す。
新手の影が襲いかかってくる。
彼が指を鳴らす。すると煙が上がり、屈強な黒人男性が現れた。黒人男性は影を片手で掴むと、腹に強烈なパンチをお見舞いする。影は直ぐに霧散した。
そして、影は残すところあと十体程度になった。
影達は彼との間合いを充分に取って、取り囲んでいる。
「どうした。なんだお前ら、この程度で人一人殺そうって思ってたのか。へん、笑っちまうを通り越してなんか…………もう、切ないぜ!愛しくて切なくて心強いぜ!」
わけの分からないことを言っている。影達は彼の挑発が聞こえているのかいないのか、彼と私の周りを取り囲んだままゆらゆらと揺れている。彼が近づくと、遠ざかり、彼が遠ざかると、近づく。一定の距離を保っていた。
「ラチがあかないな……。せっかくこっちは道化パワー全開なのに」
確かに彼は全開だった。それは私の目から見ても間違いない。完全完璧なる道化パワー全開。だったら……。
「ねえ……」
私は彼に耳打ちする。
私のアイディアを聞いて彼は弾かれたように笑い出す。
「はっはっはっは!!そいつはいいねえ。じゃあ最後は道化らしく、この世界を笑い飛ばすように、楽しく明るくパーっとどハデにいきますか!」
そう言って彼が指を鳴らすと、ボンと彼の目の前に煙が上がった。
煙の中から空中に浮いた三個のダイスが姿を現す。
「ようし、いくぜ!」
彼が空中のダイス達を片手で掴み取り、勇んで言う。
「あ、でも……」
「おっと……何だよ?どうした?」
「よく考えたらこれって『魔法使い』なんじゃ……」
ルール違反ではないかと不安に思う私に、彼が吹き出して笑う。
「何言ってんだよ。俺は生まれてこの方あんなへんてこな名前の魔法なんて聞いたことないね。いいか、あれは、あんたの死が支配する、あんたの意志もなければ遺書もない、そんな世界でノートん中にあんたが作ったたった一つの『遊び』なんだよ。それに……そうでなくても、大丈夫だろう?」
彼が猫の様に無邪気な目で私を見た。
「あんた俺にあんだけ言ったじゃん?設定は大事なんだろ?」
「ん?……あ」
そうだった。
「ゲーム内で主人公が覚える魔法は実は神の魔法『わっちょめ』でも人の魔法『おっちょめ』でもなく……?」
――魔法と科学の融合体『魔科学』の結晶、つまり…………。
「……『ぶろっさむ』」
「すなわち?」
「……素モチは『コック』じゃない」
「そういうこと」
ニコッと笑うと、彼は右手に握った剣を正面に突き出した。
まあ、色々言っておいて何だが、今の彼なら何でもありなのだろうけど。
「魔法コマンド『マキシマムマムドモホルン』詠唱ブラウザ立ち上げ」
「魔法コマンド『マキシマムマムドモホルン』詠唱ブラウザ立ち上げ。発動エンカウント遂行。ダイスチャンス」
私と彼の目の前の地面に、緑色に光る円陣が現れる。その周りをたくさんの光の粒子が飛び交う。
これぞまさしく私の創り出した『超アドベンチャークエスト』の詠唱ブラウザそのものだった。
「レッツダイス!スローイング、ショット!」
左手のダイスを円陣へと放つ。吸い込まれ、円陣内を飛び回るダイス達。しばらく暴れまわり、ゆっくりと止まる。
三つのダイスの目は全て4だった。彼がガッツポーズを取る。
「よっしゃー、行くぜ!『正しき者が生かし、誤りし者が殺すが如く、正しき者が殺し、誤りし者が生かすもまた然り。されば我は問わん。何ゆえ正しく、何ゆえ誤りであるのか。神ゆえ正しく、人ゆえ誤るのであると言うのならば、それゆえ、神も誤ると答えよう。神、人共に、全てを等しく照らす、光となれ……超越魔法マキシマムマムドモホルン』!!!!」
その瞬間、今が夜であることを忘れさせられる程の光が屋上を包み込んだ。私達を取り囲んでいた影達は全員、その眩い光に溶けて消え去った。一切、跡形も残らない。
「マキシマムマムドモホルン」は神にもダメージを与えられる超越魔法だ。邪悪な影達など、ひとたまりもなかった。
光が消え、あたりは静寂に包まれた。
道化の、完全勝利だった。
「ようし。これでもう、大丈夫だな」
周りを見渡すと、そう言って彼は剣を納めて、私を振り返る。
「随分とボロボロになっちまって……すまなかった」
彼は頭を下げる。
「そんなことないです……ありがとうございます」
「いや、これも全部あんたの力だよ。あんたは自分の力で死の衝動を克服したんだ。凄えよあんた」
「えへへ、それほどでも」
彼に褒められ、私は照れくさくなって頭をかく。さっきから私の心臓はドキドキしっぱなしだった。彼が助けに入ってくれたあの時からだ。彼のことを直視出来ない。理由は明確だった。
「これであんたは現実に帰れる。この世界もじきに崩壊するだろう」
そう言って彼は空を見渡した。さっきまで夜だった世界が、暖かな光に包まれていた。悠然と立っている彼にも光が射す。やはり私は彼を見ることが出来なかった。
「見ろよ。世界の夜明けだ」
それはなんとも幻想的な光景だった。私はようやく世界に祝福されているのを感じた。
私は彼に対して、もう一度頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
「へへへ、いいってことよ」
照れくさそうに鼻をかく。
「あと、最後に一つだけいいですか?」
「おう、なんでもこい」
そうして私は彼にどうしても聞きたかった、一番の言葉を言った。
「何で全裸なんですか?」
「…………おう」
「おう、じゃなくて、なんであなた、全裸なの?」
「…………いや、気がついたら」
「…………全裸だった?」
「うん!」
「嘘付け!!」
私は彼を思い切りぶん殴った。吹き飛ぶ全裸の男。地面をゴロゴロ転がる全裸の男。横たわる全裸のお男。
説明しよう。いや、説明したくないけど。
つまり、私のピンチに颯爽と助けに入ったあの時から今の今まで、彼はずっと全裸だったというわけだ。
全裸で私を助け、全裸で影達をバッタバッタと薙ぎ倒し、全裸で魔法の詠唱をして、全裸でポーズを決めていたのだ。
「全裸」=「道化」というルールが成立したのだろう。
彼は殴られた頬を撫でながら口を尖らせて文句を言う。
「だって仕方ないだろう!!普通にあんたを助けたりしたら駄目なんだから、俺死んじゃうのよ。いやもう死んでるけどね」
「だからって何で全裸なのさ!もっとあるでしょ。せめて半裸とか、ずっと変顔でふざけて戦うとか」
「一緒じゃねえか!それに、半裸だと、力も半分になっちまうんだ。半分の力だと奴らは倒せなかった」
彼は真剣な顔でそう言った。
そうか。そういった事情があったのか。
「それ、ほんと?」
「ウソ」
ぶん殴った。吹き飛ぶ全裸の男。
「やっぱり死ぬ」
そう言い捨て私は彼に背中を向けてフェンスへと歩きだす。
「ちょっと待てって。冗談だよ冗談」
何が冗談だ。全裸で女子の前をぶらぶらと。完全なる犯罪行為じゃないか。
「…………早くきてください」
「え?来て?」
彼がスタスタ私に近づいて来る。
「こないで!」
「な!?どっちだよ?来てって言ったじゃん」
「…………早く服を着てっていってんの!もう信じらんない!」
私は世界中に響き渡るぐらい大きな声で叫んだ。




