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屋上

 そして、今、私は屋上に立っていた。


 彼と花火をして、後片付けや残った花火等を処理して別れた後、そのまま学校へと戻ってきていた。

 彼には何も言っていない。私が頑張らなければ意味がないのだ。

 それでも何故その前に彼と会っていたのかと問われると、死を散らした状態で、万全の態勢で立ち向かいたかったという建前と、最後になるかもしれない彼の顔をしっかりと見ておきたかったという本音の二つがあった。

 何ならキスぐらいしておきたかったが、そんな経験が一切ない私には、到底無理な話だった。


 予想はしていたことだが、学校に入った瞬間に体がぐんと重くなった。

 体の奥底の闇の中から歓喜に満ちた叫び声があがってくるのを感じる。私の中に渦巻く死が、喜びの悲鳴をあげているのだ。それはまるで徐々に自分の体が自分のものでなくなっていってしまうような感覚。恐怖で身が凍りそうになるのを必死で堪えて、階段を上った。

 屋上に鍵は掛かっていなかった。

 元々そうだったのだ。

 それもそのはずだ。最初からこの場所は私を呼んでいたのだから。

 鍵などかかっている筈もない。

 ノブに手をかけ、ゆっくりと回した。扉が開き、足を踏み入れたそこには真っ暗な夜空が広がっていた。さっきまで彼の花火が縦横無尽に飛び交い、あんなにも綺麗だった夜空が、今では私を飲み込む為にぽっかりと口をあけた虚無のように感じられる。それだけで私は十分に理解する。

 世界は等しく、私の「死」の味方だった。


「…………」


 一歩一歩、時間をかけて踏み出す毎に、私は思い出していった。現実で私が歩いたこの一歩を。この世の全てがどうでもよくなったあの感覚を。喪失感を。そして、最後に何のためらいもなく身を投げた空のあの不気味なほどの心地よさも、あの瞬間の全てがこの世界のこの場所に圧縮されて置かれていた。

 つまりは、現実さえも私の味方ではないということだった。

 私は自分を守る為、体を抱きしめるように手をまわしたが、この抱きしめた私の中にも私の敵がいるのだ。世界も敵で、私も敵。私は私だが、私は何だ?頭がおかしくなるほどの眩暈が襲うが、歯を食いしばり、地面を踏みしめ、しっかりと立つ。


「あんた、死ぬのかい?」

「…………」


――いつの間に。


 気が付けば彼が後ろに立っていた。バレていたか。

 頭がズキズキする。私は後ろを振り返らずにそのまま答える。

「死にませんよ。確かに、私の中にはいまだ衰えずに死にたいって心が存在します。それはここに来てから、今までの何倍もの力で私を押さえつけようとしています。凄い力です。それでも私は……」

 死にたい。私の中で死が暴れている叫んでいる求めている。私の心を脳を体を蹂躙するほどに荒々しく雄たけびをあげている。死にたいと。死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい…………。

「それでもあんたは?どうなんだい?」

 彼が私に尋ねる。

「――生きたいです」

 はっきりと言い切る。

 私の心の闇がどれだけ死を望もうと、私は生きる。そう誓ったのだ。

「そうか。分かった」

 そう言うと、彼は笑顔を見せた。

「なあ、見てくれよ」

 彼の手には、たくさんの玩具が握られていた。


 そうして彼は私の前で何度も芸をした。それは芸能人のモノマネだったり、本当にしょうもないダジャレだったり、一発ギャグだったり、多種多様だった。

 私は屋上の冷たい地面に座り込み、馬鹿みたいに笑い、馬鹿みたいに泣いた。

 私の心に根付く死はその度に散っては、戻り、散っては戻りを繰り返す。いつもの様に次の日になってから戻ってくるような悠長な速さではなかった。雪かきをしたら積もり、雪かきをしたらまた積もる。そんな死の循環の中に私達はいた。それの繰り返しだった。彼もそれは分かっている。それでも、彼はネタの続く限り道化を全うし続けた。その徒労に励む姿こそが道化らしく、世の笑いものに相応しい姿だった。


 しばらくして、全てのネタをやり尽くし、彼が弱々しく笑う。

「まあ、こんなんじゃあ、全然ダメだなあ。分かっていたんだけどな。ホントだぜ?」

「はい」

 私は微笑む。

「ここに来て分かりました。私の死は凄く強いです。正直、勝てる気がしません」

「ああ」

「でも、私は生きるって決めました。だから……」

 私は立ち上がり、座っている彼を見る。

「――そこで見ていてください。私は友達から前に進む勇気を、あなたから生きる希望と笑顔をもらいました。あなたの力はムダではありません」

 立ち上がった私を、彼は私をまぶしそうに見上げる。

「いつのまにか強くなっちまって」

 そんな彼に私は首を振る。

「全然強くないです。一人じゃなんにも出来ない。あの、一つお願いがあるんですけど」

「なんだ?」

「一言、『頑張れ』って言ってもらっていいですか」

 彼がそれを出来ないのは分かっていた。それでも言った。答えは予想通り、私の言葉を聞いた彼は苦笑を浮かべ、首を横に振った。

「すまない……それは出来ないんだ。こないだも見たと思うが、俺があんたを励ますようなことを言ったり、あんたを力で止めるようなことをしたら、今度こそ神様は俺をこの世界から消し去り、即地獄行きだ」

「はい」

 そうなのだ。私はそれを分かった上でお願いした。かといって意地悪で言ったわけではない。それは、誰かが聞いたなら笑ってしまう様な、とてもささやかな目的の為だった。

 悔しそうに彼の顔が歪む。

「すまない。だから、俺は道化なんだ。道化ることでしかあんたと関わりあえない」

 手を伸ばし、私の頬に触れようとする。が、見えない壁が私達を阻むかの様に、彼の手が私の頬を包むことはなかった。

「道化ることでしか、あんたに触れられない」

 彼の無念さがひしひしと伝わってくる。もう私はそれだけで嬉しかった。無念だと思ってくれている。それだけで十分、私のささやかな目的は叶えられた。恋する女の子の目的は……。


 私は彼を見て言った。

「これまで私を楽しませてくれて、ありがとう。私にまた生きたいと思わせてくれたのは、あなたです。本当にありがとうございました」

 私は深々と頭を下げる。そうして、顔を上げると、笑顔で言った。

「お礼に今度、私を遊園地に連れて行ってもいいですよ」

「……なんだよそれ」

 そう言って、彼は笑った。

「見ていてください、そこで。神様もそれは許してくれるでしょ?」


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