友
そこはどこなのだか分からない、だが、二人の為だけの場所だった。
「そうか、彼と喧嘩しちゃったんだ」
周りは何もない、真っ白な世界。その中で知子は言った。
「まあでも、あんたが誰かと喧嘩するなんて珍しいよね」
その言葉に私は言い返す。
「よく言う。昔はよく知子ともしてたじゃない」
「確かに」
そう言い、知子は笑った。
知子とは昔からよく遊び、よく笑い、よく喧嘩をしていた。そのほとんどは私が原因だった。なかなか前に出ようとしない私を知子が引っ張る。このままでいいと私は嫌がる。その繰り返し。
知子は言った。もっと色んな子達と仲良くなってもいいんだと。色んな世界を知って欲しいんだと。私はそれを拒否し続けた。知子だけいればいいと。病気がちで生まれつき体の丈夫でない知子が、周りと打ち解けない私のことを心配して投げかけてくれていた言葉とも分からず、幼い私はその言葉が自分を否定するものだと受け取り、勝手に傷ついたりしていた。
「学校の帰り道でさ」
「ああ、あったなあ、そんなこと」
「あん時のあんたの顔といったら……」
「ちょっと、それはもう言わないって約束でしょー。それを言うなら知子だって、『ジュブナイル』の勅使河原天麩羅が道歩いてるの偶然見つけた時、興奮して猿みたいに……」
「おお、それを持ってくるか、今ここで……」
昔話に花が咲く。知子と歩いてきた長い時間。その全てが大切な思い出だった。
私と知子の周りには何もない真っ白な世界。いつも私は知子とここで話をしていた。
今まで何の違和感も感じなかった。
それもこの世界の仕業だったのだろう。
私が知子を望むと、いつの間にか私はここに来ていて、知子はここにいた。ただ、それだけだった。 何もなくても、知子のいるそこは陽だまりのように暖かな世界だった。
私は知子と真正面に向かい合うと、言った。
「あなたの言う通りだった」
「何が?」
知子が訊ねる。
「私は前に進まないといけない。いつまでも立ち止まってはいられない。そうなんでしょ、知子?」
それはいつも知子が言ってくれたこと。知子はゆっくりと頷く。
「そう。その通りだよ」
知子とは昔からよく遊び、よく笑い、よく喧嘩をしていた。そのほとんどは私が原因だった。なかなか前に出ようとしない私を知子が引っ張る。このままでいいと私は嫌がる。その繰り返し。その繰り返しが続くと思っていた。そう…………ずっと。
「知子、死ぬ前に、病室で言ってくれたもんね。前を向いて進めって」
「……バカ、死んでからもだよ」
頬を膨らませて知子が言う。
昔から何度も見てきた、彼女の癖。
「それなのに、あんたってば……。信じらんない。あたしは怒ってるんだからね」
「……ごめん」
知子の死が信じられず、世界が終わってしまったかのような絶望感を覚えた。
そして、私は知子の後を追った。前を向いて生きろという彼女の言葉も忘れて。最後の願いも忘れて。
「でも、あんたはまだ大丈夫。まだ間に合う。前に進むって、決めたんでしょ?」
「……うん」
私は頷かない……。
「ふん。やっとあたしの言ってることが分かったか」
「……うん」
私は頷かない……。
「いつもいつもあんたには……。まさか死んでからも世話焼くとは思わなかったさ」
「……うん」
私は頷かない……。
頷くと、目に溜まった涙がこぼれそうだったから。
そんな私を見て、知子は困ったように笑う。
「あんたはいつもそう……。昔っから泣き虫だったよね」
そう言って、知子は私の頭にそっと手を置いた。母親が子供をあやす様に、優しく撫でてくれる。
「………………ともこぉ!」
限界だった。
私の目からは涙が溢れて溢れて止まらなくなった。前が見えない。嗚咽がこぼれる。私は知子の胸に飛び込んだ。知子の胸で泣きじゃくる。知子の体の温もりだけが感じられた。
「ともこぉ。ごめん……。ごめんねぇ……」
私は昔から泣き虫だった。
近所の男の子にいじめられては、学校の帰り道で犬に吠えられてはすぐ泣いた。
そんな時、いつも知子が慰めてくれた。生まれつきどうしようもない病魔に蝕まれ、私よりずっと体が弱い知子は、それでも私よりずっと元気で明るかった。
私は知子が泣くのを一度も見たことがない。
知子は死ぬ時も笑顔だった。
涙で顔中がくしゃくしゃな私や知子の家族を笑顔で見廻して1人ずつに、ありがとうと言った。
私たちに見せる笑顔の何倍、彼女は陰で泣いたのだろうか。何で、こんなに良い子が死ななければならないのか。死にたいはず、ないのに。
嫌だったろう。怖かったろう。悲しかったろう。つらかったろう。寂しかったろう。切なかったろう。悔しかったろう。無念だったろう。…………生きたかったろう。
生きて、もっと遊んで、恋もして、幸せになって、結婚をして、子供も産まれて、もっと幸せになって、もっともっと、ずっとずっと幸せになって……そんな時を笑顔で歩んで行きたかったろう。
だって、幸せが似合わない女の子なんて、世界中のどこにもいないのだから。
それでも、その女の子は、16年というあまりに短い人生を、決して呪うことなく、嘆くことなく、笑顔で全うした。
死んで尚も私を慰め、励ましてくれる。本当の親友だった。
私はしばらく泣き続けた。もうどうしたってこの涙は止まらなかった。その間、知子はずっと私の背中を撫でてくれていた。
私が落ち着いてから、知子はゆっくりと口を開いた。
「ねえ、あたし、死んでから神様に会ったんだ。なんか怒られちゃった。あたしが死んだせいで、あたしの友達まで死にそうだってね」
「ははは……」
「でもあれは、怒られたっていうのかな?なんか変な神様だったよ。そもそも神様っていうのかなあれは?」
知子の頭にクエスチョンが浮かぶ。神様に関しては彼も似たような反応だったことを思い出す。
「あたしは本来ならすぐに天国行きらしかったんだけど、最後にちょっとだけ寄り道していけって、カードを差し出された」
「それって」
神様のカード……。
「あたしの引いたカードは『シスター』。出来ることは、あんたの言葉を聞いてあげること。そして、励ますこと」
そう言うと、知子は笑った。
「笑っちゃうね。だってそれって、今までのあたしとあんたの関係と何にも変わんないじゃん」
その通りだった。
それはいつもの私と知子だった。
知子は言う。
「頑張れ。あたしは信じてる。そして祈ってる。祈ることしか出来ないけどね、シスターの祈りは神様に届くんだから」
言いながら、私の手を握る。私もしっかりと握り返す。
「あ、それと、あんたの彼のことだけど……」
それから少しだけ、知子と彼の話をした。本音を話すことが出来た。
気が付くと知子の体がだんだんと薄くなってきていた。それを見て、知子が言う。
「どうやらあたしの役目はこれでおしまいみたい。じゃあ、先に天国で待ってるから。あんたはもっとたくさん時間をかけてからこっちにおいでよ」
そういって知子は笑う。やっぱりこの子の笑顔には適わないな。
完璧な美少女の無敵の笑顔だった。
私は胸を落ち着かせる。
知子にお別れを言わないといけない。
これが本当に最後の別れとなるだろう。
こぼれ落ちる涙を止めることなんて決して出来ないが、笑顔で送ってあげないと。
私は精一杯の笑顔で言った。
「私、知子のこと大好きだった。仲良くしてくれて、ありがとう。私、どうしても知子に伝えたいことがあったんだ。知子の人生は短い人生だったかもしれなかったけれど、それでも言うね。知子、生まれてきてくれて、ありがとう。私と出会ってくれて、本当にありがとう」
知子も笑顔のまま深く何度も頷く。顔を上げたその頬には、涙が溢れていた。私が見る、知子の初めての涙だった。
「ちぇ……。泣き顔だけは見られたくなかったのに。最後に、そんなの、ずるいなー。もう」
照れくさそうに言う。そして、涙を拭い、笑った。
「ありがとう。あたしもあんたと会えて良かった。生まれてきて良かった。本当に今までありがとう。元気でね」
そう言うと、知子の姿はゆっくりと消えていき、最後に一筋の光が残った。光は何週かゆっくり私の周りを回ると、そのまままっすぐに天へと昇っていった。
私はその光が見えなくなるまで、ずっとずっと、眺めていた。
――――――――――――――
私が訪れた時、彼は川原に腰掛けていた。
「今日も面白いことで、見事散らしてください」
「おう、任せとけ」
彼が張り切った声を出す。目を真っ赤に腫らした私を見ても、彼は何も言わなかった。
「今日はなあ……」
「あ、でも」
私の言葉で彼が止まる。振り返って私を見た。
「うん?なんだ」
「一つ、条件良いですか?」
「おう、いいぜ。なんでも言ってみろ!」
彼は自信満々に答える。
「たまにはロマンチックな感じがいいです」
「ロマンチック……」
私のその言葉を聞いて彼はぴたりと止まった。
その時彼は数百本ものゴボウとニラを川に流している途中だった。
今日は一体何をする気だったのだろうか……。
「ロマンチックは道化の管轄外なんだがな。ま、いいだろう」
そういって彼が指を弾くと、花火セットとバケツが現れた。
川原で、私と彼は2人で花火をして遊んだ。
手持ち花火で空中に絵を描いた。ロケット花火を対岸まで飛ばしたり、ヘビ花火をライターであぶって笑ったりした。
いつのまにか彼は浴衣を着ていた。ふと体を見ると、私も浴衣を着ていた。
「ようし。準備はいいな。あ、あんた、もうちょっと離れてな」
小さな噴射型の花火を川原を掘って作った平らな場所へと置きながら、彼が言った。
あれだったら知っている。
導火線に火がつくと、綺麗な火花が箱から放出されるヤツだ。でも、なんでこんなに離れる必要があるのだろうか。私と花火との距離は二十メートルは空いていた。この距離でも遠すぎるくらいだ。それでも彼は尚離れろという。
「よし」
そうこういっている間に、彼は導火線に火をつける。それからダッシュ、私の横まで滑り込んだ。
「ちょっと、大袈裟じゃないんですか」
「し、見てな」
彼がそう言った次の瞬間、箱から火花が打ちあがった。
ひゅるるるると音を立て天高く昇っていく。
そして、50メートルも上がった地点で、炸裂した。
赤と青と黄色の混じった、鮮やかな打ち上げ花火だった。
「綺麗……」
私は思わず声をあげる。
「だろう?」
それから彼が何個も小さな花火に火をつけると、それらは皆大きな打ち上げ花火となって真っ暗な空をカラフルに飾り付けた。私はそれを見ては、たまやー、かぎやーと声をあげては、大はしゃぎした。
そして、打ち上げ花火が終わると、川原の大きな石に座って線香花火に火をつけた。その線香花火は持続時間が長く、火がついてから三分経っても火花を散らせ続けていた。
「こんな線香花火も悪くないですけど、いまいち情緒に欠けますねえ」
「まあな」
そんな会話をして2人で笑いあう。
「……ねえ、なんで缶コーヒーなんですか?」
私は前々から聞きたかったことを聞いた。彼は特に面白くもないといった顔で笑い、
「サービスだよ」と答えた。
だって道化っぽくないだろう、と彼は続ける。
「一番最初、『コック』の能力と被ると思ったんだ。天罰を喰らうんじゃないかって。でも、大丈夫だった。神様の野郎を出し抜いた気がして、嬉しくなってな。だから、缶コーヒーをつけることにしたんだ」
子供みたいな顔で子供みたいなことを言って笑う彼を見て、微笑ましく思い、気が付いたら私も笑っていた。
「『コック』なんてのもあるんですね。なんかそれも大変そう……。あ、でもおモチは?」
「あれは、過程が道化だから許されたみたいだ。それに素モチ食べさしてそれのどこがコックだよ?」
「確かに」
そういって2人して笑った。
「今日、私の友達がいきました」
何でもない話の続きみたいに、私は言った。
彼は頷き、空を見上げる。
「ああ、ここから光が昇っていくのが見えた」
彼も見送ってくれていたのだ。それを聞いて私は嬉しくなって、泣きそうになった。
「さっきの花火、見えたかな」
私が独り言のように呟く。
「ああ、きっと、見えたさ」
彼も独り言のように呟いた。
それから私達は、しばらく空を眺めていた。




