続く日々
そして、それから何日も彼と遊び倒した。
川で泳いだ。空を飛んだ。ビルを破壊した。
ありとあらゆる遊びにより、彼と私は毎日襲い掛かってくる死を散らせていった。
そんな日々が、ずっと続いた。
私の中で生きる気力は十分なほどに高まっていった。
しかし、それでも肝心の死の衝動は収まることを知らず、ただただ毎日行われる生と死の均衡状態が続くだけだった。
それはいつまでも永遠に続く追いかけっこの様だ。逃げることは可能だが、決して目の届かない場所まで逃げ切ることは出来ない。
そして、そのうちに私の心は焦り始めた。一体いつまでこの永遠の時間を過ごすのか。
毎日死を散らす行為は行われている。しかし、それは結局は現状維持を続ける為の策でしかない。決して前には進めないのだ。私自身から生じた世界で、私自身の気持ちが要であるにも関わらず、打開策にも皆目見当が付かず、そのことが私自身を苦しめた。
その一方で、彼との時間は私にとって、ただ私自身を助ける手段というだけでなく、私の心にとっても大切な時間へと変質を遂げていた。
このまま、この時がずっと続けばいいと思うことすらあった。しかし、それではいけないことも同時に分かっていた。そもそもが、いつまでも続けばいい時間であってはならないのだ、この世界は。
私の中の生と死が追いかけっこをしているのと同じ様に、私の心も二つの思いで揺れ動いていた。
この世界を抜け出したい自分といつまでも彼と遊んでいたい自分。これは死の衝動や、無意識に私を縛るルール等ではない。今、現在の私の中の心が二分化した思いだった。それは私の中でどちらも等しく正しく、どちらも等しく大事な気持ちだった。
だが、いつまでも立ち止まっている場合ではないことぐらい分かっていた。
気が付かない振りをしながらも、なんとなく頭の中にある、現状を打破するある一つの方法が、私にはあった。
そもそもが、追いかけっこをしている内は、いつまでも私は死から逃げることしか出来ない。
それでは生の攻め手がないではないか。
逃げるのではなく、攻める。
それが、私が考え出した方法だった。
私が正面から私の死と立ち向かう。
しかし、それは必ずしも良い結果をもたらす方法とは限らない。
最悪の結果にも成り得る。
「つまり、屋上に行ってみるってことか」
私は彼に、自分が屋上に行って今一度現実、そしてこの世界での『死』と真正面から戦うと言ってみた。
それを聞いた彼の顔はいつもの興味なさげな態度なのだが、少し渋い表情だった。
「分かっていると思うが、屋上は現実のあんたが実際に飛び降りた場所だ。この世界の中で一番『死』の占有率が高い。つまり、地の利が『死』に有利に働くってことだ。多分、あんたが屋上に立った瞬間、今ここで感じている何倍もの『死にたい』って気持ちに襲われるぞ。分かっているのか?」
今まで彼は一度たりとも校舎の中で遊ぶことはなかった。
それはつまり、そういう理由だったのだ。
だが、それでも――
「それでも、いや、だからこそ一度行ってみないと駄目だと思うんです」
「一度って……それが最初で最後になったらどうするんだ。死の衝動に負けてフラフラと屋上から……てなことになったら、その時点でゲームオーバーなんだぞ。慎重に考えろよ」
感情を抑えてはいない。彼には珍しく強い口調だった。彼のこんな険しい顔を見るのも初めてだ。
「それでも、このままこの状態が続いても、一緒です。ただ何も進まないだけ。毎日の繰り返し――」
「死ぬよりはマシだ!」
彼が叫ぶ。
「簡単に考えるな。危険過ぎる。死んでもいいのか?あんたは生きるって決めたんだろう?自分で決めたんだろう。だったらもっと慎重になるべきだ」
彼の言うことはもっともだ。今の状態の私が屋上に行くのは自ら死ににいくのと変わらないのかもしれない。だが、このまま今の状況下で物事を考えても、同じなのではないか。
「言いたいことはよく分かります。あなたの言う通り、私は生きたい。現実に帰りたい。その為の手段を考えるべきなのも理解できます」
「だったら」
「そして、考えた結果が……私が直接死の衝動と対面すること。やはりそれなんです。いつまでも逃げていたら、永遠にここで遊んでいたら、何にも変わりません」
「いや、だが、かといってそんな危ないこと………………ぐわあ!!!!」
「……!!!」
突然、彼の顔が苦痛に歪む。
まるで体に電気が走っているかのように全身がビリビリと震えている。
「うおおおおおおお!」
「ちょっと!大丈夫ですか?」
彼に近寄る私。
「触るな!」
彼に触れようとした手が止まる。
彼の体にはまだ衝撃が走っているのだ。苦痛から、額に汗が流れる。それを、私はおろおろしながら見ていることしか出来ない。
そして、10秒ほどの時間が経ち、彼はゆっくりと、地面に倒れた。
「大丈夫ですか!?」
彼に触れようとしたが……。
「?」
触れない。目の前に見えない壁があるかのように、私の手が彼の背中に触れることを阻んでいた。彼の背中からはまるで燃えているのかと思う程、煙が上がっている。
「どうしたんですか?一体何があったんですか?死んじゃったんですか?」
今にも涙がこぼれそうになりながら、必死で叫ぶ。どういうことなんだ。本当に、一体何があったんだ。
「死んで……ねえよ。いや、まあ、死んではいるんだが。そういう意味じゃ……なくね」
彼がうめく様に答える。死んではいない。私は安心した。だが、今のは……。
「今のは、一体?」
私は彼に尋ねる。
「ちくしょう……」
彼は俯きに倒れたまま、悔しそうに唇を噛む。
「ざまあ、ねえな。今まではちゃんと自制してたんだが、ちょっと熱くなりすぎちまったよ。『道化』の役目の枠を超えちまった。ルール違反ってことか?神様のおっさん。くそ、天罰のつもりかよ…… 」
そういうことか。
私は理解した。彼は道化。あくまで道化としての行動しかこの世界では許されていない。しかし、彼はそのルールを超え、私に助言を与えすぎてしまったのだ。それで神様は彼に罰を与えた。今のは、そういうことだったのだ。
つまりそれは私のことを本当に心配してくれたということで……。
「すいません。私のせいで」
彼は地面に横たわったまま、首を振る。
「いや、悪いのは俺の方だ。道化の癖に偉そうに、喋り過ぎた。忘れてくれ。出過ぎたマネだった。あんたに直接干渉しない、って言ったのは……俺の方なのにな」
自嘲気味に笑う。そうして彼はしばらくそのまま道路に寝そべっていた。
彼がそんな状態だったため、私たちはその日はその後、指相撲をして遊んだ。
遊びを交えなければ私達は触れ合うことも許されない。そんな私達の姿は今どこかから眺めているであろう神様にとって、さぞ哀れでおかしい道化に見えることだろう。
これも全て元はと言えば私達の自業自得なのだが、それは分かっているのだが、それでも……まだ一度も見たことのない神様を憎らしく思った。
彼が立ち上がれるほどに回復したのはそれから一時間後だった。
「さっきの話だが、あんたの好きにしなよ」
ゆっくりと立ち上がりながら、彼は言った。
「まあ、ずっと言ってるように俺はあんたが生きようが、死のうが、どっちでも構わないんだからな」
「…………はい」
嘘つき。そんな私のせいでボロボロな体で言われても、全然説得力がなかった。
彼はポケットから缶コーヒーを取り出すと、私に渡した。
「じゃあ、また、明日な」
そう言って彼は背中を向け、帰っていった。
その背中を私はずっと見つめていた。私がこの世界から抜け出す方法。きっとそれは多分私の予想通りなんだと思う。彼だって心ではそれしかないと分かっているはずだ。
それでも、さっきの彼は私を止めた。
止めてくれた。彼には手痛いお仕置きがあったが。そんな彼には大変申し訳ないのだが……私は嬉しかった。
彼の本音に初めて触れた気がした。
それだけで充分。
充分だった。
歩き出さなければ。私が向き合わないと、意味がない。変わらないと、進めない。
そして、私には思い出したことがもう一つあった。
それはとても簡単で、とても大切なことで、それこそ全ての原因とも言える出来事。
それともちゃんと向き合わないといけない。
この世界を抜け出す前に、私にはまだやらなければならないことがある。




