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我慢比べ

 ムラクモがわたしの背後に隠れた。


 いや、無理だって。体の大きさが違い過ぎる。


「そう? 知らない人からは貰ってはいけません、って教わったのだけど」


 それって、「付いていっちゃいけません」の間違いでしょ。


 ・・・


 だーかーらーっ。もう、振り込んじゃったんだから、いいじゃない。


「そうね。親子ならいいのかしら? でも、親子でもしていいことと悪いことがあると思わない?」


「そうですねー」


 でも、親子じゃないし。


「・・・ねえ? お話しする人の顔を見ないのは失礼だと思わない?」


「そうですねー」


 ムラクモは馬房の隅に座り込んでしまった。アンゼリカさんに尻を向けて。いい度胸だ。正確には、へたり込んで、というべきかもしれない。アンゼリカさんが何か言うたびに、背中がびくびくんと震えている。耳も神経質に動かしっぱなしだ。筋肉痛にならなきゃいいけど。


 もっとも、わたしもムラクモの隣に座り込んでいる。アンゼリカさんに背を向けて。

 話を聞く気はない。という、意思表示。なんで怒られているのか判らないから。


「ヴァンや王様が何をしたのかは知らないけど、わたしにまで八つ当たりするなんて、ひどいわ」


「八つ当たりじゃなくて、弁償金ですってば」


「人の嫌がることをしちゃいけないわ」


「向こうが先に手を出してきたんだから、正当防衛、いや正当報復なの! それに不要品を有効利用してもらうのに、遠慮する方がおかしい」


「これ、不要品なのかしら?」


 ぴらぴらと紙を振る音がする。


「そうだよ?」


「お金は不要品じゃないわ」


「あぶく銭は、身に付かなーい」


「そうじゃないでしょ?!」


 不要品の定義とか、臨時収入の使い道とか、そんなことを言い合っていたところに、勇者が現れた。


「あ、あのー。女将さん? 夕食、お持ちしましたぁ」


「あら。あらあらあら。もうそんな時刻?」


「食堂は、もうぅ閉店しました」


 夕食、ではなくて、夜食だよ。


「「・・・」」


 馬房の外の通りは、すっかり喧噪も収まっている。


「こちらのお客様のお部屋も用意しました、よ?」


「メイラ、さすがだわ」


「恐れ入ります」


 普通だったら、気が利く女給さんだと手放しで褒めるところだ。しかし。


「違うって! 泊まるとは言ってないし! 身分証持ってないし!」


「お客様ではなくて、わたしの娘よ」


「そうでしたか」


「違う〜ぅ! 悪役ななしろなの!」


「アークヤックァーナシィロナ? 珍しいお名前なんですね」


 床に手をついてしまった。どこをどう聞いたらそう聞こえるんだ。


「ななしろちゃんよ。よろしくしてね」


「そうでしたか。私はメイラと言います。ナーナシロナさん、よろしくお願いしますぅ」


「ご丁寧に。どうも」


 手燭の光でも、にこにこと微笑んでいるのが判る。調子狂うなぁ。


「ななちゃん。遅くなったけど、お食事にしましょうか」


 わたしは、ウェストポーチから干し肉を取り出して齧る。


 びきっ


 何かがひび割れたような音がした。かもしれない。気のせいだ、うん。


「・・・どういう、つもり、なのかしら?」


「お客様じゃないし。料理も頼んでないし」


「あら。家族と食事をするのにそんな物が必要なのかしら?」


「悪役ななしろに、そんなものはいないもん」


 びきききぃっ


「あ、あのっ。ナーナシロナさんっ? そんな事言ったらっ」


 メイラさんが慌てふためいている。


「ななちゃん。本格的に、「お話し」する必要があるみたいね。メイラ?」


「はいいいいっ!」


 メイラさんの声が引き攣っている。


「朝食もお願いするわね」


「承知しましたぁっ」


 ドタバタと遁走して行ってしまった。気の毒に。


「むやみやたらと威圧するものじゃないでしょ」


「誰の所為なのかしら?」


「アンゼリカさんが、勝手に怒ってるだけだもん」


「ななちゃん!」


 局地的落雷警報が発令した。




 馬耳東風。馬の耳に念仏。のれんに腕押し。糠に釘。


 アンゼリカさんのお説教を、必死に聞き流した。うっかり反応したら、また、ずるずると引きずり込まれてしまう。

 わたしは、悪役。人の話をまともに取り合わないのも、悪人修行。聞こえないったら聞こえない。


 ただ耐えるのも、芸がないな。ヨレヨレになった上着を補修しよう。ランプと裁縫道具を取り出す。伸びてしまった部分を切り離し、別の生地をはぎ合わせた。

 うーん。伸びきったとはいえ、捨てるのはもったいない。しかし、小袋は十分な数があるし。上着の飾りにしてみるか。襟周りのフリンジはどうだろう。やだ、いいじゃん。西部のカウボーイっぽい。端切はまだあったはず。おし。上着のあちこちに付けちゃえ。


 つん つん


 ムラクモに肩を小突かれた。


「おや?」


 肩で息をしているアンゼリカさん。


「わたしの、話を、聞いて、なかったの、かしら?」


 細工に集中していて、全然気が付かなかった。すっかり夜が明けている。


「悪役ななしろは、小さいことは気にしなーい」


 うん。自分の背丈も含めて。ぐさぁ。そうだ、今度、シークレットブーツも作ろう。


「ふっ。ふぐっ」


 ?


 床に座り込んでしまった。話し疲れちゃったかな。


「あ、ああ、アルちゃんが、不良になっちゃったーっ」


 え? あの、あのアンゼリカさんが泣き出した?!


 宿泊客から預かっている騎獣はいなかった。つまり、今、厩舎にいるのはムラクモだけ。でも、ちゃんと世話をしてくれている。ということで、厩係さんがやってきて。


「女将さん?!」


 彼が目にしたのは、泣きじゃくるアンゼリカさんと、馬房の隅で震えているムラクモと、知らぬ存ぜぬを貫くわたし。


「何が、あった、んです、か?」


「えーと。おしゃべりに疲れた?」


「ひっく、ひどいわぁ〜〜〜っ」


「・・・」


 端から見たら、カオスな世界。かもしれない。きょろきょろと辺りを見回し、でも、何も解決手段を見いだせなかった下男さんは、大慌てで宿に駆け戻って行った。


「メイラさーん、クララさーん! たたたた大変だぁっ!」


 いや。アンゼリカさんも連れていってもらいたかったんだけど。疲れてるみたいだし。

 それに、アンゼリカさんが、馬房の入り口を塞いでいる。ねえ。わたしをここから出してよ。


「あんなに可愛かったのにっ。どうして、どうしてっ?」


 可愛い? アンゼリカさんの目には、特殊レンズが標準装備されているんだろうか。


 首を傾げていたら、今度は、涙の賢者様回顧録朗読会が始まった。


 それは、それだけはやめて。メンタルダメージが、精神力がごっそりと削られるぅ!


 「森の子馬亭」従業員が馬房に集まってきたとき、先ほどとはまた違う状態に。

 藁くずを投げつけながら、ぶつぶつとしゃべり続けるアンゼリカさん。馬房の床にぐったりと横たわるムラクモ。背中を丸めて気力を振り絞り、細工を続けるわたし。


「お、女将さん? 一体、何が」


「娘が、娘がおかしくなっちゃったぁ」


 しゃくりあげるアンゼリカさんが、わたしを指差す。おかしいとは失礼な。


「ボクは、悪役ななしろなの。目指せ、脱・お人好し」


「「「「・・・」」」」


「ああーん。お母さんが悪かったから、正気に戻ってーっ」


 馬房の柵を握りしめて、がたがた揺さぶるアンゼリカさん。わたしは、いつでも正気だってば。それはともかく、そろそろ馬房を開けて。


 アンゼリカさんの精神攻撃を耐え抜き、ようやく上着の細工が終わった。というか、弄っているうちに止まらなくなった。

 不揃いなフリンジを上着全体にちりばめて、その所々に、木切れや水晶で作ったビーズを括り付ける。本当は、金や銀でメッキしたかったんだけど。帽子と篭手、ウェストポーチの皮カバーにも、ビーズを付けた。

 派手な押し出しで、相手にインパクトを与える。どうだろう。


「ちょっと、クララ。朝っぱらから何なの」


 不気味な沈黙が支配する厩に、更に役者が増えた。クララさんが呼んできたらしい。登場人物が多すぎる。


「だからっ。女将さんがっ」


「母さんがどうした、の・・・」


 わたしは、出来上がった上着を身に着ける。それをまじまじと見た、見てしまったフェンさん。


「・・・何それ。ありえない。やめてよ」


「何が〜?」


 くるっと回ってみせた。どう? いかにも悪役でしょ。


「フェン〜。お母さん、もう、どうしたらいいのか判らないのよーっ」


 フェンさんに取り縋って泣きじゃくるアンゼリカさん。でも、フェンさんの目は、わたしに釘付け。


 よし、成功だ。


 フェンさんに注目してもらえるぐらいには、いい感じに仕上がったようだ。忘れてた。ズボンも細工しないと。


「ねえ。誰か説明して。何が、どうして、こうなっちゃったの?」


 フェンさんが、呆然とつぶやく。


「悪役ななしろが、活動を始める準備だよ」


 本人から、簡潔にアピールしよう。


「なにこの可笑しい人は」


「ちょっと。本人を目の前にして、それ、ひどくない?」


 判りやすく説明したってのに。


「母さん?」


 フェンさんの問いかけにも答えられず、泣き続けている。なんでかなぁ。再出発を祝ってくれてもいいでしょうに。


「だめだわ。今日は食堂を閉じた方がいいわね。それと」


 フェンさんが、従業員の人達に指示を出す。


「これから悪役ななしろの宣伝に行ってくる」


 すかさず、わたしも宣言した。


「だめーーーーっ!」


 びたん


 ムラクモが、ズボンの裾を咥えていた。ついでに寝藁にも足を取られて、素っ転ぶ。そこに、アンゼリカさんの絶叫あんどボディプレスが炸裂。


「だめよ、だめだめ。そんなことしちゃいけないのよ」


 のしかかった体勢で、わたしの頭を抱えこんだ。いやその、押しつぶす方がよっぽどひどいって。顔、痛かったし。苦しいし。


「せっかく作ったんだから、お披露目したいもーん!」


 アンゼリカさんが馬房に入ってきたとき、扉は開かれた。ふはは。前途は明るい。


 だからムラクモ、離してってば。


「フェンさ〜ん。どうしましょうぅ」


「あー、えーと。収拾つかないわね、これ。どうしよう」


「「「・・・」」」


 メイラさん、フェンさん、厩の世話人さん、その他いっぱい。馬房の中でじたばたもがくわたし達に、云く言い難い視線を向けている。


「母さん。とりあえず、そこのとち狂ってる人、落としちゃったら?」


「そ、そうね」


 落とすって、そう簡単に。あれ?




 奇怪な衣装をまとった少年は、往年「舞姫」の異名を取っていたアンゼリカの手によって、瞬時に気絶させられた。


「もう。さっさと寝かしつけておけばよかったのよ」


 ため息まじりに、ぼやくフェン。


「そうよね。もう、すっかり動転してたみたい。助かったわ。あなた方にも心配かけて、ごめんなさいね」


 アンゼリカが落ち着きを取り戻した事で、従業員も目に見えて安堵した。


「女将さん。それで、今日のお店はどうしますか? もう、食堂の準備はできています、けど」


「さすがよ、メイラ。お店は、任せるわね」


 藁くずを叩き落としながら立ち上がり、アンゼリカが指示を出す。


「それで、こちらの、ナーナシロナさん、は?」


「ええ。暫く、目が離せそうにないわね」


「ナーナシロナ、って。母さん?!」


 フェンが、突っ伏している少年、もとい、ななしろを見つめた。ようやく立ち上がったムラクモが、鼻先で突つこうとしている。


「だめよ、ムラクモさん。起こさないでね」


 声を掛けられて、アンゼリカとななしろに交互に顔を向けた。


「こんな格好で街に出たら、大変な事になっちゃうでしょう? そうだわ。「悪役」って、なんのことなの?」


 ぶんぶんぶぶん!


 何も知りません! を繰り返すムラクモ。


「誰なら知ってるかしら、って、王様? それとも王妃様かしら」


 大きく肯定する。


「ちょっと。母さん。また王宮に喧嘩を売るつもり?」


 フェンの台詞を聞いて、メイラを始め、従業員達が一斉に引く。


「あら。先に手を出してきた方が悪いのよ」


 にっこり微笑むアンゼリカに、一同の体の震えは止まらなかった。




 アンゼリカの手紙に肝を冷やしたのは、王宮、それも国王と王妃で、あわてて迎えの馬車を差し向けた。


「本当に、どうしていいか判らなかったのよ?」


「申し訳ございません! レオーネが、娘がお手を煩わせたばかりか、その、ナーナシロナ様まで」


 王妃が、アンゼリカに頭を下げた。


 本来ならばあり得ない光景だが、王妃にとって、アンゼリカは、国王と結婚する直前まで、親身になって世話をしてくれた恩人なのだ。どれだけ謝罪を重ねても、気が済むものではない。


「この二年半、きちんと職務に励んでいると報告を受けていて、油断していました」


 国王まで、謝罪する。


「ちがうでしょう? レオーネちゃんが我慢に我慢を重ねていただけじゃないの?」


「ですが。王族として我を押さえるのは当然です」


「それを、あなた方はきちんと教えたのかしら?」


「「!」」


 病弱な弟が生まれてから、母親は彼に付きっきり。父親も責務に追われて、めったに声を交わす事もなかった。もちろん、レオーネも、事情は理解していた。それでも、寂しい事に変わりはない。賢狼殿や専属女官に大事に扱ってもらえばもらうほど、滅多に家族と触れあえないことがつらくなった。


 彼女なりに、努力はしていたのだ。もっとも、我慢しきれなかった何かは、美食探求という明後日の方向に振り向けられたようだが。


「レオーネちゃんのことは、あなた方家族の問題よ。わたしは、もう何も言わないわ」


「「・・・」」


「ところでね?」


 柔らかな声なのに、国王、王妃、そして宰相まで、背筋が凍り付いた。


「ななちゃんが、悪役になるんだ! って、言ったのよ。どういうことかしら。理由を知っていたら教えてもらえないかしら?」


「アンゼリカ様。その、ですね?」


 王妃が、しどろもどろになりながら、レオーネ遁走からの一部始終を説明する。


「誰が、我欲を抑えてるのかしら?」


 砦で大量の料理を依頼した話を聞いて、アンゼリカは深々とため息をついた。


「すみません! でも、でもですね? アル様がお帰りになられたと聞いて、いつ会えるか楽しみにしてたのに、王宮にもお越しになられたというのにフェルってばちっとも呼んでくれなくて! それでも会えると思って待っていたら、ローデンにも来なくなってしまったし。それもこれも、フェルのせいなのに。それはそれで、レオーネが迷惑かけたお詫びに、ちゃんと謝罪するつもりだったんですよ? でも、アル様のお顔を見ただけでもう、嬉しくて。うれし、くて、つい・・・」


 捲し立てていた勢いも、自分の行動を思い返してみればレオーネを非難できないかも、と尻すぼみになってしまった。


「んもう。それで、どうして悪役になる、なんて話になったのかしら」


 誰も、答えられなかった。

 頭のねじが飛んでます。

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