指輪
脱衣所には、一葉さんと双葉さん以外、誰も居なかった。
ウェストポーチから『温風』の杖を出して、シャツや手ぬぐいもろとも全身を乾かす。着替えて、身なりを整える。
更に、深呼吸を繰り返す。
武器よーし。魔道具、よーし。気合い、よーし!
と、決意も新たに客室に戻ってみれば。
・・・なにこれ。ひとがいっぱい。
兵士さん達が、部屋に駆け込んでくる。そして、すぐさま、メイドさん達に叩き出されている。そう、鞭で。これは痛そうだ。
彼女達の足元には、猿ぐつわを噛まされた緑色の蓑虫が横たわっていて、ジタバタもがいている。兵士さん達は、それを取り返そうとアタックを繰り返しているようだ。が、メイドさんの鉄壁ガードを前にして、近寄ることすら出来ない。
強いなー。
「ナーナシロナ様。重ね重ね申し訳ありませんでした」
「これからきちんとしつけ直しますので、少々お待ちください」
「いけない。すぐにお飲物を用意致します。どうぞ、こちらに」
兵士さん達の侵入を阻止している人の他にも、何人ものメイドさんがいる。
あれよあれよという間にソファーに座らされて、すぐさま暖かい香茶が差し出される。ああ、おいしい。
・・・じゃなくて!
「ご安心ください。責任者を呼び出しました。もうじき出頭してくるはずです」
「夕食前ではありますが、よろしければこちらもお召し上がりください」
クッキーとか干した果物などの盛り合わせも出てきた。あ、これもおいしい。
・・・そうじゃなくて!!
「いかなる理由があったとしても、入浴中の女性がいらっしゃるところへ押し掛けるなんて。言語道断です」
「十歳の子供でもわきまえているべき常識ですよ?」
「女官長様の退職発表が早すぎたのかしら」
うわぁ。王族を足蹴にして言いたい放題。加えて、見下ろす視線の冷たいこと。
蓑虫は必死に釈明しようとしている。でも、口を塞がれていて、何を言っているのか判らない。
「三葉、四葉。そろそろ放してもいいんじゃない?」
ぎゅう〜〜〜〜〜っ
さらに締め付ける三葉さんと四葉さん。蓑虫は苦しがって、更にもがく。こりゃだめだ。注意だけはしておこう。
「あ〜、絞め殺しちゃ駄目だからね?」
それぞれ、蔦の先をぴっと振って、了解の意を示す。蓑虫は涙目になって、慈悲を乞う。
でも、ごめん。ボクには止められそうにない。
真っ先にやってきたのは、ウォーゼンさんだった。
兵士さん達とメイドさん達でびっしり埋まっている客室に、一瞬棒立ちになる。それでも、のほほんとお茶しているボクに気が付くと、顔が緩んだ。すぐさま、兵士さん達の人員整理を始める。
次に到着したのはペルラさん。厳しい顔をしたメイドさん達と床の蓑虫を見て、何となく状況を察したようだ。
「後は、わたくしが」
メイドさん達も引き上げさせるようだ。
「存分に、成敗してください」
立ち去り際に、耳打ちしていくメイドさん。とたんに、ペルラさんのこめかみに青筋が立った。
メイドさん達と入れ替わりに、宰相さんが駆けつけた。
「ナーナシロナ殿はご無事ですか?!」
いやだから。なんで王宮内でそういう台詞が出てくるの?
「そうですか。宰相様のご指示でしたか。いかなる意図があっての采配でしょうか?」
ペルラさんが鬼の形相で宰相様に詰め寄る。ボクが口を挟む隙もない。
「俺のところには、何も連絡がないのだが。今、聞いた話では、陛下付きの騎士がロナ殿の安否を確認するよう勅命を受けて、客室に向かったらミハエル殿下が侍女達に折檻されていた、と。
宰相殿?」
ふうん。スーさんの命令だったんだ。でも、何故?
宰相さんは、顔中に汗をかいている。
「そ、その前に一つ確認を。ナーナシロナ殿、あの指輪はどうされました?」
指輪って、あれかな?
巾着袋を逆さに振って、空になった香茶カップに落っことす。
それを見て、宰相さんは床にへたり込んだ。
「まあ。王家の指輪ではありませんか。・・・ナーナシロナ様、今、どこから取り出されました?」
ペルラさんも、何やら渋い顔をしている。
「この袋に入れてから、ポーチにしまってた。けど、それがどうかした?」
ペルラさんは、あわてて室内を見渡し、五人しか居ないことを確認してから【遮音】結界を張った。
ペルラさんの合図で、宰相さんが口を開く。
「副団長。くれぐれも内密に願います。指輪の装着者が瀕死状態になったり、最悪、死亡したりすると、陛下の指輪が光るようになっています」
なんとまあ。SOS発信器になっていたとは。いや、ちょっと違うか。
「もしかして、コンスカンタで行方不明になられた時も?」
ウォーゼンさんが確認する。
「そうです。あの時は、会議中にいきなり光ったものですから、大混乱になりました」
「その時に、さっさと死亡手続きしてくれればよかったのに」
「そうは参りません!」
「そもそも、指輪なんか渡さなきゃよかったんだ」
「ですから! そう言う訳には」
「宰相殿。その指輪をはめていないと陛下が光るのか?」
ウォーゼンさん、それは違う。宗教画の神様仏様じゃないんだから。
「それだったら、昨日のうちから光りまくってるはずだけど」
「どういうことだ?」
「ボク、ずっとポケットに入れてたんだ」
「宰相様。陛下が異常に気付かれたのはいつですか?」
「およそ半刻前です。私が同席しておりました」
「ロナ殿。その頃、何をしていた?」
「お風呂に入ろうとして、汚れたシャツのポケットから、こっちの袋に入れ替えた」
「ただの布ではないのか?」
ウォーゼンさんが、巾着袋を手に取って首を傾げている。
「それ、トレント変異種で作った布」
三人の顔が引きつった。
「それですわ!」
ペルラさんが断言した。
「何が?」
「おそらくは、陛下の指輪が、これの存在を関知できなくなった事を異常と認識したのでしょう」
あ〜。エト布は魔力遮断能力もあるから、そういうこともあるのか。
最初に貰った王宮謹製身分証につけられたマーカーの強力版、なのだろう。指輪をウェストポーチにしまえなかったのも、術式が反発していた所為か。気付かなかった。
「ま、それはどうでもいいか」
「どどどどーでもよくないですっ」
宰相さんがどもった。
「とにかく。スーさんが、指輪を通じて、ボクに何か災難でも起きたかと早とちりして、兵士さん達を突入させた。で、合ってる?」
「それは、その。その通りです」
「じゃ。壊そう」
指輪をつまみ上げる。
「「おやめください!」」
ペルラさんと宰相さんが、ソファーに座るボクの両腕に取り縋る。
「王族でもないボクが、こんなものを持っているから騒ぎが起こるんだ。諸悪の根源は、完膚なきまで叩き潰す!」
「諸悪の根源とはあんまりですっ!」
「ロナ殿、待ってくれ!」
ウォーゼンさんも参戦。正面から両手首に掴み掛かる。
三対一の力比べになった。汗だくになって、ボクの腕が動かないよう押さえつけている。
でも、ざーんねんでした!
ちょっと力を抜いてやると、三人とも構えが崩れる。その瞬間、ウォーゼンさんの胸を蹴り上げる。
「はぐっ」
テーブルに頭をぶつけないように、と思ったら、テーブルの向こうに飛んでいった。ちょっと勢い付けすぎたか。
「「え?」」
そして、両手を振り上げれば、二人はおもしろいように床に転がった。
「わっ」
「きゃっ」
「はい。ボクの勝ちぃ〜」
「どうか、どうか話を聞いてください!」
今度は、宰相さんが土下座を始める。
「聞いてあげる義理はないよね?」
「ローデンは、賢者様には返しても返しきれない恩がございます。武技魔術において比類無きお力をお持ちである事、重々承知しております。我々の助力等、常ならば必要とするどころかお手を煩わせるばかりとなりましょう。ですが、政治的経済的問題に巻き込まれた時にお一人だけでは解決できない事も多々あります。万が一、そのような事態に陥られた時に、その時こそ我々が、我々に少しでもご協力させていただけるよう、その誓としてお渡ししたものなのです」
ボクの台詞を無視して、一気に捲し立てた。それを聞いていたペルラさんとウォーゼンさんも慌てて形を改め床に膝をつき頭を下げる。やめてよぅ。
「万でも億でも、その時に考えればいいじゃない」
「賢者様への感謝と誓を込めた品でもあるのです」
「でもさ。渡された事自体、厄介事の固まりだよ?」
浴室に飛び込んでくるなんて、冗談でも止めて欲しい。
「・・・」
「それに、何も知らない人が指輪を見たら、今度は王宮が軽く見られたりしない?」
本来、王族しか持たないはずの品が、馬の骨の小娘の指にあったりしたら、その方が問題だろうに。そもそも、ものすごく目立ってしまうじゃないか。
「・・・・・・」
「だいたい。感謝とか言ってるけど、ローデン王宮は口実付けてボクとの結びつきを強めたいってだけでしょ」
ミハエルぼっちゃん然り、レオーネ姫様然り。子供の面倒は親が見てくれ。通りすがりの赤の他人に押し付けるんじゃない。
「・・・・・・・・・」
「いい? ボクは鎖を付けられて喜ぶ趣味はない」
「決してそのような事は!」
「ボクの意思を無視してるんだから、そう判断されても仕方ないよね」
「ですから、そのような意図は・・・」
「なんの説明も無しに勝手に騒動起こして巻き込んで」
「違います! 違うのです!」
宰相さんが、必死になる。でも、さっきの話は、強引なこじつけとしか思えない。納得できないね。
「なんで、ボクの話を聞いてくれないのさ」
「・・・あの、ナーナシロナ様のご希望とはどのようなもの、でしょうか?」
嗚咽し始めた宰相さんに代わって、ペルラさんが質問してきた。
「身軽で静かな隠居生活」
「無理ですわ!」
「無理です!」
「無謀だ・・・」
ウォーゼンさん、その感想はないでしょ!
「だからさ。王宮が関わってきている時点で、もうボクの理想ぶちこわしてるし。放っといてくれるのが一番なんだってば」
「それも、無理がありすぎるぞ」
「なんで?」
「ロナ殿の普通は、普通じゃない。関わらないわけにはいかない」
ちょっと、なにそれ!
「ナーナシロナ様の存在は、先日の騒動で知る人ぞ知るところですの。黙っていらしても目立っておられますわ」
「王宮でなんとかしてくれるんじゃなかったの?!」
「その。職員達が嬉々として広めてしまいまして・・・」
駄目じゃん。
「わかった。他人を当てにしたのが間違いだった」
「え?」
「二度と人に会わなければ、目立つも何もないよね。じゃ、さよなら」
コンスカンタに向かう前から、そうするつもりだったし。
「「「それは駄目です!」」」
飛びかかってくる三人を、右に左に捌いて転がす。実力行使じゃ、ボクは止められな〜い。
ソファーから立ち上がると、三葉さんと四葉さんが素早く這い上がってきた。
「おおおお待ちください!」
ようやく自由になれたミハエルさんが、猿ぐつわを毟り取ってボクの足下に転がり出てきた。立ち上がるよりも早いからって、王弟様の行動じゃないでしょ。
「私の短絡的な行動でご機嫌を損ないました事深くお詫び申し上げます。いかような罰もお受けしますからどうぞお留まりください!」
「えーと。さっきの蓑虫で十分だけど?」
かなり苦しそうだったし。
「いいえ。全然足りません。足りてませんから」
「それじゃあ、ミハエルさんも騎士団訓戒の書き取り六十部」
「そうではなくてですね?!」
転がされた三人も復活してきた。もー、早く部屋から出たいのに。人目のないところで、さっさと身分証と王家の指輪を処分するんだ。
ひょひょいと身を躱して扉の前に立つ。
がちゃ。
「ナーナシロナ様に、お客様でございます」
あれー?
「はーっ、はーっ。今度は、何を、やらかし、やがった、ってんだっ」
侍従さんが連れてきたのは、荒い息をしているヴァンさんだった。オボロもくっ付いてきていたが、ボクの顔を見るなり踵を返して走り去った。失礼な。
それはともかく。
ヴァンさんにしては、いいタイミングで来てくれたじゃないの。ふ、ふふふ。
「ばらしたね?」
「ああん?」
「ちょいと、お話しましょーか」
襟首を掴んで、部屋の中に引きずり込む。
「ヴァン殿、いいところ、に・・・」
「ナーナシロナ殿が、二度とローデンには来てくださらないとおっしゃるの、です・・・」
部屋の中からも声がかかる。でも、ボクの顔を見て声が尻すぼみになった。
「なんで、そういう、話に、なったんだ?」
まだ息の荒いヴァンさんが質問する。
「スーさんからもらった、もとい押し付けられた指輪のおもしろ機能のおかげでねぇ。ミハエルさんにボクの素っ裸を見られちゃった。で、もー二度と来るもんかって、帰ろうとしてたところ」
「そういう話だったか?」
ウォーゼンさんが肩を落としている。
「判りやすくていいでしょ?」
「途中経過がすっぽ抜けてます!」
宰相さんが噛み付いてきた。いやいや、ちょこっと省略しただけだし。
「後で宰相さんから説明してくれればいいじゃん。
それよりも、ヴァンさん。聞きたい事があるんだ。アンゼリカさんに手紙を出したって? な・ん・で、そんな事をしたのさ!」
アイアンクロウ、とうっ!
「おわああああぁっ! それやめろ! いてて、痛いってんだよ!」
耄碌年寄りの頭を鷲掴みにした手を、少しだけ緩める。
「正直に、答えて、くれる、よねぇ?」
「おおお、おめえが帰ってきた事を女将に黙ってたりしたら、こっちの命がないわ!」
「ふぅん。じゃあ、ボクが、きっちりとどめを刺してあげる」
みしっ
「お、おお、おわぁーーーーーっ。死ぬ、死んじまう。止めろ、放せーっ」
手の下でじたばたもがくヴァンさん。でも、逃がさない。
「それは誠ですか?」
宰相さんの顔色が、増々悪くなっている。
「ヴァンさんの手紙の事? アンゼリカさんから、直接聞いたんだ。おかげで、レンの前では、別人対応してもらえたけど」
「ならっ、いいじゃねえかっ」
「それはそれ、これはこれ。黙っててって言ったのにっ」
「でるでるでる! 中身が出ちまう!」
「いっぺん、丸洗いしておいたら?」
少しは物覚えがよくなる、かもしれない。
「死んじまうだろうが!」
天上の師匠に、稽古付けてもらえるかもしれないよ?
どこまでも、対決姿勢を崩さない主人公。そこまで、けんか腰にならなくても。




