表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/194

殿中でござる

 我が、初めてあるじと出会ったのは、恵み深き森のはずれであった。大地を揺るがす轟と共に降り出した砂の雨に、我を忘れて逃げ出した先で、人族の男と連れ立っておられた。


 たまたま、行き会った狼の小娘どもは、すぐさま主にその身を差し出した。我は、不覚にも傷を負ってしまっている。主に仕えるには分不相応と思い、一度は辞退した。


 それでもなお、主は我を望んでくださった。


 主の懐は暖かく、徐々に我の傷を癒していく。


 なんと、慈悲深く、なんと、力強いお方か。


 このご恩に報いるため、この身果てる時までの忠誠を誓った。何があろうと、お側に侍ろう、と。


 ようやく不自由無く動けるようになったので、懐から出てみれば、主はご自分で駆けて往かれる。この身は傷ついていても早駆けに支障はない。その我を置いてゆく足の速さは、さすが我の主と感服した。


 更には、小娘どもよりも先に、我が身の傷を労ってくださる。


 ああ、主の手の心地よい事。


 だというのに!


 主は、我を放逐なさろうとした。



 この身は既に主の物。どうして、離れられよう。


 小娘どもと共に、主にお仕えすることを懇願し、ようやく認めてくださった。その証に、名を頂いた。ムラクモ。不思議な響きの名だ。我にふさわしい。

 我の角を主に見せたとき、おもしろがられた事はおもしろくなかったが。


 主に従った先で、馬を連れた人族と合流した。どうやら、主は、彼らと同行するご予定のようだ。

 

 これより先は、我が居るのだ。それとも、我の背ではご不満なのだろうか。


 ようやく、我にお乗りくださった。


 うむ。すばらしい。なんと言う喜び!


 先導する馬達が背に括り付けている物がある。乗り手の体を安定させる事ができるようだ。鞍、というらしい。主にふさわしき鞍は、どのような物が良いだろうか。




 東天王の登場に、小娘どもは全力で逃げ出してしまった。


 どのような話をされたか、我には聞こえなかった。かの方を制して有り余る主の威光に、主こそが「魔天の王」ではないか、と気付いた。今更ではあるが、「魔天の王」の近侍として我では力不足ではないかと怖じ気づく。だが、我は誓ったのだ。我は、我に出来る事をするまで。そうとも。


 故に、同行していた馬が逃げ出さないように止め置いた。




 人族は、我らを狩る。それは、彼らの習い。そして、手に入れた物を使って新たな物を作る。それも、彼らの習い。その技があってこそ、ひ弱な人族も[魔天]の恵みを得る事が出来るのだろう。

 主は元から強者である。にもかかわらず、様々な道具を用いられる。我も、見習うべきか。現に、鞍を身につけるようになって、主は我が背にあっても楽にすごせられている、気がする。


 我は、地味すぎると諌言申し上げたのだが、主は、見栄えでなく素材の良さを力説された。

 何かとは、主の為の鞍である。人族に習って、主自らの手で作られた。我が背に備え、主が背乗くださる。

 確かに、これなら少々手荒に走っても主を振り落とさずに済むだろう。いや、そのようなことにならぬよう精進するのだ。




 それはともかく。


 パンという食べ物はなかなかによい。

 主の作られる料理は、さらに美味である。赤根なるものを初めて口にした。はしたなくも、おかわりを所望してしまった。

 主に求められれば、籠でも馬車でもなんでも担ごう。決して、褒美として我が食したいからではない。違うと言うている! そう言う小娘どもも、主の肉料理を旨そうに食らっていたではないか。


 ようやく、妙な気配のする卵を手放された。預かっていた我も、一安心である。


 道中、主は我らに様々な料理を供してくださった。北天王より供された猫娘すら、小娘どもの力説に好奇心を刺激され、我らが主に従う事を選んだ。

 まあ、役に立たない事もない。同行を認めよう。


 主は、料理のみならず、様々な物をお作りになる。


 特に、馬車。至高の一品と言えよう。凡庸な馬どもでは、役不足である。我とて、主の馬車にふさわしいとは言い難い。だが、いま、この場において他の誰がおろうか。け、決して、我が欲したわけではない。猫娘、その目はなんだ。違うと言っている!


 人族に下賜されるとは、残念無念でならぬ。しかし、主は、再び我に作ってくださると約束された。二度と、他の者にはやらぬ。そう決めた。


 主が先を急がれるという。今こそ、我がお役に立つとき! 夕刻、しゃしゃり出た猫娘には、もの申したいところではあるが、今は、主の願いが最優先である。

 ふーっ。我の全力を尽くした。主は、最後まで我の背に身を委ねてくださった。これは、鞍というものの効果であろうか。今後も大事にせねば。


 主の御寝所に招かれた。太古の森もかくあらんという重厚な魔力に満ちた土地である。小娘どもが怖じ気づくのも無理はない。そんな我らに、主は、印可を授けてくださった。これ以上、主をお待たせするわけにはいかぬ。



 表が何やら騒がしい。人族が我らを差し招いているのか。小娘どもは、真っ先に主の懐から飛び出して行った。落ち着きのない奴らめ。ふむ。主に悪意ある人族ではないようだ。忠義に励むが良い。

 それにしても、狭い小屋だ。む? むむっ、主の部屋であったか。なに故に、かような数の人族が詰めかけていたのか。主に失礼ではないか!


 再び竜を見た。相変わらず無駄に大きい。


 だが、主は、主は、その竜をはたき倒した。なにか、主の気に障る事を仕出かしたらしい。自業自得というものだ。

 だが、主よ。その、少々、いや、かなり怖いのである。銀の小娘が仲間はずれにされた時の立腹ぶりとは比べ物にならぬ。いや、主の怒りであるからにして当然ではあるのだが、だから、その威圧をやたらと振りまくのはいかがなものかと。

 人族の中で、主が目立たぬというのは無理難題というもの。主に従う身であれば、その意を汲むべきである。であるが、そのようにお怒りでは、目立たぬ所か注目を集めておられるではないか。


 主の命であればいたし方あるまい。竜人の世話をまかされる事となった。こやつ、なんと落ち着きのない。この道行きには、他にもひ弱な人族を同行させている。主の手をこれ以上煩わせない為にも、こやつからは目が離せん。


 目的地に到着したようだ。猫娘と共に、石壁を越えていかれた。まだ竜人から離れてもよいとのご命令はない。ただ、待つしかない。


 人族どもが、なにをしていた!

 主が負傷されるなど、あっていい事ではない。我らまで衝撃を受けてしまった。すぐにもお側に駆けつけたい。だが、主より預かりし荷がある。これ以上、我が動揺していては小娘どもに示しがつかぬ。さらには、同道していたみどりやトリからも、迂闊な行動はするなと嗜められた。


 ようやく、床を離れられたようだ。だが、主から、あの美しい瞳が失われてしまっていた。なんと無念なことか。

 しかも、この異臭は何たる事。主の手を今一度、と叱咤すれど、我が身はお側に留まる事すらかなわない。なぜ、このようなことになったのか。我の不甲斐なさに歯噛みするばかり。




 我らをお見捨てになられたのか! 置いてゆかないでくれ。主よ、我が主よ。なぜ、逝ってしまわれる・・・


 ・・・身の内より、かすかに、主の懐深くにあった熱を感じる。主よ、何処を彷徨うておられるのか。我らでは、探し出す事は叶わぬ彼方に居られるのか。


 今は、このぬくもりを信じて、お待ちしよう。いつか、またいつか、我らの元にお戻りくださる、と。


 主が姿を消して、意気消沈していたのは人族どもも同じであった。こやつらに情けない姿は見せられぬ。


 そう。未だ、任は解かれていない。この人族どもと共に、主を待つ。お帰りくださる時を待つのだ。





 何故それを早く教えないのか、この小娘どもは!


 我がこの人族どもの集落から一時いっとき離れてている間に、主がお戻りくださったというのだ。再び、お側にお仕えする時が来た。いつお呼びが掛かるか、待って待って待ちこがれ・・・


 我は、ここにおります。主よ。我は、ここに。


 もう、待ちきれぬ! 不遜とお叱りを受けようとも、今一度、ご尊顔を拝すること、お許しくださいますよう!






 ・・・なぜに、我よりもそこな人族の子供と話などされておられるのだ。我は、ここに。ここにおりますのに。何故!






「お、落ち着こう。ね?」


 一応、念のため、レンやアンゼリカさんにとばっちりがいかないよう、テーブルから離れた。いや、ムラクモ君。なんで、そんなに鼻息が荒いのよ。ボクに会えて嬉しい、という雰囲気ではない。ないよね。


 別のテーブルを挟む位置に立つ。無造作な前脚の一撃で、障害物はまっぷたつ。


「その、何を怒ってるの、かな?」


 声を掛けるが、なんかもう聞いてない。逃げたら被害が広がる、とは判っていても、でも逃げる! 取り押さえる方法が判らない。

 三葉さんたちに頼もうとしたけど、ブルブル震えるだけで、当てに出来ない。南天のグリフォンは良くて、ムラクモは駄目って、ああ、君達、元植物だもんね。草食系には歯が立たないのか。


 などと考えている間にも、次々と椅子やテーブルが犠牲になる。食堂の床は残骸だらけ。そして、ボクは壁際まで追いつめられてしまった。じりじりとにじり寄って来るムラクモ。鼻息で吹き飛ばされそうだ。


「ロナ。なにか食べさせて差し上げれば、賢馬殿も落ち着かれるのではないか?」


 食いしん坊のレンらしい意見だ。


「そうかな。そうなのかな」


 今は、他に手段を思いつかない。手早く、クッキーを取り出した。


「えーと、賢狼殿と金虎殿には食べてもらって、うん。おいしいって言ってくれたんだけど、どうぞ?」


 が、ムラクモは、クッキーには一瞥もくれない。あ、あれ?





 随分と面変わりをされてしまっていた。なんとおいたわしい。それでも、ほとばしる力は、以前よりもさらに研ぎ澄まされ光り輝いておられる。さすがは、我が主。今の瞳の色も、よくお似合いだ。傷もすっかり癒えられたようで、誠に目出度い。

 ああ。今、こうして我の前にいらっしゃる。




 主よ。我は、再び主にお仕えすることを認めていただけるのか。




 主よ。我は、再び主にお仕えすることを認めていただけるのか。





 何か伝えたい、という気迫は判る。でも、何を言っているのかが判らない。どうしたらいいんだ。





 主よ。我は、再び主にお仕えすることを認めていただけるのか。





 クッキーを持っていない方の手を、そーっと伸ばす。


 鼻の上に掌を乗せる。


 ゆっくりと撫でてみる。




 主よ!




「ロナ?!」




 バックリと銜えられてしまった!





 あああ、なんということを!


 思わず、差し出された主の手にしゃぶりついてしまった。主の手は記憶にあるままに暖かい。この気、この魔力、柔らかな波動。主だ。我が主だ。お懐かしい。どうか、どうか今しばらく、このまま・・・・・・




 ・・・噛み千切る気はないようだ。クッキーをポケットにしまい、右手で大きな顔を、その頬を撫でる。


 森の色をした瞳から、涙がこぼれ落ちる。





 ああ、そうか。そういうことだったんだ。


「うん。元気そうでよかった。久しぶり。待たせたね」


 小声で、ムラクモにだけ聞こえるようにささやく。


 ひん


 ボクの肩に顔を寄せて、ぼろぼろと泣くムラクモ。ふいてもふいても涙が溢れてくる。


「賢馬殿が泣くほどおいしいのか。やっぱり、ロナはすごいな」


「ちがうでしょ!」


 食べてるのはボクの手。クッキーはポケットの中。見えてなかったの?





 ようやくムラクモが泣き止んでくれた。手も放してくれた。


「そろそろ、いいかしら?」


 ムラクモの耳が立つ。すぐさまへニョリと伏せられた。ボクはボクで、金縛り。


「ムラクモさん? この食堂はね、作り直したばかりだったのよ。わかるかしら?」


 あ、後退りしてる。脚に震えがきているのは、気のせい、じゃなさそうだ。


「ななしろさんも。いくら、ムラクモさんがいい子でも、いきなり口に手を入れるなんて」


「え? ボクが入れたんじゃなくて」


「危ない事をしちゃ駄目、でしょう?」


 アンゼリカさんは、にこにこと笑っている。顔は笑っている。が、目が笑ってない。


「姫様。こちらのお客様、しばらく私に預からせていただけないかしら?」


「うん?」


「ええ。お店の事とか、ムラクモさんの事とか、いろいろと、いろいろとお話したいのだけど」


「・・・」


 ボクが逃げまくった所為で、テーブルは一セットを残して全滅。踏み割られた木の破片が、壁や天井にまで突き刺さってたりする。

 ムラクモってば、食堂に入ってから本当にボクしか目に入ってなかったみたい。今は、店内を見回し、惨状に引きまくっている。


「それとも、姫様も」


「あ、いや。わたしはこれで帰ろう。ロナ。後は頼む」


 言うや否や、「森の子馬亭」から駆け去ってしまった。ハナ達も引っ付いていった。見たまんま、尻尾を巻いて逃げ出したのだ。

 おおい、助けてくれないの?!


「さ。これから、全部、話してもらいますからね?」


「え?」


「クララ? 臨時休業の札を出しておいてくれるかしら。それと、改装をお願いした大工店にも、連絡してね」


「は、はいっ」


「使えないのは食堂だけだもの。お泊まりのお客様には、食事代と迷惑料ををお渡しして」


「はい、はいっ」


「わたしは、こちらの方とじっくりお話するから、後はお願いね」


「はい。女将さん!」


 厨房の入り口から覗いていた、もとい野次馬していたクララさんほか従業員一同が、一斉に動き出す。


 食堂の外扉が閉められ、ちらかった食堂はそのままに、ボクとムラクモとアンゼリカさんがとり残された。


「あああの、女将さん?」


「まあっ。ちゃんと名前で呼んでと言ってたでしょう。それとも、今度こそ、おかあさん、って呼んでくれるの?」


「え?」


「姫様といっしょに来るとは思ってもいなかったわ。


 ・・・もう、すっかり元気そうね。よかった」


 ふわっ


 抱きしめられた。


「え、え?」


「ふふっ。おかえりなさい、アルちゃん」


「あの、ボク、ななしろって」


 そういえば、店を閉める直前に、アンゼリカさんはちゃんと呼んでくれてたっけ。でも、なんで、今、アルって呼ぶの? ねえ。


「いつ、顔を出してくれるか、心待ちにしてたのよ。もう、お母さんを待たせるなんて、悪い子ね」


 ばれてる?!


「ヴァンから手紙ももらったけど。全然変わってないじゃないの」


 ヴァ、ヴァンさんのバカーっ。あれほど内緒にしてって言ったのにーっ。


「別人! 人違い! ボク、そんな人じゃないからっ」


「だめだめ。お母さんにはお見通しよ?」


 ぎゅーっ


「本当にもう、無茶ばかりするんだから。心配ばかりさせて、させるなんて・・・」


 肩が震えている。


 アンゼリカさんも泣いていた。

 ムラクモ。緊張しすぎて、殺気にまで昇格していたとは。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ