称号
「ロナ殿。九卯殿はもう戻らないのか?」
ウォーゼンさんの働きで、結界内の視界は良好となった。だがしかし、その外側は依然として緑のスクリーンで塞がれている。通ってきた道もやがて埋もれるだろう。
「なに? やっぱり従魔にしたくなった?」
「そうではない! この場所に来る前に会ったきりなので、どうしているのかと」
「気になるなら素直になればいいのに」
ついニヤニヤしてしまう。これで、纏わり付くのが一頭でも減ってくれれば。
「騎士団宿舎の執務室は、九卯殿には狭すぎる」
「浮いた改修費でゴージャスな畜舎兼執務室にすればいいじゃん」
「改修するべき箇所は他にもある! そうではなくてだな・・・」
心配しなくても、九卯は元気だ。
第一回目のお使いを終えて戻って来た時、地元民、もとい土地のグリフォン達に絡まれるという、些細な出来事はあったが。
小柄な体躯を生かしたダッシュとクイックターンを駆使して逃げ回っていたら、いつの間にか一目置かれたらしい。今も、纏め役のグリフォンに可愛がられている、筈だ。
掃討戦の合間に鳥頭用の料理を作って持たせたりもした。伝書鳩ならぬ伝言三葉さんによれば、「物足りないですわ」とのこと。
いっそ、アンゼリカさんの特製料理を詰め込んでやりたい。運ぶ九卯にダメージが及ぶので無理なんだけど。
結界の外に出て、「朝顔」を取り出し、『薄暮』鏃を付けた特製の矢を構えて、撃つ。
しゅぱーん
「なんだ今のは!?」
解体作業に勤しんでいたヴァンさんが、真昼になお眩しい光に驚いて手を止めた。
「九卯を呼んだ」
「いつの間に狩をしてたんだよおめえは。肉を運ばせるのか?」
「違うよ。ウォーゼンさんが会いたいっていうから」
「そうなんだが、いやそこまでして欲しいとは一言も」
くーえーっ
空より降りる黒い影。
べしっ
「あら」
「おい」
「ロナ殿?」
いやぁ、何故だろうねぇ。なにもわざわざ結界に飛び込もうとしなくても良さそうなものだけど。
いつぞやの鳥頭のように、腹見せグリフォンがずるりと結界表面を滑り落ちた。
「ロナ殿は、この結界を自由に行き来しているようだが」
「ウォーゼン、こいつのやることにいちいちツッコミを入れてたら日が暮れるぜ?」
ひどい言われようだ。
「魔道具じゃなくて術具を使っているからね」
同じ機能を持つ筈なのに、『重防陣』や『楽園』は魔道具と術具で微妙に性質が異なる。魔法陣に落とし込む時、わたしにもわからない部分のどこかが変化している。
いろいろと考えた時期もあったが、もうそういう物なのだと諦めた。
ただ、わたしは人前で術具を使えない。というか使いたくない。かの有名な「賢者様」との関連を疑われてしまうから。
だから、苦労に苦労を重ねて作るのに物も時間も手間もかかるけど、必要と思われる術具を魔道具にコンバートすることに成功した。
今回は、失敗だったけど。
まーてん付近で人を見かけたことはない。そして、同行する三人はわたしがアルファであったことを知っている。
人目を気にせず時間を惜しまず、さっさと術具を渡しておけばあんな事にはならなかったのに。
他人の話を聞かないアンゼリカさんの態度に腹を立てていることもあるが、何より、怖い思いをさせてしまったことに居た堪れなくて、顔を合わせられない。
わたしは、まだ覚えている。坂を下るバスに押されて崖から落ちた時の感覚を。もう数百年も前の記憶なのに、今だに忘れられない。空を飛ぶつばさを得た身となっても、時折思い出す。
激不味料理を食べることでお詫びになるかと思ったけど、あれは無理だっったし。
アンゼリカさんご執心のオールヌードは、究極最後の手段にしたいし。
どうしたものか。
「ねぇ、ななちゃん。あのね?」
「要件は、手短に」
ついうっかりノーバンジージャンプを思い出させるような失言をしそうで、会話を続けられない。
「・・・いい加減許してやれよ」
だから、それは地雷案件なんだってば。
「その、九卯殿を放っておいても、いいのか?」
ウォーゼンさん、ナイス、話題転換。
「大丈夫だって。前にも言ったでしょ? ここ、魔獣は滅多に入ってこないって」
それに、腹が減ったら自然に目が覚める。
「そういうおめえはどうなんだよ」
「便利な場所だから借りてるだけ。身を護る手間が省けるんだもん」
「九卯殿や五樹殿は何気なく訪れているようだが」
五樹は、まめにわたしの影に入ることで魔力ストレスをリフレッシュしているらしい。九卯は、どうなんだろう。何が気に入ったのか用もないのにいつも岡持ちを持ち歩いているけど、それがバリア的何かを発しているとか? それとも、取り付きっぱなしの三葉さん効果なのか?
「謎だらけだよね」
「とぼけやがって」
人生は、時に諦めが肝心だと思う。
「あのねあのね? 小屋の周りの草が枯れてきているのよ。いいのかしら」
わたしが拒む話題について、多少は学習したらしい。
「草刈りの手間が減るな」
「うううむ」
喜ぶヴァンさんと、ちょっぴり寂しそうなウォーゼンさん。
「雨が入らないようにしてたもんね。気になるなら移動する?」
「俺は構わねぇが、今度はどこに連れてくつもりなんだよおい」
「せっかくだから、みんなで草刈りしながら行こうか」
「「は?」」
「馬鹿野郎! 俺の足を切るな!」
ヴァン犬が、横っ跳びに跳ねて逃げた。
「ちょっと勢いつきすぎただけじゃない」
悪びれることもなく、アンゼリカさんはブンブン鎌を振り回す。そうですか、そんなに楽しみにしているんですか。
「そいつはちょっととは言わねぇーーっ!」
「・・・何処まで刈ればいいのだろうか?」
ウォーゼンさんは、危険な二人から慎重に距離をとっている。危険な話題からも離れている。
「いきなりロックアントとこんにちわしたくない距離まで」
「ロナ殿の結界があるのに?」
「いつどこで何が起こるか判らないのが[魔天]でしょ? サボらないサボらない」
「そういうレベルの話でもないと思うぞ」
「手伝うって言ってたよね」
「・・・了解した」
大荷物はパワフル四兄弟に任せて、わたし達はのんびり草刈り行軍中。途中三泊を挟んで、大過なくまーてんの西側へ到着した。
「着いたか? もういいんだな? やらなくてもいいんだよな?」
「ななちゃんの、お手伝いを、するって、言ったわよ? 言ったけど、これは、ないと、思うの」
小屋が移動する程度の幅を刈り倒してきただけなのに、目が虚ろだ。これで当分は静かになる、だろう。多分。
そういえば、魔術で刈った草はすぐに消えたのに、ウォーゼンさん達が刃物を使った草は萎れはしたものの積み上がったままだった。今も、後ろに残っている。一見なんの変哲もない草なのに、やっぱり謎だらけ。
ちゃんと腐るのかな?
「精神修養にはなったな」
「それはよかった」
ポジティブ思考なウォーゼンさんが居てくれてよかった。
一葉さんと双葉さんは、到着直後、それぞれの担当部署、もとい趣味に走った。おーい、まだサポート役から開放してないんだけど?
「ずいぶんとでかい物があるんだが、ありゃ何だ?」
「一葉が好きなんだよ」
ちょっとした野球場をすっぽり覆うくらいはあるだろう。
その下にあるのは、ついうっかり抉ってしまった地面を有効利用した大浴場。砂粒一つ見逃さないその根性はどこから生まれてくるのか。
「あら。あそこがななちゃんのお家なのね」
アンゼリカさんは、他のものに注目していた。一葉さん達が動きやすいようにと結界の範囲を広げたのは失敗だったかも。
「双葉に怒られても知らないよ?」
「あいつ、聞こえてねぇぞ」
酒造りに全力を尽くす双葉さんは、しばらく放置していた酒蔵のチェックに余念がない。迂闊に首を突っ込んだら、わたしでも問答無用で絞められる。
「きゃぁああああっ!」
ほら、いわんこっちゃない。
「予定期間はあと二月もある。その間、ずっとロックアントを採取して回るのだろうか」
ウォーゼンさんはあくまでも真面目だ。
「そっちは、もう少ししたら終わると思う。次は繭取り。その前に、幼虫が固まっている場所を探し出しとかないと」
繭になってから探し回るのでは遅すぎる。回り切れないうちに羽化する個体が現れるからだ。
繭から採れる糸を毒血の浄化に使えるのは嬉しいが、増えすぎるのはロックアント同様に大迷惑な存在、それが痺れ蛾。
「それなら、俺の出番だな♪」
うーん。一日に二箇所も三箇所も回るんだけど。予行演習してもらって、それで判断するか。
翌日、ロックビーの巣をコロニーに見立てて、様子見がてら移動を繰り返してみた。
五樹エクスプレス、発進! なんちゃって。
双葉さんは喜び、五樹ははしゃぎまわり、そして、肝心のヴァンさんは潰れた。
「生きてるか?」
五樹の背でピクリとも動かないヴァンさんを見たウォーゼンさんの言葉が、全てを物語っている。
「当分、使い物にならないね」
「・・・幾ら何でもやりすぎじゃないかしら」
寝台に運ぶまでが、サポートの仕事。地面を引きずられていくヴァンさんを見送る。
「勝負は七日しかない。あれでもまだ遅いくらいなのに」
「ロナ殿はどうやって移動しているのだ」
じーっ。チビドラゴン形態で飛び回るなんて言いたくない。
「・・・判った。聞かないことにする」
「無茶したら駄目じゃないの」
おっと、矛先が替わった。
「放っておいたら[魔天]が丸禿になって、そうなると飢えた魔獣が食べ物を求めて大移動していくんだよ。きっと」
「これも、なのか」
副騎士団長様が、深いため息を吐く。
「だからってだからって! ななちゃん一人がすることじゃないわ!!」
わたしもそう思う。でも、他に誰もやってくれないし。手を抜いた分、後から我が身に降りかかってくるし。
結局、自分の為なのだ。
「だからハンターギルドに頼んだのに」
自分の手が届く範囲は頑張るけど、全域は無理。どうやっても無理。ムリなものはムリ。
「「霧」の結界もどきは、『不殺のナイフ』を持った人を含む六人までのチームなら通れることが判明している。今年の採取には、なんとか間に合う筈だ」
それは朗報。でも。
「手が多ければ多いほど沢山獲れる。なによりボクは、自分が使う分を確保したい」
「そうだけど、そうなんだけど!」
駄々っ子アンゼリカさんが復活してしまった。
「それならこれをお願い」
背負っていた籠を下ろす。
「これは、クトチ、か?」
「ボクの非常食。普通の味で作って」
蒸してほじくり出して丸めて焼く。結構手間が掛かる品なのだが、場所を選ばず食べられるので時間があるときにせっせと補充している。
弾丸ツアーの合間に双葉さんが採取したものだ。わたしは本当に籠を背負っていただけ。あの移動速度できっちり上物を選ぶ気合の入れよう。これは蜂蜜酒増量の催促、だと思う。ロックビーから貰った今年の蜂蜜も大量にあるから、いいんだけどね。本当に、誰が飲むんだか。
「いいわ。今度こそぎゃふんって言わせるんだから!」
「混ぜ物は少なめでいいから。普通に、普通に作って!!」
気炎を上げるアンゼリカさん。やる気が明後日を向いている気がしなくもない。大丈夫かな。
「俺が味見をしよう」
ウォーゼンさんが、ダウンしているストッパーヴァンさんの代役を名乗り出てくれた。嬉しいけど。
「・・・・・・無理しないでいいよ?」
同時に、溜息が出た。
ななしろに連れられて四箇所目に移動してから、二週が過ぎた。
「また、こんなに持ってきて」
「ファタ殿・・・」
大鍋いっぱいの蜂蜜は、三人が一日で食べきれる量ではない。
「クッキーに入れればいいだろ?」
「入れてるわよ。そうしたら、量が増えたの!」
「なんだそりゃ?」
「明日からは、焼肉しか食べられないわ」
「だから、何でそうなる!」
「鍋が全滅したからだろう」
「いつの間にっ」
双葉が蜂蜜で酒を作っていることを知り、少しだけ分けてくれるように頼んだところ、最初は樽で差し出された。
みっちり詰まった樽ひとつを少しとは言わない。
交渉の末、コップ一つに減量できた迄は良かった。
夜のうちに忍び込み、戸棚の調理器具を引っ張り出し、気が付いた時にはもう遅かった。
きちんと断ったにも関わらず、毎日届く。しかも、巧妙に量が増えていった。金色の液体が入ったコップが二つに増え三つになり、次はボウルに、翌日は鍋に。
貴重な品だということは判っている。判ってはいるが、限度もある。
ヴァンが預かっているロックアント解体用の容器を拝借することにした。だが、これもいつまで保つか。
戒めてもらおうにも、主人のななしろは留守にしている。どこで何をしているかも告げず、ふらりと戻ってきてはすぐに居なくなる。
しかも、双葉の押し売りに同乗してか、顔を見せる時、土産と称する物を持ってくる。食べられるものや手軽に使える薬草はまだいいが。
「ここに来てから、解体しかしてねぇぞ!」
白い毛皮を纏った死骸の山を見て、げっそりとしている。ミューノラの毛皮を損なわずに解体するには、少々コツが要る。料理ができるアンゼリカの方が器用に処理できそうなものだが、ななしろにダメ出しを貰った。
つまり、ヴァンが一人で捌き続けているのだ。
「わたし、嫌われちゃったのかしら」
アンゼリカはアンゼリカで、種類の判らない肉の塊をこれでもかと押し付けられた。しかも、下手に手を加えるより、軽く塩を降って焼いただけの方が美味しかった。それが数度繰り返され、とうとう料理人としてのプライドがへし折れた。
「はっ。あんだけゴリ押ししてて、今更何を言ってるんだ」
「まあまあ。アンゼリカ殿にもそうせざるを得ない事情があったのだろう」
一人、草刈り鎌を担いだウォーゼンだけが、平常心を維持していた。
「・・・聞いてくれる?」
「なんだよいきなり」
「何時付いたのか判らないけど、変な称号があるの。それで、ね?」
その先が、続かない。
「随分と勿体ぶるのだな」
「俺相手に焦らしてもなんにも出ねぇぞ」
「そもそも、称号とロナ殿にどんな関係があるのだ?」
そっと差し出されたアンゼリカの身分証を覗き込む。
魔天の王の母(自称)
酸欠の魚が二匹、誕生した。
息してる?




