悪夢
「ロナ殿。どうかなさいましたかな?」
目敏いご隠居さんがさりげなさを装いながらも、わたしの様子に気付いて問い質してきた。
一方で。くんずほずれずの大乱闘している最中だというのに、豆粒ほどにしか見えない筈のわたしと怪獣の片割れの視線が合った、気がした。
だけでなくて。
グリフォンがこちらに猛ダッシュして接近してくるのが見える。あれって、どう見ても翼が四枚あるよね。
なんつー眼の良さなんだろう。・・・一応、鷹の頭だし、鷹の目も持ってるし。当然なのかな? どうなんだろう。
「ロナ殿? 何やら音が聞こえてきておりませんかな?」
泥まみれのドラゴンが追撃してくる。のを、巧みに躱してじりじりと、ではなく猛スピードで接近中の南天王さん。
「おおおおねーさまぁ〜〜〜〜っ! 一大事ですのよぉーーーーーっ!」
「誰がお姉様よっ! ダーリンは渡さないんだからっ!」
「それどころじゃっ、ないってっ、言ってるのにっ。この鈍ちんトカゲっ」
「ヒヨコが一人前の口を利くもんじゃないわっ」
「こんのお子様がぁっ!」
「どっちがっ!」
激しく泥を撒き散らし、土手を抉り、川底にいくつもの大穴を開け、猛然と迫り来る大怪獣達。
うん。
体が大きいってことだけでも十分凶器だ。
現実逃避気味に、思考が空回りしている。
・・・あんなもん。どう対処しろってのよ?!
これだけ近づいてくれば、当然、上流側の見張りも気がつく。イヤでも目に入ってくる。
「な、なぁ?! た、退避ってどこに逃げればいいんだよっお? おおおおおおおおおおおおっ!」
見張りの絶叫に、何事かと腰を浮かせる避難民一同。だが、今の彼らにできることなど、何もない。
トイレタイムに加えて非常時の対応もお願いしておいたのが功を奏した。二葉さんと四葉さんは、見張りの二人を問答無用で地上に降ろしてくれた。
勢いがつきすぎてフリーフォール状態になったようだが、怪我がなければ問題ない。
問題なのは。
あの怪獣どもを放置すれば、鉄砲水に巻き込まれそうになりながらも生き延びた人達がプチッとされてしまうこと。
でもって、どうにかできそうなのはわたししかいないであろうこと。
そして、なんとかする間、自称導師様(笑)をどうするか。
わたしの体は一つきり。分身の術など使えた覚えもない。
・・・だから。どう対処しろってのよ!!!
あ。ラッキー! いやいやいや。偉いぞ。ちゃんと空気を読んで帰ってきてくれた頼もしい連中がいた。
そう。わたしは一人ではなかった!
「一葉、荷物と一緒に左岸へ退避! 八重達とうまくやっといて!!」
蓑虫を抱え上げ、まだ無事な岸で右往左往している五樹めがけてぶん投げる。おおお、空中で咥えて受け取った! ナイス、五樹! ・・・一葉に穴を開けてないよね? ね?
続いて。
「レン! 結界!」
「え。あ。「音よ、閉じろ!」」
ふむ。条件反射とはかくも恐ろしい。
何時ぞやの離宮での騒動の時の指示を、今でもちゃんと覚えていた。その後もいろいろと有効活用していたようだし、術杖をレンに預けておいたのは正解だった。
レンには『音入』の改良版だと説明した。自分一人だけ安全を確保することに盛大に難色を示したが、この場にいる誰よりもレンが生き残らなければ全滅も同じと説得し、強引に持たせたものだ。
実態は、『楽園・改』の陣布入り術杖にレンのキーワードで陣布を起動させる術具をこっそり仕込んだスペシャル仕様。曲輪全体をカバーする、筈だ。ちなみに、解除用キーワードも以前と同じなので、レンが安全だと確信できたら結界から出られる。
万が一、濁流で岩壁が崩壊した時のために用意しておいたのだが、まさか、こんなことに使う羽目になるなんて。
兎にも角にも、これで後顧の憂はなくなった。
それでは。
「こらぁ! 体当たりはダメだってばっ!」
という警告は遅かった。
それ以前に、怪獣どもは争いに夢中で、こちらの声など聞こえていない模様。
曲輪間近で争う二体は、足場の悪さも相まって、絡み合いながらわたし目がけて倒れこんできた!
体を張ったコントは離れてやってよ!
ウルルルルルオォォオ〜〜〜〜〜ン!
六実の悲鳴のような遠吠えが響く。大丈夫、大丈夫だよ。と軽く手を振ってみる。
ぶつかる直前に、曲輪の上から岸目掛けて力一杯ジャンブしたのだ。高〜い高〜い♪
ではなくて。
ちょっと、八重さんや? 土手の大穴は何かな? いくらなんでも、この高さまで跳躍できるわけないって。ほら、落ちた。ほっ。濁流への飛び込みは回避した。そして、怪獣達に巻き込まれないように漂流物で八艘飛びしているうちに下流へ流されていった。行ってしまった。八重の姿は、小さく小さくなって、もう見えない。
あれだけ跳ね回れるのだからきっと無事だろう。だから早く岸に戻って・・・戻れるといいねぇ。
わたしの眼下では、曲輪の岩壁が連鎖崩壊している。それはもう、いつぞやの小砦を再現したかのように。
鉄筋の筋交いなど入っていない間に合わせで作った壁だ。水圧に耐えられるよう足元は補強したが、怪獣の全力突進に対する防御など全く考慮していない。
いやはや本当に、レンに杖を持たせておいてよかった。でも、結界の中は大騒ぎだろうなぁ。大小の岩がゴロゴロと落ち込んでるのをライブで観察するとか、のしかかってくるドラゴンやグリフォンと間近でご対面するとか。普通は経験したことないだろうし。
・・・ご隠居さん、そこは任せた。
さてと。
「いい加減にしないと、二人とも二度と料理は食べられないよ?」
忠告ついでにモリィさんの頭にキック。ではなくて着地する。着地目前で割り込んできたモリィさんの自業自得だ。甘んじて受けるべし。
「ふべっ?!」
「ぎゃう!」
あらら。
お互いを押さえつけようとしていたところに、思いがけない方向から衝撃が加わったため、抱きつく姿勢で川に転げ落ちていった。そして、泥化粧もお揃いで追加している。わたしは再度飛び上がり、泥を浴びないですみそうな位置を選んで優雅に着地した。
「案外、仲がいいんだね」
「そんなことないわっ!」
「ブクブクブク」
「あー、いいから。手を放して。二人とも。離れなさいってば」
片や、大陸中の人々から畏敬を持って讃えられる竜の姫君。片や、「南天」一帯を支配下に置く魔獣の王。
だというのに。
「どうしてくれるのよ! 自慢の羽がくすんじゃったじゃないの!」
「そっちこそ! 今時泥パックなんて流行ってないわよ?!」
崩壊した曲輪を前にして全身を茶色に染めた二体からは、威厳もへったくれもこれっぽっちも感じられない。とことん締まらない。
「とにかく! 話を聞くから、あっちに行こう?」
南天王さんが出てきたってことは、ご飯の話か、またまた[南天]で厄介事が起きたか、ってことだろう。
何にせよ、天領がらみのゴタゴタにご隠居さん達を巻き込むのは御免蒙りたい。そんなことになったら後々の騒動がどこまで広がるか、考えたくもない。
ずるべちょずるぐちょ。
・・・見ない見てない。
「何よ、これ。体が、重いわ」
「いやぁん! 翼が、持ち上がらないのぉ〜」
興奮状態から覚めれば、こんなものだろう。
枯れ川の河川敷には、上流から流れてきた栄養豊富な泥がたっぷりと敷き詰められている。何センテぐらい堆積したのやら。この泥を掻き分けて馬車を運び出すのは、相当苦労するだろう。
泥の全身鎧や羽毛に絡みついた泥が乾き始めると、さらに酷い有様になる。固まった泥を落とすのは大変なのだ。わたしは、温泉掘りの時に体験している。
「(水召)」
二人が岸に這い上がったタイミングで、こっそり魔法を使う。
ザッバーーーーーーーーン!
「「・・・・・・」」
「泥は川に流れて行ったね。さっぱりした?」
ついでに、頭も冷えていて欲しい。
「「・・・・・・・・・」」
曲輪からこれだけ離れていれば、誰が魔法を使ったのか特定するのは無理だろう。二人が言いふらすとも思えないし。
「で? じゃれ合っていた理由は何? 言い訳を聞いてあげる」
「こんな勢いで突っかかってくる魔獣なんかダーリンに近付ける訳にはいかないわ!」
「ちっとも話を聞いていなかったわねっ。お姉様に用があるって言ったのに邪魔したのはあんたの方じゃないの!」
いきなりテンションが上がった。
「ムグムグ。それで?」
「「・・・・・・」」
自称導師様(笑)を世話した後で食べるつもりだった肉を取り出し頬張っていたら、鋭い視線が突き刺さってきた。いた、いたたたた。
「お姉様、ずるいですわ〜」
「ダーリン。わたしにも何かちょうだい!」
「あんたは自分の尻尾でも齧ったら?」
「そっちこそ余分な翼をもげばいいじゃない」
よだれを垂らしながらも、罵り合いもやめない二人。しかも、お互いがお互いをわたしに近づけさせないよう、おしくらまんじゅうを始めた。
・・・なんだかなぁ。食欲大王様揃い踏み?
「逃げ道がなくて少ない食べ物を少しずつ分け合っているところなの。大食らいに分けられる肉があると思う?」
南天王さんならともかく、モリィさんに首長竜の肉を食べさせても大丈夫なのだろうか?
「すぐに獲って来るわ!」
「待ちなさいって」
飛び立とうとする直前に、三葉さんが前足を掴み取る。ナイスフォロー、三葉さん。
一方、勢い余ってまたも地面に顎を叩きつける羽目になったモリィさん。
「おーっほっほっほっ! 人の話を聞かないからそうなるのよっ!」
南天王さんが、モリィさんの頭を踏みつけた。追い討ちをかけるとは、なかなかやるな。
ではなくて。
「そっちはそっちで用件聞いたら、すぐに帰って」
「そんなぁ〜〜っ! って、それどころじゃなかったわ。あいつのところが大変なのよ。全身血みどろで、手のつけようがなくって!」
「何? 縄張り争い? 激しいねぇ」
南天王さんが言う「あいつ」とは、喧嘩友達の西天王さんのことだろう。リアル恐竜の生態は、予想以上にワイルドな模様。でも、日常茶飯事ではなかろうか。
「違うのよっ!」
苛立ちを隠そうともせず、翼を撃ち鳴らす南天王さん。あまりの勢いに、わたしのところに集合しようとしていた五樹達が吹き飛ばされた。
吹っ飛んだはずみで五樹の口から蓑虫導師様(大笑)が転げ落ちた。地面に着いた瞬間、下半身に滲みが広がったように見えるのは気のせいだ。うん。見なかったことにしよう。五樹の口の中で粗相していたのならば、鉄拳制裁だけど。
わたしは咄嗟に重力魔術を使って体を地面に固定。ずるい? ずるくないもん。イタタ。勢いつきすぎて、腰が。
「他にも逃げ惑ってる連中がたくさんいたけど、どいつもこいつも傷だらけだったわ。なんか、お姉様が知ってるとかなんとか。ポロっとこぼしたのを聞いたから、知らせようと思って来たのに、このバカトカゲが散々邪魔してくれちゃってぇ〜〜〜〜〜っ!」
ばっさばさばさ
あっちでもこっちでも自然災害が起きてます、ってことかな? しかし、西大陸はものすごく遠いのに、何故わたしにそんな話を持ってくるのか。
南天王さんは友達が少ない、のかもしれない。
「ねぇ。お姉様って、ダーリンのことなの?」
「ここに他の誰がいるのよ! 頭悪いわよ?」
フンッ
うわぁ。鼻で笑った。
「ダーリンは、これからわたしと遊ぶの! よそになんか行かせないわ!」
「あら。あんたなんかが、お姉様に指図できるはずがないでしょ? 身の程を弁えなさいよ」
「煩いわねっ! 遊ぶったら遊ぶの!」
スパパンッ
「いい加減にしようね? 二人とも」
鷲頭が、地面とキスをする。もう一人は、未だに接吻中。そろそろ放したら?
「〜〜〜〜〜〜っ」
グリフォン、涙の上目遣い。元があまりにも大きいために、ちっとも可愛く見えない。
グルルルルルル
そして、どこからともなく聞こえてくる唸り声。
「そこまで力は入れてないんだけど。モリィさん、痛かった?」
頑丈に頑丈を重ね掛けしたようなドラゴンが、ハリセン一発で怪我をするなんて有り得ない。四六時中ぶん殴ったとして、蚊に刺されたほどの影響もない。
雑な扱いにヘソを曲げちゃったかな? でも、今は、一応非常時であるわけで、遠慮手加減している余裕はこれっぽっちもない。ないったらない。
「・・・ちょっと、お姉様。この子、ナンんか変?」
「ぐるるるるるる(遊ぶったらぁ、遊ぶのヨォ)」
思わず、耳をほじってしまった。
「ねぇ。何て言ったか、聞こえた?」
「唸ってるだけでしょ」
そうかそうか。南天王さんには副音声が聞こえていないらしい。
ではなくて。
「それより目つきがおかしいわよこの子!」
南天王さんは、乾ききっていない翼を思いっきり振るってモリィさんの傍から飛び退った。五樹達は三度飛ばされる。大丈夫かな。
「軽く叩いただけなのに?」
そこまで単細胞、もとい導火線の短い神経の持ち主ではない、筈・・・。
「ぐるあああああぁぁあぁぁあああぁっ(だーりん遊んでヨォ〜〜〜〜〜〜♪)」
一声吼えると、突進した。
自称導師様(笑)の方へ。
「ちょちょちょっと! わたしはこっちだよ?!」
「ぐあるあうあぁぁああぁ(邪魔する人は片付けなくちゃぁ♪)」
片付けるって、五樹達も巻き添えにする気か!
「お願いこれ止めるの手伝って!」
手を煩わせるのは申し訳ないけど、この巨体を相手にできるのは南天王さんだけだ。
わたしの変身は、最後の手段にさせてもらいたい。曲輪跡地には見物人、もとい証人がごまんといる。そして、この騒動に注目している筈だ。迂闊に正体を晒してしまったら後の騒動が。
「息の根を止めればいいのねっ♪」
「ちがぁう! 足止めでいいの!」
ちょーっと様子がおかしくなったからって、友人を殺す訳にはいかない。
「とち狂ったトカゲを野放しにするの?」
「寝かしつければ正気に戻る!」
瞳孔が開いて呂律が回らない。足元も何処かおぼつかない。どこからどう見ても、典型的な酔っ払いだ。
即効性のある痺れ蛾鱗粉は、モリィさんには使えない。魔獣肉を食べられないドラゴンに、魔獣を原材料にした薬その他諸々を使用していいものなのかどうなのか。アレルギー程度で済めばいいが・・・。いやよくない。ダメだ。アナフィラキシーショックは馬鹿にできない。
ドラゴン状態でハリセン何発ならお眠になるのか、事前に実験しとけば良かった。
ではなくて!
なんだっていきなりこんな状態に・・・。
生き物は、色々な匂いを纏う。中でも、体臭は体から分泌された汗に含まれる物質を餌に増えた常在細菌達の仕業だという。
だから、垢落としと称してマメにマメに体を洗っていた。
だが。意図的に強い匂いを発するものがある。野生動物が縄張りを主張するためのマーキングや異性へのアピールに利用している、アレ。
大小の排泄物。
でもって。ついさっき、自称導師様(笑)は、思いっきり粗相していたよねぇ。
・・・・・・・なんて厄介な体質なんだ呪術者っていうのは!!!
「けけけ結界!」
世の中には、巡り合わせの悪い時もある。
「ぐあるあうあぁぁぁん!(だーりんはあげないわヨゥ!)」
わたしが彼目掛けて術具を投げるより早く、モリィさんのブレスが炸裂した。
ギャイン!
彼は、六実の体当たりを受けてブレスの中心からは逃れられた。しかし、代わりに、六実が巻き込まれた。
「ごあああああぁぁああああっ(ニーガーサーナーイーっ♪)」
ぶんっ
モリィさんの気を逸らそうと、目の前に躍り出た五樹は、その体と同じ大きさの握りこぶしで弾き飛ばされた。
「がうぉおおおおおおおおん(あげないって言ったのヨォ)」
「このおバカトカゲ! 目を覚ましなさいよ!」
太い尾にしがみついて踏ん張るグリフォンと、それを少しずつ引きずりながらも彼に迫るモリィさん。
ヒヒィン!
八重が戻ってきた。
そうだ、長い間、モリィさんと過ごした八重の鉄拳制裁ならば!
グリフォンを踏み台に、モリィさんの頭まで駆け上がった八重の強烈なパンチは、
バキッ
「ぐるあっ(痛いわ♪)」
石頭のドラゴンには、全く効果がなかった。そればかりではなく。
「あ、危ないっ」
わたしの目の前に転げ落ちてきた八重の両の前脚は、無残にも折れていた。
盾のなくなった一葉さんは、必死になってモリィさんの攻撃を躱す。モリィさんにしてみれば他愛ないちょっかいなのだろうが、逃げる方は命懸けだ。二メルテ近い荷物を抱えた状態ではいつもの機敏さを発揮できない。それでも、保護対象をモグラ叩きから逃そうと全力を尽くしている。
肝心の対象は、全力故にあり得ない軌道を描きながら振り回されている。中身の無事はわからない。
そして、善戦虚しく。
「がぁああああああああぁ(ポイッ♪)」
五樹とは反対方向に飛ばされていった。
「お姉様っ。もう保たないわっ」
時折風の刃も交えながら必死に牽制しているグリフォンに、長い首を折り曲げて顔を向けるモリィさん。
「がるるるるるるるる(まだ邪魔するのねえ)」
これが効かなければ、最終手段を取るしかない。
「モリィさぁ〜〜〜ん。これ美味しいよ〜〜〜〜〜」
「ぐあっ(なになになに♪)」
これでも、喰らえ!
南天王さんは、書きやすいです。
「いやいやいや! 出番なくていいから!」
でも、もう来てるし。
「のぉ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」




