ブレイクスルー
なぜ、今の今まで気が付かなかった?!
わたしとしたことが、迂闊だった。
慌てて引き止めようとするステラさん達を振り切って、[森の子馬亭]を飛び出す。
幸い、すぐ近くに早番の兵士がいたので、ステラさんが居る事を教えて、王宮へ連れ帰るように頼んでおいた。
かなり面食らっていたようだけど、しーらないっと。
それはともかく。
痺れ薬の無毒化。
既に成功していたってのに。
実際には、油を燃やした時にでる煙だけど、それでも成功には違いない。ヤバい成分の沈殿が無理なら、飛ばしてしまえばいい。
「お、おかえりなさい?!」
「どうもっ!」
工房の入り口に立っていた傭兵さんへの挨拶ももどかしい。
「げっ、ロナ! 帰ってきやがったのか?!」
運がいい。ちょうど、素材を使い切って脱出、もとい開放されたばかりらしい。目的地の扉から、ライバさんと団長さんがよろよろと出てきた。
「魔導炉借りるよ。朝ご飯は適当に取って」
「あ、え? 女将は?」
「[森の子馬亭]で王妃様のお守りしてる。急いで作りたいものがあるんだ。じゃあねっ」
「おい! 勝手をするなっ。説明していけっ!」
そんな暇は、ない。
ぬふふ。
ふはははは。
やったーーーっ!
これで、エッカさんの依頼も完了。
の、前に。
試運転しないとね。
「三日も工作室に籠りっぱなしだったそうですね。何をしていたんですか」
作業室に新作道具を運びにいったら、エッカさんに呆れられた。
「これを作ってた。奥の部屋で試運転してくる。エッカさんこそ、腰の具合はどう?」
普通に椅子に座っている。かなり良くなっているのだろう。すりこぎ片手に、目の前の大きな乳鉢と格闘しているし。休憩するなら、すりこぎ、置いたら?
「・・・おかげさまで」
「ボクは何にもしてない」
「ええ。ええ。自業自得です。いいんです。やります。粉々に摺り潰してみせますとも」
ぶつぶつと呟きだしたエッカさんは、かなりアブナイ。白い乳鉢が魔女鍋のようだ。
「もー、院長ってば、むきになっちゃってぇ」
というチコリさんも、目付きが怪しい。
「あれだけたらふく食べさせておいて」
ペロさんが、恨みがましい視線を向けてきた。ちょーっとお腹の辺りがむにょっとしてきたかな?
「ほっ、ほっ、ほっ。この歳になって朝から元気一杯とは思ってもいませんでしたよ」
「オットー師!」
エッカさんが、妙に慌てて台詞を遮った。
「いいじゃん、それくらい。闇に紛れて、幼女を「ピー」するとか、熟女に薬盛って「ピー」するとか、そこまで絶倫じゃないでしょ? ああ、奥さん相手に一日中ハッスルするなら、寧ろ喜ばれるかも」
ん? 全員の手が止まった。
「・・・ロナさん」
見ている。じーっと、スイスチーズ張りの穴が開きそうな勢いで注目している。
なんなんだ。
「用があるなら早く言って。もう扉閉めるよ」
「その手の話は、今後、一切、やらないでくださいね」
「振ってきたのはオットーさんなのに」
年配男性の場を読まない「たわいない」挨拶に、ちょっと捻りを利かせたパンチを返しただけだ。張本人に禁止される謂れは、ない。まったくない。
「じゃあね。一葉さんを連れて行くから、調合は休んでて。それと、ボクが出てくるまでは、絶対に入っちゃ駄目。立ち入り禁止。危ないから。みんなにもそう言っといて」
「え? あ、あの! 説明を!」
「うまくいったらね〜」
ばたん!
どかんっ。
扉の前には、酒樽(中身入り)を積み上げた。これなら、重症の英雄症候群の人でも押し開けられないだろう。
建物をぶち抜く勢いの体当たりには耐えられないけど、やりそうな人筆頭のモリィさんは、街の外でダイエット中だと聞いている。竜体で飛べなくなったとか。ふむ。わたしの料理は、全て血肉になったか。善きかな。
それはさておき。
さぁて。やるぞーっ!
痺れ薬を攪拌して、やばい成分だけを揮発させる。燃やす前なら、毒性も弱い。かもしれない。
痺れ効果が濃縮されて即死レベルの麻痺を起こす可能性も考慮し、密閉度の高い容器を作った。大丈夫。いける。
とは言え、出来るだけ効率を上げたい。熱した方がいいのか、冷ました方がいいのか。撹拌用の羽の形状は、回転数は、素材は。
誰も入ってこないのをいい事に、手捏ねで部品を加工し交換する。そして、とっかえひっかえテストし、揮発完了までの稼働時間が短い組み合わせを、試行錯誤ではじき出す。
・・・・・・・・・・・・
はて、何日籠ってた?
でも、苦労した甲斐はあった。
とりあえず、完成した。
もーやだ。当分、油の匂いは嗅ぎたくない。
いや、まだやる事が残っていた。設計図を書き起こさないと。部品ごとのものと、組み立て手順と、完成図と。使用方法のマニュアルも、忘れちゃいけない。
使った魔法陣は三つ。「回転」と「冷却」は辞典に載っている。
「冷却」は、山の洞窟を散々爆散させて完成させたのに、その後、手元に戻ってきた辞典にちゃっかり載っていたという落ちも付いている。そりゃね、「森の子馬亭」に保冷室があった時点で気が付くべきだったんだけどねっ。
問題は、最後の『爽海』。
試運転ついでに詳しい機能を調べてみたら、「換気扇代わりの空気清浄機」などという可愛らしい代物ではなかった。
空気中の特定サイズの微粒子を原子分解するという、ビッグバンも真っ青なことを仕出かしていた。ついでに、標準的な大気組成を維持するなんて機能も、これっぽっちも付け加えたりなんか、していなかった。
どうしてこうなった。
ついでに。
『爽海』は、陣布式だったりする。
エッカさん達の居る作業室と今隠れている部屋と男女浴室及び更衣室には、陣布を天井に貼付け、化粧板で隠した。
わたしは、丸めて杖に仕込んでポチッとな、な使い方をしていたけど。
それはともかく。
こればかりは、ペルラさん達に製作を頼むしかない。
それよりなにより、一番の問題は。わたしの術式からコンバートした全く新しい魔法陣であること。
だけど、痺れ油を無毒化するのに、今の所は、これを使わずに済む手段がない。思いつかない。
どうなることやら。
「終わったー。って、あれ?」
扉を開けたら、治療師チーム、ではなくて、エッカさん一人が、魔道具の灯の下、ゴリゴリと乳鉢を抱えていた。
「やらなくていいって言ったのに」
「ふ、ふふふ。すりこぎを握っていないと、落ち着かないのですよ。ペンよりは遥かにマシです」
ムミオさんの大量書類攻撃に辟易しているのだろうか。
「お仕事なんだから、サボっちゃ駄目でしょ」
「工房にお邪魔する際に、ある程度引き継ぎはしたのです。なのに、なのにっ。いつまでもわたしを頼ってばかりではいられないことは重々判っているでしょうにっ!」
ぐりぐりぐりぃ〜〜〜〜〜っ
「八つ当たりされてる薬草も気の毒に」
「薬効に支障はありません。・・・・・・え? ロナさん?」
今、気が付いたらしい。
しかし。院長が書類嫌いではまずいでしょ。痺れ薬よりも、そっちの体質改善が先だと思う。
「うん。ちょうどいいや。器具の説明するから、ちょっと来て」
「あの、その、ロナさん? お疲れですよね? そうに決まってます。ちょうどいいです。わたしもです。ですから休憩しましょう。そうしましょう」
椅子を蹴倒して立ち上がったエッカさんが、わたしの手を握る。
うぉ〜い。やりかけの、擂り潰しかけの薬草は、ほっぽっといていいのかな〜。薬草まみれのすりこぎが、物悲しげにテーブルの上を転がっていく。哀れ。
「待ってってば。もう少し改良したい点があって、エッカさんに相談したいんだよ」
「改良、ですか? まあ、五日ですからねぇ。・・・そうなんです。五日も籠りっぱなしで! その前は、魔導炉の前に三日でしたよね?! 無茶をするにも程があります!!」
エッカさんも、かなりお疲れらしい。ついうっかり、わたしの話に乗ってくる程度には。
「どうどう。怒ってばかりいると体に悪いよ?」
「どちらが!」
「ところで。今、いつどき?」
この世界には、秒針付きの時計がない。そもそも、時計は滅多に見かけない。
旧大陸では極ありふれていた道具は、その大半が天変地異に追い立てられて移住する際に、実物もそれらを作る道具も技術者も失散してしまった。主要都市国家を建設する時、辛うじて持ち出してきた大時計を王宮に移築したそうだ。
五千年の大台を超えて稼働し続ける大時計が示す、明け時、昼時、暮れ時に、王宮の鐘が鳴る。ちなみに、鐘撞き番は門兵に並ぶ名誉職なのだとか。
十二刻で一日。わたしの体感ではあるが、地球の二時間が一刻ぐらい。季節によって昼の長さは変化している。でも、鐘が鳴る時刻は、日の出前だったり、すっかり陽が昇っていたりする。旧大陸の大時計は、クオーツでも使っているのだろうか。
なお、電池時計ならぬ魔道具時計が、あることはある。しかし、製作者の腕によって精度はまちまちな上、すぐ止まる。らしい。きちんと稼働する時計は、贅沢中の贅沢。金の菓子折りにも使えない超高級品。日用雑貨への道は遠い。
それはさておき。
厳密に時刻を指定する約束は、昼か夜に限られる。もっとも、そんな事をするのは高位貴族や大商人ぐらい。大抵は、もっと大雑把。明け時から一刻後とか、昼時半刻前とかで通じる。
ないならないで、なんとかなるものだ。いや。腹時計が正確なのかもしれない。
「明け時の鐘はまだです。それより先に休んでください」
「ちょうどいいや。散歩してくる」
「どうしてそうなるんです?!」
エッカさんが目を剥いた。渋いお爺様の威厳も台無し。
「ここでひと暴れしたら大惨事でしょ? 作ったばかりの魔道具を壊したくもないし」
「・・・はい?」
「アレだよ。アレ」
「ま、さか・・・」
ただでさえ疲れた顔をしていたエッカさんは、さらに顔色が悪くなった。ここは、期待に応えねば。
「はーい! またまた発作でーす!」
嘘だけど。
でも、切実に外の空気が恋しい。すっかり野生児と化しているなぁ。今のわたしが都心に放り込まれたら、呼吸困難で死ぬかもしれない。
「喜んでいる場合ですか! あれほど、あれほど無理はしないように言いましたよね?! 何聞いていたのですか!」
「怒っちゃ、いや♪」
「怒ります」
歌舞伎役者その二。あるはずのない隈取りがくっきりはっきり見える。気がするけど、それは気のせい。そう、疲労が見せた幻だ。
「切りのいい所まで進めておかないと、時間を置いたら忘れそうだったんだもん。それで、今すぐ散歩に行くのと、取り扱い注意の説明、どっちがいい?」
ぎりぎりぎり。
「そんなに強く歯軋りしたら、欠けるよ?」
甘味が貴重なこの世界では虫歯は少なそうだけど、年を取ればそれなりに老化する筈。
「・・・説明で、お願いします」
無煙装置、とでも呼ぼう。装置の機能と、それを担う部品の取り扱い方法を、設計図を広げて説明した。
肝心要の『爽界』陣布の作成はペルラさん達に頼む所までは、ほぼ無言で聞いていた。
「それで、これは試作品だから、ライバさん達に改良してもらって。それに、これは、多分三年ぐらいしか持たない。頑張って」
「はい? 魔包石を交換すれば使えるのでしょう?」
「違う違う。陣布の耐久年数がそれくらいなんだ」
「詳しく、お訊きしてもよろしいですか?」
実は、『爽界』用の魔法陣は、数パターンある。無縁装置や工房のあちらこちらにバラ撒いたのは、最も刺繍しやすいバージョン。区画ごとに機能が異なる魔法陣を配置している。それぞれ使う魔力量が一様でない所為なのか、長時間使用していると、区画の境目が綻んでくるのだ。そうなったら、当然、機能しない。壊れたとも言う。
改良型では、層状に配置した。その分、各層を接続するのに苦労する。そして、初期バージョンよりは保ったものの、どの組み合わせでも、結局、最後には壊れた。陣布を重ねた所為か、効果も落ちた。
駄目じゃん。
最新型は、全ての機能を全面にバランスよく組み合わせた。しかし、一番刺繍の手間がかかる。しかも、一刺し間違えるだけで爆発する。それはもう盛大に、景気よく吹っ飛ばしてくれる。ペルラさん達が食らえば、瀕死の重傷間違い無し。
そんな物騒すぎる代物なんか、おいそれと教えられる訳がない。
とは言えない。どうすればそんなものを開発できたのか、と根掘り葉掘り追求されてしまう。
ここは、華麗にスルーして。
「ライバさんに改良して欲しいのは、油をかき混ぜる羽の素材なんだ。麻痺成分を気化させやすい物にすれば、稼働時間を短くできる。その分、陣布も長持ちする、と思うんだ」
「今はモディクチオの甲殻を使っているのでしたね」
設計図を示せば、ついうっかり覗き込んでしまうエッカさん。いい人だ。
「ロックアントよりは良かったから。そうそう、エッカさん達も頑張ってね」
「何を、ですか。この装置があれば問題ないのでしょう?」
「装置に掛ける前に、麻痺成分が揮発しやすくなれば、更に稼働時間、もとい、処理時間が短くできるでしょ。物騒な在庫は、少なければ少ないほど安心できるよね♪」
つまり、添加物で効果を底上げ出来るかも、と唆してみた。
「・・・・・・」
「このすりこぎをあげる。トレントの古木の根から作り出したこのすりこぎがあれば、エッカさんもパワーアップ!」
耐久力は折り紙付き。すり鉢をまっ二つにしたこともある。・・・エッカさんの力なら、多分大丈夫。多分。
「なぜすりこぎ?!」
「ペンの方が良かった?」
「いいわけないでしょうっ!!」
どうやら、エッカさんは二択問題に釣られる質らしい。これからも、この手でいこう。
「はい、説明終わり。人通りが増える前に街門にいかないと、エッカさんの仕事を増やしちゃう」
「・・・なぜ、わたしを指名するんですか」
「犠牲者、じゃなかった、被害者を放置できないでしょ」
「巻き込まないでください」
「巻き込まない為に、早出するんだし♪」
「そうではなくて!」
それなりに整えられていた頭を、力強くかきむしるエッカさん。
禿げるよ?
お待たせして、申し訳ありませんでした。と〜〜〜〜っても、難産でした。・・・言い訳です。すみません。




