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復活の序章

 工房は、天地をひっくり返したような騒ぎになった。


 何がどうなったのか、作業室では本人も含めた四人が全身油をかぶった状態で昏倒した。


 現場は、ものの見事に油まみれとなってしまっている。ただし、体内に入れば麻痺を引き起こすという厄介な性質があり、迂闊に近寄れない状態だ。唯一、作業室で生き残った、もとい無事だったななしろに現場を任せるしか無かった。


 騒動を引き起こした張本人と巻き添え喰らった犠牲者達は、数人掛かりで全身の油を拭き取られた。現場の清掃の邪魔にならないよう、即行で運び出される。


 工房の浴室は、人ひとりが体を洗うだけのスペースしかない。四苦八苦しながら、漸く全身の油を取り去ることが出来た。そうして、清潔な衣服に包まれて、やっと治療を受けられるようになった。

 一人は、苦悶の表情でうなされている。もう一人は、目は覚ましたようだが、指一本動かせない。当然、喋ることも出来ない。重症と思われるエッカでさえ、患部を冷やし安静にさせておくくらいしか出来なかった。

 体の頑丈さでは折り紙付きの竜の姫君は、別室のベッドに縛り付けられている。気絶している今のうちに捕獲しておこう、ということらしい。


「モリィさんったら、一体、何があったのかしら」


 彼女を見下ろすアンゼリカは、複雑な表情をしている。


「母さん。ごめん。止められなかったわ」


 警備員の一人に付き添われてやってきたのは、アンゼリカの娘のフェンだった。


「ペルラ様、今の人数では警備に不安があるのですが、どういたしましょう」


「は、あ。え? それは、困りましたわ」


 アンゼリカと今後の対応を相談しようと病室にきていたペルラを見て、警備員が申し訳なさそうに、それでもキッパリと問題を口にする。


 竜の姫君の乱入を阻止しようとした警備員数人が負傷しているのだ。

 ただでさえ不審者が彷徨いているところに、この騒動。更に野次馬、もとい侵入者が増えると思われる。しかし、警備員を増員する当ては無い。主に予算的理由で。


「ペルラ殿。副騎士団長の代理で来ました。団長の様子は?」


 そこにトングリオがやってきた。


 巻き込まれた騎士団長に同行していた見習い団員が、血相を変えて王宮に駆け込み、こちらにも混乱が波及したそうだ。被害者の一人が、治療院長だったこともあり、治療院にまで動揺が広がっている。


「あら、あらあら。団服ではないのね?」


「一応、休暇中の団長にプレッシャーを掛けない方がよろしかと愚考しました。それで、一体何があったんです? あの見習い、王宮中に触れ回りそうな勢いでしたよ。団長が意識不明の重体になったって。城門兵と数人の侍従を突き飛ばしたところで確保しましたが」


「ミゼルさんは、そのうちに気が付くと思うわ。治療師の診断では、バッドを一気飲みしただけだそうよ」


「げっ?!」


「バッドって、あの、二日酔いに効く奴?」


 トングリオと、それとなく話しを聞いていたフェンが、共に顔を顰めた。


「今、ななちゃんがお部屋のお掃除しているのよ。終わったらお話しを聞くつもりなんだけど・・・」


「お一人で、ですか。終わりますか?」


 ミレイの問いに、アンゼリカは美しい顔を顰めて深々とため息をつく。


「気絶した人達を受け取る時に見たけど、酷かったわ。天井までヌルヌルよ。いくらななちゃんでも、大変だと思うの。やっぱり、わたし、手伝いに行くわ」


「・・・申し訳ありません。お手伝いしたいのですが、手が」


「どういうこと?」


「フェン様。飛び散った油が傷口に触れると体が麻痺して動かなくなるそうなのです。わたし達は先ほどまで織り機を使っておりましたので、小さな切り傷がございまして」


「うちの新製品、使ってみる? 水がしみ込まないグローブよ。湿地での採取用に開発したの。今から取ってくるわ」


 扉を開けたフェンの前には、噂のななしろが立っていた。


「あっ! ・・・え? ロナ?」


「フェンさん、トングリオさんも。久しぶりぃ」


 軽く挨拶するななしろ。


「ななちゃん。お疲れ様」


「ナーナシロナ様。休憩ですか? すぐにお茶をご用意します」


 軽く会釈して部屋から出ようとするミレイは、すぐさま足を止める羽目になる。


「部屋の掃除なら、もう終わったよ。一葉と四葉が大活躍でねぇ」


 にこにこと笑うななしろ。


 だが、その場に居た女性達は、なぜか凍り付いた。トングリオは、無意識のうちに扉の脇の壁際まで後退している。


「あ、あの、アンゼリカ様から聞いた限りでは、部屋一面に油が飛び散っていると」


 ペルラの問いにも動じない。


「うん。ヴァンさん達よりはすこーしマシなくらいだった。それがねえ、凄かったんだ。二人して、掃除機みたいにずおーーーーって吸い込んじゃった。おかげで天井も壁もピカピカ♪」


 ななしろが何を言っているのか、よく理解できない。


「ナーナシロナ様、油汚れを落とすのは非常に苦労するのですが」


 ミレイは実体験を基に、なおも確認する。


「古い壁紙の染みもなくなっちゃったんだ。見てきてよ、ビックリするから」


 通じていない。


 とは言え、彼女の身なりは清潔そのもの。部屋の前で別れたときはヴァン同様に頭から油をかぶっていたのを、アンゼリカもペルラも見ている。


「そうか。こんな事故も想定して、掃除機も作っとこうっと」


 惨事に巻き込まれたというのに、妙に機嫌がいい。国王が乱入してきたときの激高ぶりに比べれば、安堵するべきなのかもしれない、が。どうにも寒気が治まらない。


「ええと、ね。ななちゃん、お掃除は、もういいの?」


「この後どうするかペルラさんと相談したいんだ。作業室は、もう使えるし」


 にべもない。というより、話がスキップしまくっている。ライバではないが、「説明を省くな!」と言いたくなった。


「んで。フェンさんはどうしたの?」


 突然話を振られて、驚いた。


「え、ええ。モリィさんを連れ戻しに。追いかけようとしたけど間に合わなくて」


「変なことを言ってた。ボクが虐められてるとか。それに、ボクがここに居ることをどうやって知ったのかな?」


「うちの客の一人がね、散々愚痴っていったんだけど、それを盗み聞きしてたみたい」


「客、とは、どこのどいつでござりましょうか?」


 ペルラのこめかみに青筋が立っている。心当たりがあるらしい。それを見たフェンは、即座に素直に白状した。


「ティエラさんよ。ペルラさんのお孫さん、よね。さっき、水仕事するときの前掛けを探しにきたの」


「あの子は、どうしてこう、いつもいつもいつも!」


 ようやく元通りになったペルラの髪が、ブワリと広がる。


「た、たいしたことは言ってなかったわ。糸取りがキツいとか、最近加わった子が生意気だとか、ペルラさんがえこひいきしているとか」


「十分でございましてですことよ」


 ペルラ女史は臨戦態勢に入った。


「あら、それがどうしてモリィさんが工房に来ることになるのかしら」


 首を傾げるアンゼリカ。しかし、彼女の目も、笑っていない。


「ほら、母さんがここの工房の手伝いしてるのを知ってたでしょ。モリィさんは妙なところで勘もいいし。それで、ティエラさんが、ロナのこと、母さんの料理で横に太ってしまえ、って。容貌のことを散々けなして、おほん、挙げ連ねてたから、それやこれやで、多分・・・」


 おほほ、うふふふ、と二つの笑い声が。トングリオは、とうの昔に逃げ出している。


「これはこれは。ティエラにもたっぷりとお話ししなければなりませんわ」


「モリィさんも、おいたは駄目と、あれ程お願いしていたのに、ねぇ」


 二大女傑のかんに障ったティエラとモリィの行く末は決まった。かに見えた。


「どうでもいいじゃん。もう、来ちゃってるんだし」


 堂々と被害者を名乗ってもいい筈のななしろは、爽やかにスルーする。


「ナーナシロナ様?!」


「よくないわ!」


「寧ろ、作るべき道具の発想をもらったんだから、何かお礼したいな」


「「「お礼?!」」」


 三人が同時に叫び、その声に驚いたのかベッドの上のモリィが目を覚ました。


「もががががっ!」


 がんじがらめに縛られているだけでなく、猿ぐつわまで咬まされているモリィに、にっこりと笑いかけるななしろ。


「モリィさん元気そうだねさっきは驚かしてくれてありがとうお礼にごちそうするからね」


 アンゼリカ達が口を挟む前に、一気に言い切った。


「ごちそう、ですか?」


 目を輝かせるモリィ。そして、思いっきり不思議そうな顔をしたミレイが質問した。


「うん。美味しい物が好きだって聞いたから。全部食べてね♪」


 アンゼリカは、最後の台詞を聞いて、何とも言えない顔をした。


「ななちゃん。もしかして?」


「だいじょーぶ! 食材は山ほど買ったでしょ?」


「ちょっと、あの、ナーナシロナ様? 先ほどから、その、なんといいますか」


 ななしろの表情は、とてもとても大迷惑を掛けられた被害者、のするものではない。寧ろ、罠に飛び込んできた獲物をどう料理するか算段している猟師、と言った方がしっくりくる。


「もう、何だって作っちゃうもんねっ。さぁて、どんな料理にしようかなっ」


 人々から畏怖される竜の化身も、今のななしろには、まな板の上に寝そべったベペルに見えるらしい。モリィを見つめる目つきが違う。肝心の獲物は、事態を理解していないようだが。


「アンゼリカさん。調理場貸してね。ついでに、みんなの晩ご飯も作っていいかな」


「あの! 巻き添えになったお三方はまだ起きられないようなのですが! 他にも傭兵の方々も治療中だそうです!」


 冷静になってもらおうと、大事な用件を伝えるミレイ。


「え? あの三人だけじゃなかったんだ。薬は足りたのかな? たんこぶはしょうがないよねぇ。打ち身用の軟膏が効くのかな。あ、ミゼルさんには、蜂蜜薄めて飲ませればそのうちに気が付くでしょ。ヴァンさんにはこれ。そうだ、これ、エッカさんとミゼルさんにも飲ませておいた方がいいかも。治療師さんに渡してね」


 ななしろは、どこからともなくひょひょいと三つの小瓶を取り出し、ミレイの手に握らせた。

 鮮やかな手際に、受け取ることしか出来ないミレイ。


「「「・・・・・・」」」


 硬直しているペルラとアンゼリカの脇をすり抜け、部屋を出て行こうとして、ふと足を止めた。


「モリィさんは、大人しくしててね。ふふっ、何の料理にしようかな♪」


「もごっ。もごごごっ」


 素直に頷くモリィに、よし、とばかりに頷き返し、今度こそ、ななしろは部屋を出て行った。


「ねぇ、母さん。ロナってば、どうしちゃったの?」


「やっぱり、あの油、麻痺するだけじゃなくて、とっても危険なものだったのよ! どうしましょ、どうしたらってエッカさんは気絶したままだし、どうしたらいいのかしらっ」


 ななしろの態度の急変がよほどショックだったのか、普段は冷静沈着なアンゼリカがパニックを起こしている。ペルラも同様だ。全く当てに出来そうにない。


 フェンは、ため息をつくと、ミレイに声を掛けた。


「ええと。それ、エッカさんに付いている治療師に渡してきてもらえる? それと、ラトリさんに、ロナの様子を見ているようにお願いできないかしら。その後は、この二人を見てて欲しいの。わたしはトングリオさんを捕まえて、警備の相談にいってくるわ」


 パニックに乗りそびれたフェンは、モリィの暴走を止められなかった後ろめたさもあり、事後処理に動き始めた。




 エッカの頭部強打は、重篤な状態ではないと診断された。むしろ、顎の方が酷い。また、腰にもダメージを受けているらしく、当分は、ベッドの上での流動食生活が言い渡された。

 しかし、ミレイから渡された薬を飲ませたとたんに、騒ぐエッカ。


「ひょんな」


「院長。仕事をほったらかしていた罰が当たったんです」


 顎に大きな絆創膏を貼付け、舌をかんだ所為で喋るのも辛そうなエッカに対し、呼ばれてきたムミオ治療師は、無情の一言を放つ。


「ひゅうからったれはありあれんか」


「何をおっしゃっているのか判りません。

 一応、一応、頭部を強打していますので、三日はこちらで安静にして頂きます。その後、連行、ごほん! 引き取りに参ります」


 眼鏡のつるを押し上げて、止めを刺すムミオ。


「ひょ、ひょんらっ」


「それと、ナーナシロナさんには、近付かないようにお願いしておきます。でないと、安静にしていられないでしょう?」


「らったらっ! ころひょるいもらめれひょう!」


 横たわるエッカの左右には、紙束が山のように積まれている。腰を固定する為の重し、ではないらしい。身じろぎする度、エッカの上に崩落している。


「幸い、頭と手は無事でした。ですので、ベッドの上で出来ることをしていただきます」


 ムミオの鞄がやけに大きいと思ったら、中身はほとんど書類だったのだ。ちなみに、エッカの治療には、彼が持ち込んだ鞄に入っていた薬草類が使われた。


「ひょれれは、あんへいろはいわらいれす」


「何をおっしゃっているのか判りませんよ」


「むいお!」


「あ。起きてた」


 ひょっこり顔を出したのは、ななしろだった。


「ご飯出来たよ〜。あ、初めまして。ななしろです」


「ムミオと申します。この度は、うちの院長がご迷惑をお掛けしました」


 先ほどとはうってかわった柔らかな笑顔で挨拶するムミオ。


「どうも〜。ムミオさんも食べてってよ」


「いえ。院長の看病に付いております。そうそう、院長の食事は噛まずに済むものをお願いします。熱すぎるのも辛すぎるのも避けてください」


 ななしろは眉をひそめた。


「そんなに悪いの?」


「顎にひびが入った上、思いっきり舌をかんでます」


「・・・うわぁ」


「あと、腰も打ってます。椅子に座ることも出来ない筈です」


「確かに。流動食にするしかないね」


「らったら! ほれはれきまへん」


 ばさばさと書類を叩くエッカ。


「わたしが読み上げますので、サインだけしてください」


「むりれふ」


「なんだ。やっぱりサボリだったんだぁ」


「ひはひはふぅっ」


 懸命に喋ろうとして、また舌を噛んだらしい。


「舌ではなくて、手を動かしてください。まだ、院長室にも山積みになっているんです」


 ムミオは、エッカに強引にペンを握らせ、その上から包帯を巻いた。包帯の使い方を間違えている、と、ななしろは思ったが口にはしなかった。


「今夜ぐらいは寝かせといたら? どうせ、工房から逃げられないんだし」


「ろらはん!」


「一人にしておいたら、這い出てきますよ。院長ですから」


「ろういういひれす?!」


「じゃあ、こうしよう」


「何です?」


 ぷすっ


 エッカの動きが止まった。


「有効利用しなくちゃねっ♪」


「なるほど。確かにこういうときこそ、ですね」


 エッカの目は、絶対に違うと言い張っている。が、一言も喋れない。ロナが、痺れ薬をお見舞いしたからだ。

 一日のうちに、二度も麻痺することになるとは、流石のエッカも予想していなかった。


「この状態だと、飲み物も飲めないし。エッカさんには、後で、何か差し入れするね」


「ロナさんが作るのですか?」


「だから。ご飯だよ、って呼びにきた。みんな食べ始めてるよ」


「それはそれは。ありがとうございます」


「そうだ。書類はどうする?」


「あ、失敗しました! こうなったら、明日、付きっきりでやらせます」


 いやだ、やりたくない、と盛大に文句を言いたい。でも喋れない。


「大変だねぇ。だったら、尚更、今から栄養付けとかないと」


「そのとおりですね。それでは、ご相伴にあずかりましょう」


 連れ立って部屋を出る二人の後ろでは、両目に涙を浮かべたエッカが無言で見送っていた。

 やけくそも突き抜けた主人公。これから、真の活躍が始まる! ・・・かもしれない。


作者「お手柔らかに、ね?」


主人公「ふんだ!」 

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