chapter.1 放課後、再会
空虚な時間は驚くくらい無情に過ぎていく。
まどかが活動を停止してから早十日、伊織は完全なる日常を取り戻していた……はず、だった。
「――って、伊織聞いてる?」
「はぁ……」
腐抜けた声に優也はガックリと肩を落とした。
優也は荷物をリュックに押し込みながら、ぼうっとしたまま動かない伊織を急かすように、バンバン机を叩いてきた。
「だからさ、今日発売じゃん」
「ん? んん……」
「きらキュアのアクスタ、夏バージョン! クリアファイルとアクキーも」
「あれ、そうだっけ……」
「キュアキュアStoreのXy見せたじゃん。放課後、買いに行くって話だよ」
「そんな話、してたっけ……」
グシャグシャと頭を掻き毟り、伊織は頭の中を整理する。
ここしばらく伊織はずっと上の空だ。
「夏バージョン……あれ? いつ変わったんだっけ」
「今週からだよ! 変身前の夏服、すんごく可愛いなって喋ってただろ、おととい!」
「おとといの話……?」
話していたような、話さなかったような。
首を傾げる伊織に愛想を尽かしたように、優也は大きく溜息を吐いた。
「やっぱり変だぞ伊織! とにかく今日は付いてこい!」
顔の真ん前に突き立てられた優也の人差し指は近すぎてピンボケしていた。
伊織は何も言い返せず、とりあえずでこくんと頷いた。
*
いつの間にか時間だけが刻々と過ぎて、季節は夏へと変わっていた。
学校へ行く、勉強をする、家に帰るというルーチンだけはしっかり守って、だがあとは何だかフラフラと、湿った空気の中を漂うような暮らしをしている――そういう感覚。
左手はいつもスースーしているし、通知が溜まって遂には三桁の数字が右肩にくっついたままのアプリも、ずっと頭の片隅に引っ掛かったままだ。
「で、やっぱりのどかちゃん用の青空ちゃん優先?」
「うん、まぁ……」
新商品が並ぶと大抵女子でごった返すキュアキュアStoreの中、普段通りに店内に入り、優也と一緒に商品を物色する。
思えばのどかを元気づけようと思って買ってあげたアクスタが最初だった。それから新商品が出る度に、のどかの笑顔が見たい一心で小遣い叩いて買ってやるようになり――自分の好きなルビーのグッズは後回しになっていた。なっていたのだが。
「買えば、買えるんだよな」
ラボからの報酬がネット銀行の口座にどっさり振り込まれていて、そこからチャージすればバーコード決済で簡単に買えてしまう。
――『これで《きらキュア》のアクスタ、迷わず買えるようになるんじゃないか』
ふと頭の中に低い声と妙に爽やかな男の姿が再現される。
バイト感覚というわけではないにしろ、戦ったあとにはきちんとラボから報酬が振り込まれていた。アプリ内に記録された戦闘履歴に明細が付いていたのも、ちゃんと一人の大人としてラボが自分の働きを評価してくれているみたいで嬉しかった。
……とはいえ、もう辞めてしまったこと。懐が温かいのは今だけなのだから、衝動買いする必要は。
「まだ迷ってんのか」
隣に大きな影が入り込み、伊織の耳元でボソリと言った。
かと思うと、そいつは棚から一種類ずつ新商品のアクスタを掴んでは躊躇もなく籠に入れ、それから伊織の持っていたアクスタをひょいと摘まみ上げた。
「え?」
ぼんやりしていた伊織の真横に顔を寄せると、そいつは「これでいい?」とルビーの変身前、赤城紅のアクスタをチラリと伊織の方に向ける。勢いに気圧されて「うん」と返事をした伊織だったが、その妙過ぎる行動にはやけに覚えがあった。
「健太郎……!」
思わず声が出た。
一瞬幻かとも思ったが、夏らしい半袖ワイシャツ姿の健太郎は、伊織の記憶にはない姿だった。
伊織の声に反応し、別の棚で商品を見ていた優也がハッとしてやって来て、
「いつぞやの変なサラリーマン!!」
と指を差す。
ザワッと店内が響めき、伊織と健太郎に女性客らも注目してしまう。
「変なとは心外だな」
「あ! やっぱりそうだ。あのときと同じだ。全種類買ってる」
健太郎の籠を指差し慌てる優也に、だからどうしたと冷たい目を向ける健太郎。二人に挟まれ、この状況をどう説明したらいいか迷った伊織は、二人の顔と周囲を交互に見ながら、アタフタするばかり。
「伊織、構うなよ。こんな変なヤツ」
「いや、あの」
伊織の手をグイッと掴んで健太郎から引き剥がそうとする優也。しかしそれよりもっと強い力で、健太郎は伊織をグッと自分の懐に引き寄せた。
「同級生か」
「う、うん。まぁ……」
「まさかここで会うとは思ってなかった。丁度良い」
健太郎はニヤリとほくそ笑むと、その高い身長を生かして優也を威嚇した。
「悪いけど、こいつは借りていく」
「か、借りていく? 何だよ伊織、知り合いか?」
「えっと、これは、その」
なんと説明したら良いのか。両手を前に突きだして必死に言い訳を考えるが、伊織には何も浮かぶはずもなく。ワタワタする伊織を見かねて健太郎が声を上げた。
「知り合いじゃない。俺は、こいつの彼氏」
ピタッと、ざわめきが止まった。
伊織の思考回路も同時に止まった。
「……ハァ? 誰が」
「俺が」
「僕の?」
「そう。俺達、そういう関係だろ」
健太郎はわざとらしく伊織の腰に手を当て、グッと自分の方に引き寄せた。




