97.関係と大変な世界と人付き合い
その後夕飯になっても、フィイ母様が何を企んでいるのか教えてくれなかった。
しかもシエルとわたしが話があるんじゃないかと部屋に促したので、探ることもできないまま宛がわれた部屋に入っている。
高級宿よりも質のいい調度が揃ったこの部屋を、シエルは結構気に入っているのだと思う。
何せベッドがふっかふかだから。
食事についてもそうだけれど、リスペルギアの屋敷の生活の反動なのだろう。
今のシエルを見たら、些細なことで喜ぶ幸せな人に見えるかもしれない。
それがどれだけ尊いことなのか、きっと分からないのだろう。
わたしもちゃんとわかっているとは言い難い。
それこそシエルが勝手に幸せになって、わたしも勝手に幸せになるみたいなものだろう。
屋敷での部屋は良いものが揃っていて文句はないのだけれど、当たり前のようにモーサとサウェルナが控えているのが気になる。
この状態に慣れるのも母様の娘になるのに必要なことなのだろう。
2人ともなかなか存在感を薄めているのだけれど、探知を常に使っているわたしにはあまり意味がない。
シエルがそこまで気にしていないようだから、別にいいか。
シエルとの話も実際に話すわけではないので、周りには聞こえない。
メイド2人が退屈かもしれないけれど、そこは我慢願いたい。
そして今シエルはベッドに座って、その弾力を楽しんでいる。
ベッドの隣にはナイトテーブルがあり、その上にはサウェルナが淹れたお茶が置かれている。
湯気が上がっているそれを、シエルは実に美味しそうに飲む。
実際美味しい。渋みが少なくて口に含むと同時に香りが口いっぱいに広がる。
『エイン、エイン。私、エインに訊きたいことがいくつもあるのよ』
『何ですか?』
わたしもビビアナさんの実家について話したかったところだけれど、シエルの話の方が大事なので横に置いておく。
『えっと、いくつかあるのだけれど、何から話せばいいかしら?』
『シエルが一番気になることからではどうですか?』
『だったらそうね。フィイと私達は親子になったのよね?』
『そうですね。普通の関係とは言えないかもしれませんが、それが問題になることもないでしょうね。
それが気になるんですか?』
『いいえ。フィイが母親と言われても、今一つ実感はわかないけれど、そこに疑問は無いわ。
私はフィイなら大丈夫だと思うもの』
『それなら何が気になるんでしょう?』
改めて問うとシエルの表情が、少し不安そうになった。
それでも笑おうとしているのが、わたしのことを気にかけてくれているようで、どこかいじらしい。
それから意を決したように話し出す。
『あのね、あのね。ねえ、エイン。私達の関係って何かしら?』
『わたし達の関係……ですか』
昔は親のつもりだった。シエルを導く存在であり、不要となったら消える存在だと思っていたから。
わたしにとってシエルとは、新しい生における全てであり、生きる意味。
シエルもわたしの事を大切に思ってくれているのは違いない。
わたし達はお互いが居ないと心が保てない。
お互いが依存している今の関係は、わたしの知っている言葉では「共依存」だろうか。
だけれど、シエルの求める答えはそう言うことではないのだろう。親子とか兄弟とかそう言った繋がり。
フィイ母様を介してであれば姉妹なのだろうけれど、それはやっぱり違う。後付けの何かのような気がする。
『すみません。わたしにはこの関係を表す言葉が分かりません』
『そう……なのね』
『ですが最初はシエルの親のつもりで生きていました。それでも今はそう言うことはできません。
今はそれ以上の何かです』
この感情を、感覚を、関係を表す言葉が見つからなくて、とてもとてももどかしい。
わたしの言葉を聞いている間、きっとシエルは不安を感じているだろうから。
そもそもシエルがわたし達の関係性を聞いてきたのは、フィイ母様と客観的で明確な関係性を得たからだろう。
母様とは親子だけれど、わたしとはどうなのか。
大人びていてもシエルは小中学生程度の年齢なのだから。
『わたしにとってシエルは何よりも特別で大切な存在です。
ですがシエルがそれでは安心できないというのであれば、わたしは何にでもなりましょう。
シエルの親になりましょう。シエルの姉妹になりましょう。恩師になりましょう。親友になりましょう。相棒になりましょう。
シエルが望む全てになりましょう』
情けないわたしに言えるのはこれだけ。
『ふふ、そうね。そうなのね。つまりは「名前の付けられない特別な関係」なのね?』
『わたしはそう感じています。シエルの期待には応えられなかったと思いますが……』
『いいえ、いいえ。いいのよ、いいの。私がちょっと拘り過ぎていたのね。
だってエインの特別になりたかったのだもの。エインを特別にしたかったのだもの』
言い訳っぽいシエルの主張が嬉しく、同時に照れてしまう。
でもシエルが納得してくれたのであればよかった。
『えっと、聞きたいことが他にもあったんですよね?』
『ええ、そうだったわ、そうだったわね。エインが良ければ、エインの居た世界を知りたいのよ』
『わたしがいた世界ですか……。すべて話すと長くなるので、今日は少しだけにしておきましょうか』
『構わないわ。これからも聞ける楽しみがあるものね。
それならエインの事について教えてくれないかしら?』
来るだろうなとは思っていたけれど、別に面白い話でもないと思う。
冴えない男の短い一生だ。それでもシエルが聞きたいというのであれば、話しても良いだろう。
連続した記憶だけれど、前世の事は割り切っているし、話す分には構わない。
『わたしの話をする前に、わたしの世界について話しておきましょうか』
わたしの話をするにも、さすがに世界の成り立ちが違う。
シエルにしてみれば、未知の世界だ。正直前知識なく、バスとか出しても理解してもらえないと思う。
と言うか、言葉どうしよう。普通に日本語で良いだろうか。
そしてシエルが少しむくれているように見えるのは、わたしの話を聞きたかったのに聞けなさそうだからか。
でも許してほしい。
『えっと、わたしのいた世界はこの世界とは全然違うんですよ。
ですからわたしの話をするにも、知っておかないとたぶん理解できないと思うんです』
『そうなのね』
『簡単に言えば、魔術も魔道具もなく、魔物がいない世界ですから』
『そんなところが存在するのね。不思議ね! 魔物がいないのは安全そうだけれど、魔道具がないと不便そうね?』
ちょっと不満そうだったシエルが、話に食いついてくれたので地球について簡単に説明することにした。
◇
『エインのいた世界は何だか大変なところだったのね』
『確かにそうかもしれませんね』
シエルの感想がちょっと想像とは違ったので、返事に少し困ってしまったのは秘密だ。
でもまあ、シエルの場合は移動は最悪空を自由に移動できるし、わたしの結界で大抵の危険は退けられるし、ドライヤーをはじめとして家電の多くは魔術や魔法で代用可能。
通信機器に至っては、たぶん興味がない。
あとは普通に常識の問題。シエルもわたしもこの世界の常識について身をもって体験したことは少ない。
比較する下地がない。だからシエルの体験だけで見ると、わたしの存在もあって日本の方が大変に見えるのだと思う。実際はどちらの世界にも大変なことがあり、どちらの世界にも秀でたところはあると思うのだけれど。
だけれど、シエルが日本を大変なところと言えるということは、シエルは今の生活に満足しているということだろう。
それを与えられていたというのは嬉しいことだ。
『本当は今からエインの話を聞きたいけれど、今は我慢しておくわ。
それで最後に訊きたいことなのだけれど、今後人とどう付き合えばいいのかしら?』
『その話もありましたね』
エストークの時と同じ、というわけにはいかないと思う。
だけれど、人付き合いに正解はないと思うし、これはこれで難しい問題だ。
でもなんだかんだで、わたし達は力を手に入れたので、シエルの好きにしても良いと思う。
悪意にさらされたときに、それからシエルを守るのがわたしの役目だ。
とは言え、シエルに丸投げと言うのもよろしくない。
『そうですね。基本は鏡のように付き合っていきましょう』
『鏡? どういうことかしら?』
『親切にされたら親切を返せばいいですし、悪意を向けられたら向け返せばいいです』
『なるほどね。セリアやカロルなんかには、親切を返せばいいのかしら?』
『そう言うことですが、あまり深く考えなくていいですよ。何かあればわたしも指摘しますし』
『じゃあ特に何もしてこない人へはどうしたら良いのかしら?』
『そこはもう、シエルの印象で決めて良いと思います』
シエルが初対面で良い印象を抱く相手がいるかはわからないけれど、それはそれ。
わたしは別にシエルにイイコになってほしいわけではない。
ましてや誰にでも慈愛を与える聖女のようになってほしいとは思わない。
『それだったらできるかしら?』
『そのあたりは慣れながらやっていきましょう。何かあっても、何とかなるだけの後ろ盾はありますから。
シエルがどうしても人との付き合いが嫌になった時には、外の人との関わりを断ってフィイ母様の屋敷で過ごすのも悪くはないでしょう。
屋敷の事などを手伝えば、許してくれると思います。最悪いつか言っていたみたいに、森の中に隠れ住むのも良いかもしれませんね』
『エインはそれでいいのかしら?』
『シエルが一緒なら、それでも構いませんよ』
『ふふ、私もエインが居るならどこにだっていられるわ』
わたしが求めるのはあくまでシエルの幸せ。
シエルが幸せなら、わたしも幸せでいられるだろう。
だからシエルが自分のことを考えた上で選んだのであれば、わたしは喜んで受け入れよう。
『うん、わかったわエイン。話を聞いてくれてありがとう』
『いいえ、話を聞くだけならいつでもお付き合いしますよ。
わたしもシエルと話しておきたいことがありましたし』
『あら、何かしら? 何かしら?』
シエルの話も終わったようなので、わたしの用事も済ませてしまおうと話を変えると、シエルが居住まいを正して話を聞く態勢に入った。
『ビビアナさんから紹介状を貰っていたのを覚えていますか?』
『そんなこともあったわね。確か後ろ盾を手に入れるためとかだったかしら?』
『そうですね』
『だとしたら、もう大丈夫よね?』
『確かにそうなんですが、せめてどうなったのかをビビアナさんに伝えるくらいはしておきたいかなと思いまして』
『人付き合いって奴ね。それなら明日もハンター組合に行きましょうか。
今日はフィイに引っ張られて、A級の証とかもらっていないもの』
確かに言われてみるとそうだ。
フィイ母様も大概自由だなと思うと同時に、自分の抜け具合がそろそろ楽しくなってきた。
『それならまずはセリアさんを探してみましょうか。セリアさんは職員ですし、一番見つけやすいと思いますし』
『その時にはエインが対応したほうが良いかしら?
カロルもセリアも私は直接話したことないのよね』
『そう言えばそうでしたね。ですが、シエルが対応してください。
必要があればわたしも対応しますが、あの二人なら事情を話しても大丈夫でしょう。
……下手したら、何か感づいているかもしれませんしね。ヒントを与えたような記憶があるので』
何と言ったかは正直覚えていないけれど。
だって2年前だもの。シエルの頭は優秀だけれど、使い手はわたしになるし、たぶん脳にではなく魂的なところに記憶容量がある。
だから、わたしが抜けているのはわたしのせい。
『セリア達なら人付き合いの練習としても大丈夫そうだものね。
特に隠さないといけないこともないのよね?』
『ないと思います』
なんだかんだ愚者の集いの面々とは話していたわけだし。
と言った所で、シエルが眠たそうにし始めたので、話を切り上げて子守唄を歌うことにした。





