表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/13

後編





 「旦那さま、わたくし失礼させていただいてもよろしいでしょうか?」


 結婚して五年が過ぎ、初めて会話を交わした翌朝。アリシアは夫であるエドアルドとの朝食を無事に終え、早々に退出の願いを申し出る。


 自分でも硬いと感じはするが、二人でいてもお互い気まずいだけだろうとアリシアなりに気を利かせたつもりだった。それに夫不在の五年でアリシアなりの役割も見つけたし用事もある。それを名ばかりの夫の為に放棄するつもりは毛頭ないのだ。


 騎士となり人生の大半を戦いに明け暮れたエドアルドは、アリシアの様子を窺いつつ久しぶりの上品な食事に素直に挑んだ後、ティーカップを手にしてお茶を含もうと持ちあげた所で動きを止めていた。


 「あの、旦那さま?」

 「あ…あぁいやっ」


 エドアルドは慌ててカップをテーブルに戻す。

 朝食の席では挨拶以外の会話は一つもなく、それなら食後のお茶でも飲みながら何かしら話題を振ろうとしていたエドアルドは意表を突かれた。


 「少し話でもしないかと思ったのだが―――」

 「わたくしには昨日の話し合い以上の話などございませんが?」

 「あ…あぁ、そう―――」


 不思議そうに眉を顰めるアリシアにエドアルドは呆気ないほど簡単に玉砕してしまう。


 戦場では敵なしと謳われるエドアルドであったが女性の扱いになるとどうも上手くいかない。いや、女性の扱いには世間一般並みに慣れてはいるはずだったが、突然現れた妻に対して、エドアルドはどうにも調子が狂わされているというか…アリシアの行動一つにどう手を付けていいのか解らないでいた。


 そんなエドアルドの心中など微塵も感じ取れないアリシアは、本当に不思議そうにエドアルドを見つめた後で「あっ」と何かに気がついたように小さく声を上げる。


 「お連れになる女性の件ですね?」


 名ばかりとはいえ正妻の座にいる自分に遠慮したのだろうと非礼を詫びると、上げかけた腰を椅子に落ち着ける。


 「詳細はダリとお決めくださって構いません。そちらの方がお気になさるようならわたくしは離れに移るつもりでおりますので、本当に遠慮なくお申し付けくださいませ。」


 政略結婚以外の何物でもない夫婦、しかも夫がその事実に直面したのはつい昨日だ。エドアルドは突然突き付けられた現実に困惑しているに違いない。アリシアにも怒りの感情はあるが、離縁を申し出てくれた相手にこちらの都合で踏み止まってもらっているのが現実だ。

 相手は伯爵の位にあるお貴族さまで国の英雄、アリシアごときの都合に振り回される身分ではないし、見た目はそれはそれは麗しく愛人の一人や二人いてもおかしくない筈で。『お前などいらん、出て行け』と命じられればそれまでなのだ。


 にも関わらずアリシアの条件を飲んでくれている様子のエドアルドに、ここは怒りの感情を捨てて感謝するべきかと思い改め、アリシアは心を落ち着け体の力を抜く。


 「すでにお子がおありでしたなら嫡出子としても構いませんし、非嫡出子であっても跡取りとして―――」

 「子などいないし愛人など持つつもりもないっ!」


 突然荒げられた声にアリシアはびくりと肩を震わせ、はっとしたエドアルドが非礼を詫びる。


 「ご婦人を前に失礼した。」


 エドアルドは己を落ち着かせる為に胸元をくつろがせると、髪をかきあげると大きく息を吐いた。


 「貴方に離縁の意思が本当にないのなら、私達はこのまま夫婦としてやって行く事になる。私は妻に対して誠実でありたいと思っているので、これから先に愛人を持ち、まして屋敷に連れ込もうなどと微塵も考えてはいないのだが―――アリシア?」


 聞いているのかとぽかんとするアリシアを前にエドアルドが身を乗り出し、それに気付いたアリシアは数度瞬きをして我に返った。


 「それでは後継ぎはどうなさるおつもりなのです?」


 疑問に満ちた漆黒の瞳がエドアルドをしっかりと捕らえて離さない。何を疑問に思うのだと、対するエドアルドは眉を顰めた。


 「勿論貴方が産むに決まっているじゃないか。」

 「そんなの有り得ませんわっ!」


 がたんと音を立てて椅子から飛び上がるアリシアに、暗にお前の子など産みたくないと言われたエドアルドは流石にむっとして目を細める。


 「離縁はしたくない、子を産むなど有り得ないとは―――あまりに都合が良過ぎないか?」


 足を組み手の上に顎を載せて冷たい眼差しを向けても、アリシアは怯むことなくエドアルドに抗議を申し立てる。


 「都合だなんて―――そんな事絶対に許されませんわっ。」

 「何が許されないものか。」


 確かに五年も放っておかれたアリシアの状況は同情に値するし、出来る限りの償いをするつもりではいるが、離縁せずにこのまま婚姻を続けて行くのなら子を産むのは義務でもあるのだと理解している物とばかり思っていた。

 否、そんな義務や何かよりも、そもそも妻として現れその継続を望む女性に妻である事を放棄されている矛盾が、拒絶が、エドアルドの自尊心を大きく傷付けるのだ。


 冷たく睨みつけるエドアルドにアリシアは有り得ないと首を横に振って青ざめている。これは何か重大な秘密でもあるなとエドアルドは更に目を細めるが、アリシアからは思いもよらない答えが返ってきた。


 「旦那さまはわたくしが平民であると理解しておいでですか?!」

 「へいみん?」

 「そうです、確かに父は大金持ちですがただの商家の娘です。わたしが子を成すのは旦那さまがその辺の町娘や侍女に手を出して子を産ませるのとなんら変わらないのですよ。旦那さまは国家の英雄で見目麗しいご立派な成人男性だとご自分でご理解なさってますか?! 愛人でもいいと望む貴族のご令嬢だって引く手数多でしょうに、わたしなどが産んだ子が爵位を継ぎでもしたらカフェク伯爵家の名が穢れますっ!!」


 ですからなにとぞ愛人をお迎えくださいと小さな拳を握り締め力説するアリシアに、エドアルドは唖然とするしかなかった。



 「君は―――随分と母の影響を受けたようだね―――」


 ぽつりと呟かれたエドアルドの言葉に、我に返ったアリシアは体の力が抜けてふらふらとその場にしゃがみ込んでしまう。そこにエドアルドが歩み寄り影を落とすとアリシアは俯いてゆっくりと首を振った。


 「わたくしなど名ばかりの妻、後継ぎは由緒正しい貴族の娘に産ませるのだと義母様に言い聞かされてまいりましたし、貴族社会ではそうするのが適切なのだとわたくしも思います。」


 義母が欲したのはアリシアの実家がもたらす金銭で卑しい商家の血筋ではない。そして英雄であるエドアルドに必要なのは自分ではなくそれに見合った高貴な女性である。彼は王女すら望める地位を自ら築きあげたのだ。貴族と言うものを義母を見て学んだアリシアは、息子のエドアルドも当然そのような考えの持ち主であると疑いもしなかった。

 だからこそこんな言葉を聞かされるとは全く想像していなかったのだ。


 「俺は、そんな貴族社会が嫌いな性質でね。」

 「えっ―――?」


 ふと顔を上げると思いのほか近くにあったエドアルドの姿にアリシアは思わず後ろに身を捩る。


 「後継ぎ云々の話は置いておいて、まずはお互いを知る所から始めないか?」


 優しく見下ろされる青い瞳にアリシアの姿だけが映し出されている。それを知ったアリシアは思わず顔を朱に染め言葉を失った。


 目の前で自分を見下ろしているのはあの・・エドアルド=カフェク伯爵だ。国中の女性が憧れるエドアルドの微笑みを目前で直視し、さすがのアリシアも平静ではいられない。


 みすぼらしい自分などがこの人の瞳に映るなんて事態が起きていい筈がない、国中の女たちに袋叩きにされてしまうではないかっ!!


 「ごめんなさい旦那さまっ!」


 とんでもない事態にアリシアは詫びの言葉を残して脱兎の如く走り去る。


 瞬き一つの間に引き止める事すらかなわずアリシアに逃げられたエドアルドは、あまりにも俊敏過ぎる突然の行動に付いて行けずその場で固まった。


 昨日は挑むような強い視線を向けてきた、敵意剥き出しだった娘。それがほんの一瞬で崩れ去ったかと思うと真っ赤になって逃げて行ってしまったのだ。


 何故だろう? 挑む視線も赤く染まる姿もその両方に惹かれてしまう。

 恋に落ちた訳ではないがここまま放ってはおけないし、知らぬ間に妻となっていた彼女自身に良い意味で興味が沸いてきた。


 これからはもう少し柔和に接してくれるだろうと、エドアルドはほんの先程まで抱いていた不安などすっかり忘れて上機嫌にアリシアの後を追って行く。


 取り合えず妻として現れた女性が彼女の様な人で良かったと、ほっとした瞬間でもあった。


 

 











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ