御対面・前編(エドアルド)
二度目にやって来たグレイとの稽古で剣の刃が欠けた。自身での手入れには限界があったし、世話になった騎士団より短い時間でもよいので剣術指南をとの声もかけられているのもあり一度都へ顔を出す事にした。妻となったアリシアの実家にも挨拶に行きたかったのでこれを機にとの理由は、偶然彼女の呟きを耳にしたことにより大きく変更される。
剣という人の命を奪う道具、特に愛用の剣は戦で多くの血を吸っていた。そんな物を彼女も出入りする夫婦の寝室に無造作に置いていたのは俺の不手際だ。万一にも怪我をさせてはいけないと先に寝室に向かった妻の後を追うと、出しっぱなしにしていた剣を両手で持ち、僅かに鞘から抜いた剣へ視線に落としているアリシアを目に止める。
「レグロ。」
声は届かなかったが彼女の唇が確かにそう紡いだ。その一言で頭の片隅に置かれていたパズルが一斉に嵌る。
俺の存在に気付いた彼女がはっと顔を上げて謝罪するかに頭を垂れた。剣は騎士にとって命に近いと理解しているのだろう。触れるのは構わないが、勝手に鞘から抜くようなことは有事の際くらいしか許されないものだ。
「興味があるなら抜いても構わないが、怪我をしないように気を付けて。」
「いいえ、勝手をしてしまってごめんなさい。」
硬い表情は叱られると身構え反省しているからではない。気付かない振りをして彼女から剣を受け取ると所定の位置に戻した。
「さっきも言ったけど、本当についてこないのか?」
顔色を白くする彼女に再び問う。レグロと刻まれた剣の刻印を見た後なら心変わりがあるかもしれないと感じて。だが彼女はゆっくりと首を横に振った。
「わたしが旦那様を連れて戻れば父は間違いなく社交場に連れだします。父の仕事に旦那様を利用されるのは嫌なんです。だから……離れるのは寂しいけど、一緒には行きません。」
寂しいと感じてくれることに心が弾む。剣の打ち直しが必要なければ全て思いなおし都行きを取りやめにする所だ。
「ご実家への挨拶は俺一人で行っても構わないよ。何年も帰ってないのだし、顔を見たい友人の一人や二人いるだろう?」
「望郷の念もありますが、それよりもカフェク伯爵夫人としての役目もあります。旦那様不在中に何かあってはいけませんし、子供たちの事も心配なんです。だから―――旦那様のことも心配ですけど、留守を預からせて下さい。」
本当に未練がないのか確認すれば彼女は頷く。貴族の子女として育ったわけではないのに、懸命に学び役目を果たそうとしてくれる所は性格なのだろう。すこしは手抜きをしてくれてもいいのだが、現実に没落しかけた伯爵家を立て直してくれた実績があるだけに口にはできなかった。
「君は良く出来た妻だ。俺には勿体ない。」
「そんな事は―――」
「離さないけどね。」
「え?」
謙遜など必要ないのに、支えてくれる周りのお蔭と主張しようとする彼女の言葉をすかさず遮る。本当に愛らしくて良く出来た妻だ。彼女が得られたのは偶然だったとしても俺にとっては奇跡に近い。
「騎士団に出向けば常にかまってやれないし、そうだな。確かに残ってもらった方が俺も安心だ。」
そのまま抱き寄せ寝台に引っ張り込むと彼女は少しの拒絶も見せずに素直に従ってくれ、安堵する我が身に自信の無さを垣間見た。
*****
レグロは他国にも名を馳せる名工だ。彼が打つ剣は王にも献上され、俺自身も長く愛用している。技術を隠匿せずに多くの弟子を取り、近頃は鍛冶よりも後任の指導に力を注いでいた筈だ。
そう、鍛冶師。グレイが言うにはアリシアの元恋人も腕のいい鍛冶屋らしい。そして俺の剣に刻まれた鍛冶師の名を声なく呟いた彼女の様子から、恐らく彼女の元恋人はレグロにかかわりのある人物だ。大商人である彼女の父親に近づき、アリシアとも知り合いになれる存在となると限られてくる。恐らくタリアスという男はレグロの息子なのだろう。俺は覚悟をもってレグロの工房を目指した。
都の中心街から離れた西の端に巨大な煉瓦造りの建物があり鉄を叩く音が周囲に響く。弟子を含めいったい何人の鍛冶師が在籍しているのだろう。建物の大きさ故に人の多さを感じるが、実際に工房に迎え入れている人の数は少なかったと記憶している。訪問の際は正面を利用していたが今回は初めて裏門に回った。すぐに気付いた男が手拭で汗を拭いながら歩み寄って来る。
「御用でしたら前の方にお願いします。」
がっしりとした体つきの若い男が腰を低く頭を下げた。熱に焼けた肌に利き腕とみられる腕が極端に太く鍛冶師とわかる。俺の身なりを見て貴族と察した男を静かに観察する。体の大きさの割に穏やかそうな顔つきで物腰も柔らかい。
「レグロ殿に直しを依頼したいのだがご在宅だろうか。」
「ああ、父の。それならこちらからどうぞ。」
直しの依頼なら顔見知りと判断できたのだろう。俺は男の先導に従い足を進めた。
「鍛冶場を見てみたいと好奇心が湧いたもので申し訳ない。」
「自ら使う剣です、気になるのは当然でしょう。失礼ながらお名前をお伺いしても? 表向きは家の者に任せているので。」
客人の顔を覚えていなくて申し訳ないと前を歩く男が身を捻らせ頭を下げた。裏から訪問する無作法を働いたのは此方なので気にしていないと前置き名を告げれば、男は一瞬身を硬くし目を泳がせる。
「まさか英雄殿でしたとは、ご無礼を。」
その態度にやはりなと確信した。訪問早々に当たるとは出来すぎなように感じたがそんなものなのだろう。
「皆が同じように戦ったのだ、英雄などと呼ばれるほどの身ではないよ。人より多くの命を奪ったというだけで、目的が異なればただの殺人者だ。」
「そんな―――国があるのはカフェク様を始めとする出兵した方々のお蔭です。」
先の戦いでは勝利したものの、敗戦国はもとよりこちらにも多くの犠牲者が出ている。剣の技量や判断力が他より優れているのは認めるが、だからとて部下に一人の犠牲も出さなかったと言えばそうではない。ふとアリシアがいなければ領地に戻った俺は家族もなく一人きりだったのだなと思い至る。この男が間違いを犯さなければ今頃俺はどうしていただろう。
「出兵の経験は?」
「ほんのひと時。怪我をして直ぐに除隊となりました。」
「鍛冶師の戦場は此方でしょう、何も恥じることはない。剣がなければ私も出陣できません。」
「ありがとうございます。ああ、此方で少々お待ちください。」
案内された場所で立ち止まり頷く。見た所は穏やかな男だ。体つきが大きいから豪快にも見えるが人との接し方は穏やかであるし、装っている風にも感じられない。俺が誰かと知って敵意を出すわけではなかった。動揺からこの男がタリアスかと思われたが、グレイから聞き及んだような人柄はまるで窺えず男の背を見送ると目的の人物は直ぐに姿を現した。
「これはカフェク殿、お元気そうで何よりです。ようやく領地に戻られたというのに早々に呼び出しを受けましたか?」
熱に焼け赤黒く変色した肌を持つ初老の男が笑顔もなく現れ座るように促される。ここまで案内してくれた若い男とは似ておらず、楽しい時も怒っている時も眉間に皺を寄せ気難しそうにしているが、この男が名工と呼ばれるレグロだ。
「それもあるが一番の目的はこれです。」
鞘ごと剣を渡せばレグロは迷わず引き抜く。彼と最後に顔を合わせたのは半年前、戦でこぼれた刃の打ち直しを依頼し領地に戻る際に受け取りに寄ったのが最後だ。
「戦に耐えた剣ですが一度削っております。打ち直しても一回り小さく、今よりも脆くなる。」
「手放したくはないのだが。」
記念という訳ではないが多くの命を奪い、そして守った剣だ。手放すのは考えられないと言えばレグロは頷いた。
「依頼は受けましょう。ですがお命を守る為にも代わりの剣を持たれた方がいい。」
「そうだな。依頼できるだろうか?」
「実は既にご用意いたしておりました。結婚祝いと思って受け取っていただきたい。」
鋭さを持つ初老の目が真正面から俺を捉える。既に用意していたとなると、この男は騎士を引退した俺が再び訪ねてくるのを予想していたのだろう。
「あの子は元気にしておりますかな?」
レグロの目が気難しそうな職人から人へと変わった。元気にしていると答えれば僅かに頬を綻ばせ頷く。
「彼女と面識が?」
「全てを察したからこうして来られたのだと受け取りましたが、違いますかな?」
違わないなと背もたれに体を預けた。自分が結婚したという事実に行き当たるまでに、婚姻より五年の年月を要していたというのに周囲は違うと気付かされ、改めて彼女への申し訳なさに頭があげられない思いだ。今が上手く行っているからと胡坐をかいてはいられない。彼女が嫁ぐためにどれ程傷ついたのか、その後もどれ程心を痛め辛い思いをさせたのか。『あの子』と呼ばれるアリシアは彼らにどれ程愛されていたのだろう。
「元気にしていますよ。今は孤児たちに夢中です。」
「こちらでも慈善活動には積極的でした。それを心配した父親に止められて、よくそこに座って不貞腐れていたのが懐かしい。今では伯爵家夫人とは、人生とは解らない物です。」
タリアスが浮気をしなければ、したとしても子供が出来てさえいなければアリシアは今もこの場にいたのかも知れない。
「レグロ殿は義父と面識がおありか?」
「子供の頃から懇意にしていましたよ。そう言えば若い頃の奴は何処となくあなたと似ている。愚息の件はあるものの交流は続けております。」
「そうでしたか。私はと言えばこの度ようやくご挨拶に。大切なお嬢さんをいただいたのに五年も放置した状態で、門前払いされるのではと心配しているところです。」
グレイが言うにはアリシアは父親に溺愛されているのだという。それが事実なら可愛い娘をほったらかしにしていた俺を厭うているやもしれない。心配する俺を前にレグロは声を上げて笑った。
「あの男が自ら選んだのだからそれはないでしょう。先代伯爵夫人の所業は聞いておりますよ。あの男の事だ、恐らくそれも利用してカフェク殿の心をあの子に縛り付けようと目論んだはず。心当たりはありませんかな?」
大切な娘が虐め尽くされると知っていて母の元に、戦に挑む男の嫁にやったというのか? 溺愛が事実なら有り得ないと俺は首を振った。
「冗談を。」
「あいつはそういう男です。」
にこやかに告げるレグロの自信に俺は眉を寄せ、彼女との出会いを思い起こした。知らなかったとはいえ自分と母が犯した彼女への不貞不義を償う気持ちも強かったが、何よりも相手が彼女だったからこそ受け入れてしまった部分もある。嫌な思いをしながらもカフェク伯爵夫人として尽力し、家人と協力して伯爵家を立て直してくれていた事実もあった。何もできない何処にでもいるような顔だけの女性であったなら、契りの証を教会に提出されていたとしても撤回を求めることはできたのだ。それをしなかったのはやはり彼女だったからだろう。そして俺は彼女への贖罪から目を背けられなかった。それが義父の目論見通りなのだとしたらまぁ流石大商人というべきか。大切な娘であっても真綿で包むだけではないようだ。しかし一歩間違えば未亡人だぞと、義父という人が掴めない。
レグロからは素晴らしい剣を贈られた。本来ならかなりの値が付く品だ、支払いを申し出るが結婚祝いだと拒絶される。他の物で返すかと素直に受け取り別れを告げ見送られると、通りに出た所でタリアスが待ち構えており声をかけられた。
「このような事を伺うのは失礼になると解っているのですがアリシアは……奥方は元気でやっているのでしょうか?」
「人の妻を気にかけるより、ご自身の奥方を気にかけられては如何だろう?」
お前には関係ない事だと男が過去に犯した罪と共に答えれば、タリアスはぐっと言葉を詰まらせ渋い顔をした。
タリアスの不貞をアリシア自身が気付いているかどうかなんて誰も知らない。グレイによると彼女の父親によって隠匿されているらしいが、アリシアはそこいらにいる馬鹿な女でもない。思慮深く苦境に耐える強さも持っている。そんな彼女が何一つ気付いていないとは言い切れないのだ。
目礼して歩みを再開すれば後ろから声が上がった。
「俺に言える資格はありませんが、どうか彼女を大事にしてやって下さい!」
このタリアスという男は俺とアリシアの結婚を完全な政略と勘違いしているらしい。確かに始まりはそうだし、大商人とはいえ平民の娘を貴族が娶るのはかなり珍しい事だ。初婚で伯爵家、正式な妻などほとんど有り得ない。だが俺はそんな貴族社会が嫌で家を飛び出しこの道を選んだ。それをわざわざ説く必要はないが、アリシアに無体を働いていると思われるのは避けた方が無難だろう。タリアスからは彼女への恋情を拭いきれていない様子が窺え、後々面倒になっても困ると俺は後ろを振り返った。
「君に言われるまでもなく大切にしている。私は妻を傷つけるつもりも、まして手放すつもりは毛頭ない。」
妻という言葉に力を入れ答えれば、タリアスははっとした後で奥歯を噛み締め何かに耐えるような表情で頭を下げた。この男がどういった経緯でアリシアを裏切るに至ったかは知らないがそれが現実だ。実際にアリシアと別れた後で浮気相手を妻に迎え、その後も子を成し続けている限り夫婦の仲が悪い訳ではないのだろう。他所に目を向けて今を壊して欲しくないし、こちらも掻き乱してもらいたくなかった。俺は他人に対して割と穏やかで冷静な態度を取れると思っていたが、実際には狭量であったらしい。




