九.
俺はタイミングを計るために、結界の向こうの由美さんを見る。由美さんは相変わらず無表情だ。しかし、明らかに俺をじっと見ている。かなりの美人さんである由美さんにずっと視線を送られているこの展開は、平常時なら喜ぶべきところかもしれない。だが、今は全然違う。むしろもっといろんなところに注意を払って、気を散らしてほしいのだけど……。
俺だけを見ているのは、試合前に聖斗さんのことを言ったことが原因だと思う。たぶん今、由美さんは大激怒中なのだろう。……見た目は無表情だけど。
うーん、心理作戦は思いっきり裏目に出たか?
いや、この状況を逆に利用するしかない。俺にこのまま注意をひきつけさせておいて、さっきの指示通り、アリスと明華で攻め立てる。そこにうまく綾奈が術を合わせて行けばあるいは……。
「よし、三つ数えたら仕掛ける」
そう言いながら結界の向こうの由美さんと視線を合わせる。……そちらが一人なら、こっちはチームで勝たせてもらいますよ、由美さん。
「三、二、一、今だ!」
「はい!」
俺の合図と共に、綾奈が結界を消失させた。そして、さらにそれが合図となって、アリスが由美さんに向かって駆け出す。
「《瞬炎》!」
そして、術名を叫ぶ二人分の声がした。アリスの前進を援護するために明華と綾奈が術を放ったのだ。炎の矢が、空中に火花を散らしつつ、アリスを追い越し、由美さんに襲いかかる。が、それを軽やかなステップで躱し、二つの銃口を接近しつつあるアリスへと向ける。
ならば、もう一発だ。
「《瞬炎》!」
今度は俺が叫んだ。手に持った呪符が反応し、炎の矢がそこから飛びだす。
「アリス!」
と同時に、前を走る。アリスの名前を呼んだ。
するとアリスは、前を向いたまま、体を横に逸らす。その体がどいた空間を俺の放った《瞬炎》が飛ぶ。由美さんはその《瞬炎》も軽やかに躱した。躱されるのはかまわない。むしろ躱してもらわないと困る。ただ、そのおかげで再び由美さんの射線を乱すことに成功した。
「ハァッ!」
その間に、由美さんとの距離を走破したアリスが斬りかかる。本来の武器、ロングソードではないが、ここ数日俺と一緒に遅くまで残って日本刀での戦いの鍛錬をした甲斐があった。……おかげでなぜか明華と綾奈の機嫌は最悪だったが。
だけど、これで戦いの体勢は整った。
「明華、綾奈! 俺もアリスに続く。由美さんが離れようとしたら術で牽制しろ!」
俺はそれだけ言うと、二人の返事を待たずアリスの援護に向かう。返事を聞かなくても、二人はそのことを理解してくれているだろう。その証拠に――、
「《炎弾》!」
俺の右側を《炎弾》が走る。その炎の弾が、アリスの剣戟を躱しながら距離を取ろうとした由美さんの出足を挫く。そこに逃すまいと、再度距離を詰めたアリスが斬りかかる。
由美さんはそれを素早く躱して、お返しとばかりにアリスの腹部に蹴りを打ちこんだ。
「ぐっ……」
その衝撃にアリスの動きが止まる。そこで再度近距離からの脱出を図る由美さん。だが、それを俺が許さない。
「ふっ!」
由美さんの左側から斬りかかり、そのままの勢いで当て身を行う。斬撃は避けられたが、当て身の方はさすがに無理だったらしく、由美さんの体がぐらりとよろめく。そこにすかさず横薙ぎの一閃を放った。
とっさに出した腕の合間を縫って、その一撃が由美さんの左脇腹へと入った。
その瞬間、観客席が湧いた。この大会で初めて由美さんへのダメージが入ったからだ。しかし、そんなことに達成感を感じるより、俺は続けざまに追撃をする。このまま一気に耐久力を削り切りたい。
そんな思惑を乗せた俺の返す刀での一撃を由美さんは大きく体勢を崩しながら避けた。おかげで俺からの距離は少し離れたが、そこにはアリスがいる。俺から攻撃を引き継いで間を空けず由美さんに刀を振り下ろした。
「……《炎弾》」
しかし、それよりも速く、由美さんが術を放った。目の前にいるアリスに向けて。
放たれた《炎弾》はアリスの懐で、由美さんをも巻き込んで爆発した。
「ぐあっ!」
衝撃でアリスが吹っ飛ぶ。それを俺が後ろから抱きかかえるようにして支えた。
「っ……そ、総真!? こ、こら! お前どこを触って……!」
俺の腕の中でアリスが喚く。が、俺はその内容をほとんど聞いていなかった。
俺は由美さんを見ていた。
自爆戦法を行ってまで俺たちと距離を取った由美さん。俺たちのチームによる多重攻撃が突破口を開いたと思ったんだが……。
ゆらりと立ち上がった由美さんの雰囲気が変わっていた。瞳が細まり、今までよりもより明確に、俺のことを睨みつけている。無表情だった顔に、怒りが浮かんでいる。
「……先輩との約束の邪魔をするものは……」
由美さんが俺に向けて言う。
「誰であろうと倒す」
「っ!」
言い終わると同時に、由美さんが猛然と俺に向けて走ってくる。そして、銃口を俺に向けた。
「《一式結界》!」
しかし、それを遮るように、再び俺たちの前に光の壁が現れる。綾奈のサポートだ。
「《土突》」
だが、由美さんはそれを予期していたかのように、俺とアリスの左側へと体を流しつつ術を放った。が、由美さんと俺たちの間にはいまだ結界がある。すべてをシャットアウトできるはずだった。
いや、待て! 《土突》は――!
少し前、聖斗さんとの話の中に出てきた《土突》の特性を思い出す。――下か!
俺の足元が光る。完全に反応が遅れた。
「総真!」
その時、俺の体がドンと押された。俺より一瞬早く術の発動方向に気づいたアリスが俺を術の範囲外に押し出したのだ。自分が逃げる時間をなくして。
「アリス!」
「きゃああ!」
俺の目の前で床を突き破って隆起してきた棘のような地面に、アリスが巻き込まれる。アリスが俺をかばって術を受けた。
「くそっ」
俺は目で由美さんを追う。由美さんは俺たち二人をスルーすると、綾奈に向かっていた。――っ、標的は綾奈か! 由美さんから見て一番厄介な防御の担い手を潰すつもりだ。
迎撃の火線が綾奈、明華の両方から飛ぶ。しかし、それでも由美さんの前進を止められない。逆に霊子弾の反撃を受けて、どちらも動きを止められてしまう。
それを見て、俺はもう一枚呪符を取り出す。今から走って追いかけても間に合わない。なら、術でなんとかするほかない。背後からなら少しは動きを乱せるかもしれない。
「《瞬炎》!」
俺の手元から、先ほどと同じく炎の矢が放たれる。由美さんはそれを目で確認したようだ。これでなんとか時間を……。
しかし、由美さんは俺の術を避けなかった。《瞬炎》の射線上に立ったまま、前進を続ける。そして、俺の術を背中で受けた。が、炎の矢はその背中で弱々しく揺らめくと、消えてしまった。
「綾奈!」
それを見た瞬間、俺は綾奈の名前を叫んでいた。しかし、それになんの効果もあるわけがない。
由美さんの手元から連続して霊子弾が放たれる。そのすべてが綾奈へとヒットした。
「くあっ……!」
綾奈が短い悲鳴を上げると同時に、胸元の《吸傷》が反応した。耐久値の限界を超えたのだ。
体の自由を奪われ崩れ落ちる綾奈の手前で由美さんが振り返る。そして、俺を見て無言のメッセージを送ってきた。――次はお前だ、と。




