第77小節目:タイトロープ
吾妻と共にスタジオをあとにする。
「やっぱりすごかったねー、Butterは」
「ああ……」
気丈に振る舞う吾妻と、演奏のエネルギーをまともに食らったおれ。
重い心と重い足を引きずりながらもとりあえず吉祥寺駅への歩みを進めていた。
別に、意気消沈したとか、やる気がなくなったとか、そういうことではない。
ただ、そのあまりの歴然とした演奏レベルの差に打ちのめされていた。活路が見出せず、それでもなんとかここから抜け出さないと、と、心の中でぐるぐるとあがいていた。
ふと横を見ると、そんなおれとは違い、吾妻はもう少し余裕のある表情をしているように見える。
うちのマネージャーさんは、何かの答えを持ってるんだろうか……?
「なあ、吾妻。明日までに、おれたちがあの人たちを超えることができると思うか?」
「んー、明日までにあれよりも上手くなろうっていうのは無理だね。不可能。奇跡が起こっても、魔法がかかってもそれは出来ない」
「だよなあ……」
ふーむ、と腕を組む。
「Butterだって、別にこれまでテキトーに音楽やってるわけじゃなくて、色々な努力の結果あそこにいるわけだしね。あたしたちが感じた課題とかもきっと乗り越えてるんだと思う。舞花部長の背中を追って練習しまくってたあたしからしたら、その壁の高さは痛いほどわかってるつもり」
「そりゃそうか……。そもそもバンドとしての年季も違うよな。結成してから2年半とか経ってるわけだろ?」
「いや? そこは、組んでから一年も経ってないんじゃないかな」
吾妻は小さく首をかしげる。
「え、そうなの?」
「うん。江里口先輩と釈先輩って上手すぎたから、最初に組んだバンドのメンバーとやっていけなくて、次のバンドでも敬遠されて、たらい回しにされてたんだって。二人とも、長期間ずっと一つのバンドにいられたことないって聞いたことがある」
「上手すぎてたらい回し? そんなことあんのか?」
あんな上手い人たちが自分のバンドに入るって言ったら誰もが喜んで迎え入れそうなもんだけどな。
「みんながみんな本気でやってるわけじゃないからね、バンドなんて。有名な曲をなんとなくコピーして、なんとなくちやほやされて、それでなんとなくモテたりモテなかったりして、気づいたらギターもベースも弦が錆びて真っ赤になってた、なんて、ざらにある話でしょ」
「やけに具体的な……」
でも、おれがずっとロック部に抱いていた印象はまさしくそういうものだったと思う。
「そういう人たちからしたら、リズムが走ってるとかモタってるとか、ピッチが高いとか低いとか、ましてや表現がどうとか言ってくる『本格派』みたいな人は疎ましいだけだよ。言ってることは絶対にその『本格派』みたいな人が正しいだけに、タチが悪い」
「元器楽部部長が言うとなんか妙に説得力があるな」
夏合宿の肝試しの時に、吾妻が弱音を打ち明けてくれた時に似たような話をしていた。
『当たり前かもだけど、楽しいことばかりじゃないんだよお、部長なんて。『音楽をやりたくて部活をやっている人』と『部活をやりたくて音楽をやっている人』といたりしてさあ』
「その時のことは忘れてって言ったはずだけど……?」
ジト目で見られて軽く肩をすくめてみせた。
「まあいいや……。そんで、器楽部を引退した舞花部長が、去年の冬ごろ『なんでお前らほどの音楽好きがバンド組めないでくすぶってんだよ』って言いながら、二人とバンドを組むためにロック部に入部した時出来たのがButterってわけ」
「へえ……じゃあ結成から一年も経ってないし、受験のこと考えたら、実際に一緒に活動してた時期ってそんなに長くないのか……」
それで、あの意思疎通の出来た音楽……。
「ま、長くはないかもしれないけどさ」
ちょうど改札について、そこで吾妻は立ち止まり、自分のつま先を見ながらつぶやく。
「お互い、やっと見つけた居場所なんだよ、きっと。だから、絆というか思いは深いんじゃないかな。……そういうのって、わかるでしょ?」
そして、こちらを見上げてくる。
「そうなあ……」
amaneだって、まだ結成して4ヶ月だが、4人それぞれにとって、amaneは特別な場所だ。
「なんか、あの時みたいだな」
ふと、今の状況が過去の自分に重なっておれは「はは」と少しだけ笑った。
「何いきなり笑ってんの? 怖いんだけど……」
吾妻は、再びジト目でこちらを見てくる。
「いや、すまん。そういえば学園祭の時にも吾妻に対して似たようなこと思ったなって思って。『あんな演奏超えることできるのか』って」
「あたし?」
驚いたように自分を指差す。
「そう。吾妻にっていうか、正確に言うなら器楽部に、かな。『あれ以上のライブ、出来るのかな、うちら』ってあの沙子でさえ弱気になってた」
「ふーん……?」
「その時なんか、今回みたいに競ってたわけでもないのに、勝手に比べてたんだ」
話しながら、なんとなく自分が今向き合っているもの、向き合うべきものの正体が分かってきた気がする。
「……結局、自分が負けを認めた時は、周りがなんて言おうと負けるんだな。逆に、周りがなんと言おうと、『おれらの方が良いだろ』とか『おれらだって良いだろ』って思えたら、多分それでいいんだ」
おれは確かめるようにうなずく。
「その優劣は、自分が一番分かってる。『自分が決める』じゃなくて、『分かってしまう』ものなんだろうな。自分の心に嘘はつけない」
本当は。
『おれが一番作りたい曲は、「おれが世界で一番聴きたい曲」に決まってんだろ』
とっくのとうにおれだって気づいているんだ。
何度も何度も間違って立ち上がって、おれたちは前進する。
「だからこそ……負けたくないな。負けたと、思いたくない。相手が誰であっても」
急に少し静かになった横を見てみると、吾妻がほけーっとこちらを見ていた。
「……なんだよ」
「……な、なんでもにゃい」
頬を赤くした吾妻は視線を戻した。
「そ、それで、小沼はなんて返したの?」
「なんてって……?」
「その、さこはすが『あれ以上のライブ、出来るのかな』って言った時」
おれは思い出す。
「……『そんなん、やるしかないだろ』って返しました、けど」
「へえ、かっこいいじゃん……」
にやにやとこちらを見て来るかと思いきや、頬をかきながら耳を赤くして地面をみつめていた。
「……じゃ、やるしかないか」
そして、そう、つぶやくと真剣な顔になってこちらを見つめてくる。
「小沼。実はね」
「ん?」
「……作戦が、あるんだ」
「作戦……?」
おれは首をかしげる。
「えーっと……。そもそも! さっき小沼も言った通り、音楽は本来 競うものじゃない、でしょ? Butterもamaneも、他のバンドも素晴らしい、みんな違ってみんないい、でいいじゃん。審査員の人だってそう思ってると思う」
「ま、そりゃそうだよな」
音楽は競うべきものではない、というのは常套句だ。ミスチルはそれが嫌で紅白に出なかったらしいし、市川もいつかそんなことを言ってた。
「でも、今回みたいな、どうしてもそれを競わないといけない、審査員も得点をつけないといけない、みたいな状況になった時、技巧は『正論』だよ。得点化しやすいし、評価しやすいし、比較しやすいから」
「そうかあ……。じゃあ、明日おれたちがButterを超えることは、やっぱり……」
「うん。これがスポーツの大会だったら、何をどうあがいても勝てないだろうね。多分、吹奏楽コンクールとかでも、そうだと思う」
「だよなあ……」
フィギュアスケート、シンクロナイズドスイミング、吹奏楽コンクール……。
本来競うべきではないと言われる芸術の分野で得点がつけられていく例はいくらでも思い浮かんだ。
「でもね、小沼。明日は、バンドのライブコンテストなんだよ。だから、技巧をひっくり返す方法がある。戦う軸はそこだけじゃないってわけ。明日、あたしたちがButterにも、他のバンドにもない強さを見せる方法がある」
「それって……?」
おれは答えを求めて、すがるように吾妻を見る。
「『曲の良さ』と『どれだけの感情を込められるか』だよ」
「そりゃ、また漠然とした……」
なんとなく肩透かしを食らった気分だ。エモいとかそういうこと?
「まあ、そういうことだけど。じゃあ、もう少しまともに聞こえるように、数式っぽく言ってあげようか。『(表現したい感情の大きさ) × (それを何パーセント引き出せる曲・歌詞か) × (それを何パーセント引き出せる演奏技術を持っているか) = 【表現の強さ】』だって言ってんの」
吾妻は3本指を立ててこちらへ見せてくる。
「ほう……?」
「あたしたちがButterに負けていると認めざるをえないのはそのうち『何パーセント引き出せる演奏技術を持っているか』ってことだけ」
吾妻は薬指を折る。残り2本。
「そして、『それを何パーセント引き出せる曲・歌詞か』。これについては、あたしたちは胸を張って素晴らしいと言える」
「そうだな、おれもそう思う」
「あはは、言うじゃん」
吾妻は嬉しそうにニッと笑いながら、もう一本指を折った。
残るのは人差し指。
「で、あとは『表現したい感情の大きさ』だね」
「ああ……でも、それこそ、これからどうしようもないんじゃ……?」
「ううん。ロックオンの時だって、学園祭の時だって、そこまでに積み重ねた感情だけじゃなくて、あのライブの場で爆発した感情が大元になって、感動を生んだはず。でしょ?」
「そう、か……」
たしかに、ロックオンの時は市川が歌声を取り戻そうとしたその姿勢。学園祭の時には、沙子の市川へのメッセージ、吾妻が直前に教えてくれた『キョウソウ』の最後の一節、市川が葛藤の末に歌った歌詞。
そこまでに込められた感情も大きかったけど、その時に発露した感情も振れ幅は大きかった。
「そういうこと。だから、あとはそのやり方ってわけだけど……」
そこまで言って、吾妻は迷ったように少しトーンダウンした。
「どうした?」
だけど少しだけ首を振り、意を決したようにうなずいて、
「だからね、小沼」
切なそうな、だけど意志の強い眼差しでおれの目をしっかり見つめてくる。
「とっておきの『おまじない』、かけてあげる」




