第33話 過去と現在
魔導具店を出て、宿屋のある方向を目指そうとするサフィールに、ニルが待ったをかける。
足を止めるサフィールも眉間に皺が寄っていた。
まだ数ヶ月の間柄ではあるが、不老不死なニルは千年以上生きてきた経験がある。サフィールの空気で、ある程度察していた。
「……宿についてからにしようと思ったが……グランツを気にしていた理由は、正体を知られないようにするためか?」
「まぁ、そんなところかな。正体知られたら、キミたちと一緒にいられなくなるかなーって?」
「それじゃあ……グランツの手記や、あの占い師を名乗る老婆も――」
「不自然な出会い方をしていた人間は、全員オレが“変身魔法”を使った姿だな。昔は変身魔法の使い手って呼ばれる一族だったからねぇ……」
最初の出会いから、妖精族の見た目にまんまと騙されたサフィールも納得する。ただ、白の魔女に魔法を奪われていないサフィールだったら騙せない。
ニルが見えていないことを良いことに、ネフリティスは軽い拳を振るっていた。呆れるサフィールは、ニルの指さす方へと歩きだす。
家屋の間を通り抜け、表通りから路地裏へと移り変わる中、一度騙された相手に対してなぜか警戒心は薄い。路地裏は主に居住区だからかどこも同じようで、歩く人もおらず静かだった。
町の中心からそれていくと次第に連なっていた家屋も減っていく。
ニルの正体が判明してから静かなネフリティスは、サフィールの背後から睨みを利かせているが、いつものように話へ入ってこない。
「――俺の秘密を守るために正体を明かした理由は?」
「――気紛れ? 冗談だよ……情、かなぁ。最初に遭ったとき言ったけどさ? 元仲間だった男に似てるって」
「ああ、正義感ぶら下げてるとか言ってた仲間か……」
「うん、そうなんだよねぇ――英雄ルクス・オラクルム……。実は、彼もグランツと同じ能力を持っていてねぇ。それで捕まって、投獄されたんだぁ」
先ほど名前を聞いた英雄が、仲間だったと知るサフィールは目を見張る。それとは別に、投獄されるキッカケとなった相手へ対して話すニルは、なぜか楽しそうでいて、どこか寂しそうに感じた。
ニルは不老不死を生かして複数の町に拠点を作っているらしく、その一つだと話す。
ただ、連れてこられた場所は同じ町中と思えない不気味さを漂わせた屋敷の前だった。
「本当の本当に……お化け屋敷にしか見えないんですけどぉぉお⁉」
呼吸をするように大声を上げるネフリティスの声は、当然サフィールにしか届かず煩さに耳を押さえている。
ネフリティスの感想も当然で、屋敷の柵に囲まれた小さな庭は一帯が無数の石碑。つまり、墓地だった。
墓地に分類される場所は町中でなく、人の住まない丘や高原に多い。町中の庭を石碑で飾る者はいないだろう。おかげで昼間にも関わらず不気味さが滲み出ていて、周囲の家屋も疎らで人の気配もない。
明らかに放置されている屋敷は三階建てで、何かの蔦や蔓が灰色の壁全体に巻き付いている。屋根は黒に近い墨色で、所々割れたり欠けたりしていた。
全体的に大きな窓が特徴的で、夜なら中から何かが映りそうな不気味さもある。
「ああ、大丈夫だよ? その石碑は飾りだから。何も入ってない空っぽさ。この屋敷は持ち主が亡くなってねぇ……孫だって、嘘をついて数百年前、手に入れたんだ」
「外道じゃない⁉ 人殺しはしてないけど、人間として終わってる!」
ネフリティスの声は聞こえないのに不敵な笑みを浮かべるニルの方が不気味で、サフィールは一歩引いた。
ニルに案内されるまま墓地のある庭を抜け、魔力認証で大きな扉が開く。
軋む音を立てる扉にネフリティスが悲鳴を上げた。指さす場所に目を向けると、中央に髑髏の装飾がされている。
「ああ、この髑髏は持ち主の趣味らしいよ。良い趣味してるよねぇ……中も驚くかも?」
「……まったく良い趣味じゃないから‼ わたし、ここにいようかな……」
「別に構わないぞ。幽霊が髑髏の装飾で怖がるのは面白いけどな」
不敵な笑みを浮かべるサフィールの言葉は、明らかに意地悪く大人げない。頬を膨らませるネフリティスは大声で「ついていく‼」と宣言して、サフィールの鼓膜を震わせる。
屋敷内は昼間なのに薄暗く、ニルが指を鳴らす音で反応して手前から明かりがついた。
だが、その直後再び背後から悲鳴が上がる。
霊魂のような形を模し、高い天井から吊るされることで空中へ浮いているように錯覚させる手法や、青い光を放つ魔導灯は装飾すらない透明さが良い演出をしていた。
加えて、周囲が照らされることで壁側に立つ鎧を着た骸骨の置物でネフリティスの悲鳴が木霊する。
屋敷の三階にあるお気に入りだと言う部屋へ案内されると、そこだけ壁や床周りの埃もなく、周囲で感じたカビ臭さすら感じなかった。
中には大きめなソファーが一つと、木製の簡易テーブルが置かれている。
大きめな窓には外からの覗き見防止で備えられたカーテンがあった。
「このソファーはオレが買ってきたんだよねぇ。お茶は出ないけど、座ってよ」
サフィールがソファーへ腰を下ろすと、ニルは窓横の壁に背を預ける。
ネフリティスはサフィールの後ろから顔を覗かせていた。
サフィールは、先ほどのこと以上にずっと疑問だったことをぶつける。
「赤の魔女から俺を庇ったのはどうしてだ? 俺には、魔女と同じ防護結界魔法があるって分かってただろ」
「あー……あれこそ反射的、かなぁ。それに、いま場所を変えたら良い的になったかなってね」
「……まぁ、赤の魔女を撃つのには最適だったな」
「それに、あの魔法は魔女相手で試したことはないだろう? キミが居なくなったら、詰んじゃうし」
ニルの理由は正論だった。いまやサフィールは魔女を倒す要であり、人間の希望になっている。
それを知る人物が限られた存在なだけで……。
ただ、この男が人間に対する興味はあるのか疑問しかない。変身魔法の使い手なら、あらゆる人間へ姿を変えるのは造作もないだろう。千年以上の長い時間を生きてきて、妖精族に収まったのも分からなくはない。
いつでも動けるよう姿勢を正したままのサフィールは、さらに疑問を投げかけていく。
「お前は魔法歴の時代に捕まったんだよな? 魔導歴になってから、ずっと妖精族で誤魔化して生きてきたのか?」
「そうだねぇ。最初は人間に変身して誤魔化してきたけど、魔導歴になって妖精族が表舞台に立つことが増えてさ。正直面倒だったからねぇ」
「予想通りか。本当に、千年以上生きるとか……想像出来ないな」
「……これも、多くの命を奪った罰……だからね。ちなみに、痛いのは嫌だから常に痛覚切除の魔法を掛けてるよ。捕まったとき失敗してねぇ……あれは地獄だったなぁ」
真剣な顔をするニルに複雑な表情で思わず視線をそらすサフィールだったが、笑い声で再び正面を向いた。
笑い話のように軽く口から出る内容はサフィールたちの心を遠ざけていった。
ひと通り聞きたいことを聞けたサフィールが沈黙する中、懐へ手を入れるニルがおもむろに取り出したのは以前見せてきた比較的新しい書皮で包まれた手記。
「ここに来た目的はオレのこともだけど……青の魔女について」
「……青の魔女について、何か情報があるのか?」
「いやぁー……赤の魔女と違って、一、二年姿を見ていないってことくらいかな?」
大した情報がないのは、赤の魔女と違い氷の魔法を使うことで、目撃者の少なさだった。
正直言って氷の魔法は目立たない。青の魔女が扱うのは単体魔法と知られているが、気づいたときには凍らされている。
しかも青の魔女が使う氷の魔法は、家屋を凍らせると中にいる物体にも影響をもたらす怖さがあった。
背後から物言わぬ圧を感じて振り返るサフィールの目に、熱い視線を送ってくるネフリティスは、無言でも何が言いたいのか分かりため息をつく。
「はぁ……。被害者はアスール・リブロ、十八歳。趣味は……確か、読書だな。魔法書は勿論、魔導書にも手をつけるほど熱心な学生で、生徒代表も務めていた秀才だ」
「凄いわね! わ、わたしの次くらいに……。青の魔女の大切なものって何かなぁ」
「青の魔女が身につけてる人間的な物ねぇ……。あっ、確か……魔法書の形をした首飾りをしていた気がするよ」
青の魔女も実物を見たことはないサフィールが、目を通した文献を思い出していると横から答えが飛んできた。
思わず口が開いたままになるサフィールは、眉間に皺を寄せる。
「……前から不思議に感じていたことを、いま思い出した。どうして聞こえてもいないはずのネフリティスに対して、相槌みたいな言動が出来るんだよ」
「あー……それは、なんというか。生きてきた年月の違い? 半分冗談だってぇ……サフィールの言葉から読み取ってだよ」
「……俺の言葉から読み取って? 先読みみたいな感じか。そこが、年の功」
「この男。無駄に長く生きてないわね……」
明らかに悪口を言われているのを感じ取ったような表情をするニルだったが、これ以上話す内容もなく壁から背中を離して扉へ歩きだした。
サフィールもソファーから立ち上がると、後ろからついていく。
階段を降りて外へ出ると、黄昏色に染まる空が出迎えた。
「思った以上に時間が経ってたねぇ……」
「そうみたいだな。そんなに話し込んだ感覚はないが……」
「まぁ、良いんじゃない? これからまた魔女退治を頑張るための休息だと思って!」
相変わらず元気なネフリティスに励まされると、来た道を戻って当初の目的だった宿屋へ向かって歩きだす。
――このときサフィールたちは、ある男のことをすっかり忘れていた。




