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 ss その日起こった池袋の奇跡






「ねえ、池袋(ブクロ)行かない?」


そう誘われたのは、同じ趣味仲間のはうあーさんからだった。

えっ? 明日は外出禁止令出てなかったっけ? そんな疑問を浮かべたのは当然だったんだけれども、相手の有無を言わさぬ勢いにあっさりと押されて、まあ学校が臨時休校で暇だったこともあって頷いてしまった。

庚申塚のうちのマンションから池袋ぐらい歩いてすぐだし、交通機関が動いてなかったって少し歩くぐらいでへっちゃらで着いてしまう。

なんでも外出禁止令のせいで『例の大会』が中止になったのが切っ掛けで、趣味仲間の口伝(くちづて)でアングラな集いを密かに行うことになったのだそうだ。デジタル化が進んでいたがために《グレートリセット》後、業界そのものが崩壊の危機に陥ったアニメ大旱魃……ややして細々とフィルム映画として復活するも、呼吸困難に似た状況に苦しみ続けたファンたちは、鉄の結束力で同人活動を支え続けている。逆境にある彼女たちにお上がなにを押し付けようと、その情熱を枯死させることなど不可能なのだ。

一般人を外出禁止にしてまでの全国一斉防災訓練なんて、なかなか大掛かりなのだけれども、動員がかかったのは公立ばっかりで、私立とかはまったく蚊帳の外なのでみんな家で暇している。友達にちょっと声がけしただけで、すぐに参加人数が膨らんだ。

そうして当日、危機感の薄い娘たちは親の目を盗んで家を飛び出し、待ち合わせたのちにやいやいと騒ぎながら池袋の街に向ったのだけれども。


「…なんかじろじろ見られてるね」

「マジ私服で出歩いたら補導されるとかはないよね?」


歩く道すがら、道端には怖い顔をした学生がいるし、教師っぽい人も見かける。わりと地味めな服を着てきたんだけど『私服』はやっぱりかなり場違いな感じで、けっこうあからさまに睨まれる。わたしなんかはすぐにへたれて帰りたくなった口なのだけど、なかには余計に反発してしまう子もいて、グループは結局池袋の東口にまで無事到着してしまった。

たしかはうあーさんとの待ち合わせは『例の店』に近い、目立たない路地に入ったところで……って、あれ?


(なんか人が集まってるんですけど…)


池袋駅東口付近には、わたしたちと同じく危機感の薄い近所のおじさんおばさんたちがけっこう溢れていて、普通に開いている中古リサイクル家電量販店にも見慣れた人垣ができている。ホコ天状態の道でダンス練習してるつわものまでいて、一気にわたしたちの『場違い感』はなくなったのだけれども。

東口に溢れるように集まっている人垣は違和感バリバリで、まるで不良宇宙人が暴れて列車ダイヤがめちゃくちゃになったときの雰囲気に似ている。

そのとき人垣の向うから聞こえてきたのは、『歓声』だった。

かなり大勢のどよめきで、地下のほうから反響して伝わってくる。


「なんかこっちにもイベあったのかな」

「人多いし、地下のほうも店開いてるっぽいから、なんかやってるのかも…」


ややして、どよめきの波が明らかにこちらに向って近づいてくる。近付いてくるほどに、どよめきの中身が歓声と怒号のミックスであることが分かる。

何かが近付いてくる。それだけはわたしにもはっきりと分かった。

そして仲間たちと顔を見合わせたときだった。最寄で連続して生産された「ちょっと!」「誰だッ」「ヤダッ!」等の叫びが水切り石のようにこっちに近付いてきて、とうとうわたしたち自身が『なにか』の体当たりに手痛い被害をこうむることとなった。


「わわっ!」

「きゃっ」


その突っ込んできた人物に対するわたしのファーストインプレッションは、追いついていない目ではなく鼻から与えられた。ふわりと香水のようないい匂いが漂ったのだ。

その次の瞬間押し倒されて、もつれるように転んでしまった。

幸いにも頭を打つことはなかったのだけれども、覆いかぶさるように自分の上にいる柔らかい感触に驚きつつ、目を開けるとほとんど鼻の頭がくっつくぐらいの至近に、この世のものとも思えない造形美があった。

まさに運命としかいえない出会い…。

触れた感触から分かる女性特有の柔らかさ、そして胸の奥がキュッとしてしまうようないい匂い。

同じくこちらを見た透き通るような漆黒の瞳を飾る、見たまんま天然と分かる睫毛の長さ。まごうかたなき天然の美人さんが自分の上に乗っていた。




すいません、いやこちらこそ、と常識的なやりとりがあった後、熱心に相手を吟味していた友達たちから「この子も、そっち系じゃね?」と指摘があり、ようやくわたしも、相手の子が男装女子、学ランなんて着ているからたぶん何かの学生キャラに扮しているのだと気付いたのだった。

そんなときに、その男装女子から、


「このあたりにいい『服』売ってるとこはないですか?」


と聞かれ、それならばっちりなとこあるよとみなして案内することとなった。

むろん店を紹介がてら、アングラな集いに一緒に合流なんて流れになればいいななどと思う。近くにいるだけですごいいい匂いがして、ぜんぜん自分の綺麗さを鼻にかけてない様子も、好感度が非常に高い。すでに何人か友達がいけない情熱を燃やし始めているのもあり、ぜひとも友達になりたいと全員が思っているのは間違いなかった。

そして細い路地に十数人集まっていた集団の中にはうあーさんを見つけて、ついでに連れてきた友達たちも紹介した。明らかな初心者もいて、たいした『衣装』の持ち合わせもない子を『お店』に連れて行き、今回のイベ用のものを調達してもらわなければならない。はうあーさんも連れ立って『お店』に向ったのだけど、当然ながら黒髪の超絶美少女も目に止められてしまうわけで、「いい『服』が欲しい」という彼女の要望を聞くや、はうあーさんのテンションは天元突破である。

第三者的に見て、このときすでに美少女の顔が引き攣っていることには気づいていたのだけれども、同好の志の情熱のレベル差に怖気づくことなどこの世界ではあるあるな話なので、わたし含めてみながスルーしている。


「…えっ、これ着るんですか」


真顔で困惑する美少女に萌ゆる想いが止められないんですが。

店に入るなり瞬く間に高段者に取り囲まれ、着せ替えショーと相成ったわけなのだが、このなんというか、素材が良過ぎて何でも似合ってしまうという状況は、見てるほうはテンション上がりまくりなのに、本人的には地獄という感じはかわいそうな反面妬ましくもある。

本人的に、どっち系の衣装にするつもりだったのかは定かではなかったのだけれども、白熱した議論の末に『鉄槌天使L&L』のツインヒロインの一人、柊ノエルのコスプレが最適との結論に至った。

レイヤーたちの騒ぎを聞きつけて店の店長まで光臨して、専用ウィッグと髪留め飾りを非常な好意でおまけに付けてくれた。衣装はむろん本格的なもので、2万を超えるものが選ばれ、「そこまで持ち合わせは…」と涙目の美少女に、レイヤーたちのカンパが怒涛のごとく積み上げられた。

それもすべては『鉄槌天使L&L』、柊ノエルの爆誕をみながこの目にしたいと願ったからに相違ない。レイヤーは普通、自分の衣装は自弁が当たり前であり、こうしてカンパが速攻で集まることなどほとんど奇跡に近かった。

涙目で嫌がる美少女がはうあーさんに連行され、むずむずするような悲鳴を上げつつ脱衣所でひん剥かれていくさまは、同性であるにもかかわらず幾人かの生唾を誘ったようである。

そして数分後、ついに顕れた柊ノエルの姿に、お店は萌ゆる悲鳴の坩堝と化したのだった!

まさかここまで似合うとは……というか、本物? と誰かがつぶやいた。

二次元が三次元化して、誰もそのことに異を唱えないと言うのは、レイヤー界では究極の夢である。いったいどれだけのレイヤーが、リアル人体の限界に打ちのめされてきたことか。

それが……ここまでとは。


カシャッ。


そのとき誰かがカメラのシャッターを切った。

カメコ……いや、カメ()がいた、それも隣に! アナログカメラが大復活して、当然のことながらこういう趣味の場に集まるような人間はほぼ全員がそれを持ち歩いている。

突如始まったカコミに棒立ちになった柊ノエルは、もとから着ていた学ランを畳んで入れた紙袋を胸に抱きしめながら、いやいやをするように渡されたバトンを突きつけて距離をとろうとするものの、カコミの集団からは逃れられない。

羞恥心で顔が真っ赤になっているところがまた、作中の超純粋培養お嬢キャラである柊ノエルっぽかった。いやもうこれ、本物ってことでいいんじゃないだろうか。いずれ撮られ馴れてしまうとこういう素の反応がなくなるので、ここで写真を撮っておくことは神の意思にほか何らない。遅ればせながら、わたしもカメラを取り出し、カメ娘の一員となった。

そしてとうとう、柊ノエルの我慢が限界に達したようだった。

涙目をぎゅっと瞑った後に、表情を厳しくして身を沈めた。その格好を『ポーズ』として何の疑問もなくシャッター音が続く。

そして次の瞬間、柊ノエルは人間離れした脚力でカコミの壁を華麗に飛び越えて、包囲網をあっさりと脱したのだった。


「えっ」

「ノエルちゃんこのあとのイベは…」


彼女に注目している人の目は店の外にまで溢れている。待ち構えていたカメコがそこでもシャッターを切る。もう頭から湯気が出そうなほどにノエルの顔は真っ赤である。わたちたちは彼女の後を追って店の外に出て、そこでひらりと空に舞い上がった『魔法少女』の後姿を見上げることとなった。角度的にパンモロなのだけれども、はうあーさんの仕事は徹底していて、下着もけっして原作キャラを崩すことのない白であった。

そこでもシャッターがいっせいに押される。


「…魔法少女……ホンモノだ」


リアル『柊ノエル』出現の噂の端緒であった。

その日、二次元と三次元の境目が分からなくなる者が続出することとなる。


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