ss その頃の天朝国人たちは③
「…これで……たは『間引いた』…しら」
「あたし…12だ。エース…貰ったぜ」
「なにを…必死に動いてい……と思ったら……アーデル卿、…を多く叩いた……とて褒賞など……出はしない…思うのだが」
「えっ? エース…取ったら……特別有給…じゃないの」
そこはあまりに高空なため、空気の薄さが声を間遠にする。
《掌珠》12卿がひとり、赤髪の美女騎士アーデルが大剣を肩に担いだ格好で不思議そうに首をかしげた。
本来ならば生物がまともに過ごすことなど無理な領域にあって、平然と集う6つの影。容赦ない太陽光が肌を焼くのも気にせず、暢気な報告会が続く。
「わたしは8つかな」
「ユマは4つなのー」
「それがしは9つだ」
「マーニャは6つなのにゃ!」
「そしてわれが11つか……あわせて50…」
申告数を総計して、髭をなでながら沈思する《掌珠》序列2位、ロム・ルス卿。《泡卵》の推計総数を当てにするのならば、『討ち漏らし』は30前後ということになる。想定よりも漏らした数が多い。
「足りん……延長戦じゃ」
「えーっ」
見えない床が突然抜けたように、垂直に落下し始めるロム・ルス。
不平を口にしつつも、それにすぐさま追随する他の面々。討ち漏らした《泡卵》は地表へと着実に近付いている。濃密になる空気と、激しくなる気流。
ロム・ルスが手振りすると、《掌珠》の騎士たちは何も言わずに四方へと散っていった。
明確には物質ではない《泡卵》は、高位把握野による精霊子探知でしかその姿をとらえられない。どれほど進化した個体だからとて、能力には限界もある。有力な騎士たちですら、高位把握野での探知は半径100キロがおよその限界であった。つまりは相手を捉えるためには、自分からその距離を近づかねばならないのだ。
(おかしい…)
偏西風という星を巡る猛烈な気流に顔をしかめつつ、ロム・ルスは胸騒ぎを抑えられないでいた。
(《掌珠》の騎士半数が必至に駆け回ったにもかかわらず、充分な数の《泡卵》を叩けなかった。…叩けなかっただけならばまだ納得もできる。問題なのは、叩くべき相手を十分に『見つけられなかった』ことだ)
日本国の列島周辺に降着する《泡卵》の数は、未来視さえも限定的に可能な母船頭脳が導き出したものだから、いまは疑うべきではない。
その推計が100。
半ば精神生命体である《泡卵》の移動速度は驚くほどのものではない。やつらは受肉結合すべき相手を探しながらであるので、地表に近付くほどにその足は遅くなる。ゆえに容易に見つけられてしかるべきところであるのに、彼らは情けなくも目的を達せないでいる。音速を遥かに超える速さで数十万平方キロに及ぶ平面を網羅しているというのに、だ。
ただ探すだけなら、さっきまでいた大気圏の大外、無風かつ安定した成層圏からの捜索のほうが効率が良かった。その『理屈』に従ったために失敗したというのなら、面倒は承知でより地表近くでの捜索に取り掛かればいい……ロム・ルスはそう単純に思い決めた。
(おそらくは……やつらの妨害か)
成層圏を必至に飛びまわる彼らをあざ笑うかのように、頭上で遊弋し続けていた原理教徒……狂った『巡礼者』たち。
『始原の大神』が気侭に起こす破壊の波頭を眺めて愉悦に浸る精神破綻者たちが、この惑星の軌道上で悪意ある『観戦』を決め込んでいた。生み出された無数の《泡卵》は、その大半が無為に無限の宇宙空間に拡散して、つまらない存在と結合して微々たる破壊をもたらして潰えていく。
《泡卵》が結合してより大きな『災禍』となるのは、一定以上の精神性を獲得した高等生物……例えば地球種……『人類』と呼ばれるような知的生命体と出合ったときである。
『巡礼者』たちの『巡礼』とは、神の意思たる《泡卵》を導くためのものであり、本来ならば宇宙という無辺の世界の中で存在量が塵にも等しい『地球』という惑星に、《泡卵》が到達する確率はほとんどゼロに近い。
それが100あまりも到達したこと自体が、彼らの果たした役割の大きさを物語っている。彼ら『巡礼者』たちは、『供物』と称して信者の子を餌としてぶら下げて先導する。『神の意思』が上手く働かない状況が起こったときには、躊躇なくその『子』をほんとうに生贄として《泡卵》に喰らわせ、放擲する。
この星のように、住民の開化が未達なところでは、そういうことが良く起こる。
(…ひとつひとつがあまりに弱々しい光よ……上から臨めば、『強き星』がよう見えるわ)
高位把握野が映像化する、《思惟力子》の輝きが、地表をまるで星空のように輝かせている。
日本国の列島には、強い光がいくつか散らばっている。この高さから見えるほどの光であるならば、《泡卵》が受肉相手と狙ってもおかしくはない。
しょせんは最高で『48』程度の住民たちなので、ここから見える強い光は人外のものに相違なく、往古の高等生物が死して残存する強力な精神体か、もしくは信仰心が形成する擬似精神体、『神体』のものだろう。それらは事前調査であらかたが把握されている。
《泡卵》と結合されて困る筆頭であるから、地表では《掌珠》騎士団が特に受肉阻止のために鋭意監視し続けている。この国はなぜかそういった存在が多いために、ある程度の監視漏れはあるだろうがそれはもう仕方がない。
(《泡卵》をどうやって晦ませたのだ……われらがこの列島の上空をここまで厚く守っていたというのに)
《泡卵》100のうち、十数個が大気圏をかすめるように星の裏側へと進み、沈んでいったのは敢えて見過ごしている。他の姫巫女が守る土地には、別の騎士団が控えている。そのぐらいはそちらで処理してもらって当然だとロム・ルスは思っている。
そしてこれも当然なのだが、現地住民に被害が及ばないと思われる遠い海洋部に降着するものもまた放っておいた。この星特有の巨大な海洋は、人外の高等存在を隠している可能性を秘めていたが、こうして上から眺めても《思惟力子》の輝きがあまり確認できないことからも、極端にそうした存在が少ないか、あるいは海水の深みが探知を阻害しているのだと判断される。よって、結合相手を探す《泡卵》からも注目はされないと予想する。
(われらが見逃したのか、それとも…)
ロム・ルスは一瞬頭をよぎった考えに、軽く首を振った。
(そもそもそれがまだ降ってきてさえいない、未着のものだとしたらなどと……《泡卵》自体の速度は発生の時に与えられた一様なもの、到着にそれほどの時間差が生まれるはずもない)
第三者の意図が働きでもしない限り、そのようなことは起こらない…。
ぞわり…
何かの気配に、ロム・ルスの背筋に悪寒が走る。
この星にたどり着く前に、事前に受肉する相手を獲得していたとしたなら。
いったん受肉してこの世の物質としての性質を持った後ならば……危険性を度外視できるなにかの要因さえあったならば、あるいは『物』として扱い、運ぶことすら可能であるかもしれない。
そうして振り仰ごうとしたロム・ルスの眼前を、恐るべき勢いで灼熱の尾を引いて落下していくものがあった。数キロ先の小さな輝きであったが、彼は見誤らなかった。
「子を投げ与えたか!! 狂信者どもがッ」
目には小さくあったが、それは間近なら全長で数十メートルはありそうな異形であった。
ある星系で支配種となり、すべてを欲しいままにしていた巨大な蛇の種族があった。そして外界に手を伸ばし、中央の四賢族、亜神にも等しい強族の怒りを買った蛇どもは、飲み込まれた『鼎の王』の秩序世界で零落し、いつしか熱心にこの世の破滅を願う暗黒の民となった。
「『坩堝の蛇』が化身した! あれはまずい」
そして更なる追い討ちが上空から飛来する。
未確認であった《泡卵》の飛来であった。それもいっときに十数個。
狂信者どもは、おそらくあの化身と同じく、『餌』を引き回して一部の《泡卵》を迂路に導いて時間差をでっち上げたのだ。
《泡卵》を処理していては、その間にあの『坩堝の蛇』が地表に災禍をもたらすだろう。しかしそちらを優先すれば、過剰な《泡卵》が受肉結合して同様に被害を広げてしまうだろう。
ロム・ルスはほとんど反射的に『相対圧迫法』による能力値査定を行っていた。わずか数百匹で星系を掌握した巨大な蛇どもは、素でも《掌珠》騎士団上位に匹敵する力を秘めている。
それが《泡卵》と結合したというのなら…。
『坩堝の蛇』
《思惟力》推定500。




