【おまけ】新婚とは攻撃力の高い生き物
一人称で書いていたら、なんだかこっちが恥ずかしくなってきたので三人称で書きました。
あくまで、おまけですので……。お許しいただけると幸いです。
さーて……。終わってしまったぞ……。
フリッツの荷解きが終わった後、つむぐはリビングで心を落ち着かせるために紅茶を飲んでいた。
が、落ち着けない。
さっきから手が小刻みに震えるせいでスティックシュガーをちぎってカップへ砂糖を入れることだってままならずそれだけの動作に二十秒くらいかかっちゃったし、ようやく入れ終わったかと思い、カップを手に取ったら紅茶がこぼれ、お気に入りのワンピースに無惨なシミができた。
うん……。いい加減に認めよう。
今のつむぐは自分が思っている以上にフリッツとの新しい暮らしに緊張していた。
恋人の期間が長かったため、一緒に出かけたり、二人でフリッツの妹であるレジーナの店に遊びに行ったりはしていた。
素敵な人が隣にいることに違和感は抱かなくなってきた。
けれども完全に慣れたわけじゃない。
会うたびに「え、この人が自分の恋人なの? かっこ良すぎない?」と謎に目を白黒させてしまうし、動悸気付け息切れが止まらない。
フリッツは恋愛初心者には高級すぎる物件だった。
一見無表情だけど、かわいいものを見るとほんの一瞬だけ顔の表情が緩むところはキュンとするし、メガネをクイっと上にあげる仕草もかっこいい。
つむぐは態度には出してないつもりだけれど、一秒たりとも一緒にいてときめかなかった試しがない。
そんなすごく自分好みの人が、今日から自分の伴侶になって、この家に暮らしていく。
そのことを考えるだけで、容量が少ないつむぐの心はすぐにでもキャパオーバーで破裂しそうだった。
昨日までは大丈夫だったんだ……。想像の私はこの衝撃に易々と耐えられるはずだった……だけど、本物を目の前にすると、どうにも駄目だ。
わなわなと震えていると、それに気がついたフリッツが心配そうな視線を向ける。
「びゃっ!」
「……つむぐさん? 深刻そうな顔をして、マグカップを睨んでいたように見えたのだが……何かあったか?」
「あ! えっと! なんでもないです! 片付けも無事終わりましたし……の、飲み物でも飲みますか!」
「……あ、ああ。いただけるなら」
フリッツの言葉を受け、つむぐは勢いよく立ち上がる。
どう見てもお茶がこぼれたワンピースを見て、フリッツがギョッとした顔をしていた気がするけれど、気にしたら負けだ。
ふう……。
キッチンは半個室になっているため、フリッツとの物理的距離をとることができる。自分の顔、体に想像以上の威力があることを知らずに、ずんずん近づいてくるの、本当にやめてほしい! もう、こっちの心臓が持たないよ。
保冷の魔法陣が描かれてある棚から牛乳を取り出し、水色の琺瑯の片手鍋に半量だけ入れる。
そこに純ココアをいれ、少し練り上げてから蜂蜜を入れる。そして最後にもう半量、牛乳を入れるのが、つむぐのお決まりの作り方だった。
よし。いつものココアで、気持ちを落ち着かせなければ……。
つむぐが引き出しから木製のスプーンを取り出し、ココアを練り始めると、首元に吐息を感じた。
「わっ」
そこには後ろから抱きしめるように、もたれかかるフリッツがいた。
やめろ! こぼす! こぼす!
「……え? あ? なんですか?」
つむぐが体内にわずかばかり残っていた冷静さをかき集めて言葉を絞り出すと、フリッツは平然とした声で返した。
「したかったらした。駄目だったか?」
「だ……駄目じゃないですけど……火を使う時は危ないので離れてください!」
つむぐはフリッツを引き剥がし、彼がソファで大人しく本を読み始めたのを確認してから、キッチンマットが敷かれた床にうずくまった。
そして、自分にしか聞こえないくらいの声で、つぶやいた。
「これが毎日続くってこと……? 私の心臓って持つのかな……?」
これが新婚というものの威力なのだろうか。
恋人の時より、フリッツさん、自重してないぞ……?
恋人の頃は外でのデートが多かったため、フリッツも人目を気にして控えめのアプローチを心がけていたように見えた。
そのくらいの甘すぎない程よい距離感が初心者のつむぐにはありがたかったのだが、結婚をし、もう遠慮はいらないと判断したフリッツは距離感をどこかに放り投げてしまったらしい。
よし、今はココアだ。
温まった片手鍋を手に取り、丁寧にカップに注いでいく。お揃いのマグカップはチャチャが結婚祝いにと、嫌そうな顔で渡してきてくれたものだった。
その苦渋の表情とは裏腹に、青いストライプの模様が入ったマグカップはセンスのいい品だった。
「はい。フリッツさん。ココアが入りましたよ〜」
トレイに乗せたココアをリビングスペースへと運び、机においた瞬間だった。
フリッツは、つむぐの腕を軽く引っ張り、自分の方へ向かせると、そのまま啄むように、キスをしてきたのだ。
え? なに? 今、何された?
誰も見ていない時、この男はやりたい放題であった。
つむぐの脳内キャパシティはこの時点で爆発した。
「の、のおおおおお〜!」
顔を赤らめたまま、頭を抱えたつむぐは一階へと走り出す。
「つむぐさん!?」
そのままつむぐは玄関を飛び出し、家から出て行ってしまった。
*
「やりすぎたか……」
フリッツはつむぐがいなくなった玄関で頭を抱えていた。
この男、無表情なため、態度には出していなかったが、かわいい恋人が自分の伴侶になってくれたことに対して、ものすごく浮かれていた。
そのまま、靴箱に目をやる。
「履いていった靴が近所用のサンダルだったから、行ったとしてもお隣だろう」
つむぐの行動が分かりきっている彼は特に心配もせず、家で待つことにした。
*
フリッツが思った通り、つっかけサンダルを履いたつむぐがそのまま向かったのはお隣のリンドエーデンだった。
飛び込むように店に入ってきたつむぐ(しかも大きなシミをワンピースに作っている)を見て、マダムは目を見開いていた。
相変わらず大繁盛なリンドエーデンは聖の日でも、マダムの元で学びたいお弟子さんたちがマダムを囲んでいた。
もちろん、マダムは強制しているわけではなく、お弟子さんたちが熱心なだけだ。
マダムは「聖の日くらい休ませてよ〜」と言いながらもいつもお弟子さんたちに昼食やら、お菓子やらを分け与えている。
とっても優しい、慕われ者の店主なのだ。
マダムはお弟子さんに言付けをして、お茶の準備をしてもらってから、簡易的な染み抜きを施してくれた。
そうしてマダムはつむぐを落ち着かせると、急にこの家に飛び込んできたわけをつむぐから聞き出した。
そして、それを一通り聞き終わった後、ふう……と深いため息をついてから、キリッとした顔でいう。
「ようはあなたは、フリッツの坊やの求愛行動にドキドキして、耐えきれずに逃げてきたってわけね」
「は……はい」
第三者の口で状況を語られると、なんて恥ずかしいんだろう。つむぐは籐でできた美しい椅子に腰掛け、顔をもっと赤くしながら、怒られた子供のように縮こまる。
「……はい」
「大丈夫。そのうちそういう期間は終わるから。すぐ終わるから」
いつもあたたかで優しいマダムの目は、そういった時だけ、驚くほどに冷たかった。
「マ、マダム……」
そうだ。マダムは離婚経験者だった……。
つむぐはごくんと息を呑んだ。
様々な戦いを経験してきた、女性としての先輩であるマダムは、負傷した戦士のような顔をして、こちらを見ていた。
「いい? すぐ終わるってことは、今が楽しむチャンスなんだから、その甘ったる〜い空気感を全身で味わいなさい! ただでさえ、つむぐちゃんは遠慮しいなんだから、そういうところも、これを機に矯正してもらいなさい!」
「きょ、矯正……」
「そう。って、そもそも失敗した経験を持つ私が大層なアドバイスなんてできる立場じゃないけれど……。結婚生活を長続きさせるには相手に期待しすぎないことが大切なんじゃない?」
「期待……ですか……?」
つむぐはマダムの言葉を聞いてキョトンとした表情を見せてしまう。
「そう。自分以外の誰かの行動が自分の理解の範囲であることなんてないんだから。相手に期待しすぎると、こっちが辛い思いをするからね」
「はあ……」
その言葉がどうにも腑に落ちない。
そもそも自分は相手に期待したことがあっただろうか。
「私はフリッツさんがいてくれるだけで安心するから、特に何をして欲しいとも思わないかも……」
つむぐが何気なくいった言葉を受けて、マダムはこれでもかというくらい、顔をしかめた。
「うっわ〜。甘っ! これだから新婚は!」
「え……? 私、変なこといいましたか!?」
「言いました! でもそれに気が付かないってことはあなたは幸せってことでしょうね! こんなところで惚気ていないで、その幸せに浸かっていればいいでしょ!」
はあ〜! もうやんちゃっちゃった〜と言いながら、頭を抱えたマダムは半ばつむぐを追い返すように家へと帰した。
*
「おかえり」
そう言って二階のリビングで迎えてくれたのはもちろん、フリッツだ。
おかえりっていい言葉だな。
この人が言うと、途端に特別な言葉に思えてくるから不思議。
つむぐは新しい生活で得た小さな幸せを噛み締めながら、フリッツの元にゆっくりと向かう。
フリッツがリビングで書き物をしていた。どうやら、魔法陣の研究をおこなっているらしい。
この世界にきて四年目だというのに、いまだにいまいち魔法陣の仕組みに興味がないつむぐの目はそちらには向かなかった。
「……マダムのところにいっていました」
「そうだろうと思った」
え? それだけ?
自分は「ごめんね」の気持ちを込めて白状したのに。
自分のもだもだした感情をサラッと受け流す、フリッツが急に憎たらしくなってしまう。
憎い、憎い、憎い。
もやもやしたつむぐは、ついうっかり口を滑らせてしまった。
「私ばっかりドキドキしてるのずるくないですか……?」
「は?」
いきなりの言葉に、フリッツは口をぽっかりと開ける。
「私はもっとちゃんと、大人の女性みたいにフリッツさんのしてくることを、さらっと受け流したいのに、いちいちドキドキするし、私ばっかりこんなんでやになる!」
「なにそのかわいい言い方……」
フリッツは何かを堪えるように口を押さえていた。
「こっちは真面目に言ってるんですよ!」
怒り狂った恐竜のような自分の妻がこんなかわいいことで悩んでいる。そのことがフリッツをこれ以上ないくらい幸せにした。
「つむぐさんはつむぐさんだから。他の誰とも違うよ。だから私はあなたのことが好きになったし、かわいいと思う」
その言葉に、つむぐは
「またかわいいって言った! もうっ! なんなんですか!」
と言って怒っている。
フリッツはつむぐを同じ白いソファに座らせて、方に腕を回して、自分の方へ引き寄せた。
つむぐはうううう〜! とケモノのように唸っている。
「昨日まで他人だった人間が家族として一緒に家に住むんだ。緊張はするだろうし、遠慮もするだろう。少しずつわかり合っていけばいいんじゃないか?」
「それはそうですけど……。あなたがいるだけで、こっちはドキドキするんですけど……」
愛らしい言葉につい愛が抑えられなくなったフリッツはつむぐの髪をぐしゃぐしゃにして頭を撫でた。
そして、頬を撫で、キスをした。
人目があったら絶対にしない、家の中二人きりの時にだけ解放される甘くて深い口付けを。
「なにするんですかっ〜! いきなり」
つむぐは、シャー! と猫のように毛を逆立てて怒っていた。
「いや……。私はなんて素敵な女性を妻としてもらったんだろう、と思ってな……」
「へっ!」
かあああっとつむぐの頬がりんごのように赤くなる。
「私たちは私たちのやり方で夫婦になればいい。あなたもゆっくり私の愛情表現に慣れてくれ」
「一生なれない気がする……無理」
私……やっぱりときめきで死ぬんじゃないかな……。
日常は特別だ。
全然日常じゃない。
こんな感じでなんだかんだ楽しく暮らしている二人であった。
お粗末様でした。




