40 王都のドンがご来店
この人……。誰だろう……。
真面目で、私に対しても誠実で、朴念仁のフリッツさんが、美しい人を連れているというシチュエーションを目にした私は……『うそっ! こんな素敵な方がお相手に!?』と、ショックを受けてしまった。まるで心の中にやっと灯り始めた小さいけれど、あたたかくて優しい、大事なあかりが、一瞬にして消されてしまったみたいに、心の中が暗くなる。
フリッツさんには妹さんがたくさんいると聞いていたので、その中の一人かもしれないとは思ったが、この女性はフリッツさん少し年上に見える。
……この人が本当にフリッツさんの恋人だったらどうしよう。もしそうだとして、紹介された時、私は上手に笑みを作れるかな、と不安になった瞬間、お連れ様は私の考えを見透かした様に、ニヤッと瞳を三日月にして笑った。
「やあ。初めまして。いつもうちの息子がお世話になっているよ」
流すように軽くウインク。
わっ! かっこいい!
宝塚の男役みたいな仕草!
私は女性の身元を気にしていた気持ちが飛んでいってしまい、その美しくイケメンな仕草に見惚れてしまった。
ん? でもこの若々しい魅惑の麗しい女性から気になる表現が出てきたような……。え、待って。うちの息子ってことは……。
「フリッツさんのお母様ですか!」
「ああ。そうだとも」
「え、えええ! お若い!」
どう見ても二十を超えた子供を持つ見た目じゃない。フリッツさんの恋人だと紹介されてもこちらが納得してしまうくらいの見た目なのだ。
後妻さんなのかな、という考えがチラリと覗いたが、それを察したのか(多分いつも聞かれているんだと思う)、フリッツさんのお母様は、ハハハ、と嫌味のないカラッとした笑顔でつけ加えた。
「ああ。私の名はレフィリア・アンダーソン。この男を産んだのは紛れもなく私だよ」
レフィリアさんはフリッツさんの脇腹を小突いた。
「わ、わあ……」
この世界には、魔術師もいるし、美魔女もいるんだなあ……。何か年齢を止める魔術でもあるんだろうか。
「若さの秘訣が知りたい……ってあああ!」
思っていたことが口から漏れてしまった。慌てて、両手で口を塞いだ。お客様の前でこんな失態を犯したこと、今までなかったのに!
自分でもよくわからないし、不思議なんだけれど、レフィリアさんと言う人は一度言葉を交わし始めると、何かの魔術がそうさせているかのように気安く話せてしまうのだ。
こっちはまだ警戒したいぞ、と内心思っているのに、話しているうちに、心の奥でぎゅうぎゅうに巻かれていた毛糸が勝手に解けてしまう。多分、生まれ持った気質なんだろう。
初対面でも人の懐に入り込んで、自分のペースに持ち込んでしまえるところが、ちょっとフリッツさんに似ている。
レフィリアさんは、私の庶民丸出しの不躾な態度に対して、特に怒るような素振りは見せず、世間話の延長のように、私の疑問に答えてくれた。
「もしかしたら長年客商売をしていたから若く見えるのかもしれないね。二年前までこの通りの一番南の端にある、クリスカレン百貨店の総支配人をしていたんだ。もうその役目は娘に譲ってしまったけれどね」
「クリスカレン百貨店!」
クリスカレン百貨店はこの国で、一番大きな百貨店だ。流行の最先端を常に発信しているともっぱら評判の百貨店で、こちらにきてから買い出しの時前を通ることはあるが、高貴な雰囲気に気後れしてしまって、店に入ったことはまだない。
っていうか、フリッツさん。以前、自分の母は商家の出だからそれほど高貴ではないって言っていたけれど、この国一番の百貨店の元総支配人なんて、実質貴族みたいなもんじゃないですか!
むしろ、階位だけを持ち合わせている貴族なんかより、政治的発言権を持っていそうだ。
半分は平民だ、とほざいていたフリッツさんは、まごうことなき、いいとこのおぼっちゃまだったのだ!
「付き合いのある店がこの街で新たに店を出すことになってな。何か送ろうかと思ったのだが、フリッツから最近この店でよく花を買うと聞いてな。またこの国に花屋ができたことを知ったんだ。うちにお客さんが来るときはフリッツに玄関エントランスに飾るアレンジメントの注文を頼んでいたんだが、毎回センスがいい花選びに感服させられているよ。それで私もプレゼント用の花をお願いしたくなってね」
「こ、光栄です! ……でも私の店の商品でいいのでしょうか? クリスカレン百貨店の方が商品数も多いのでしょうし、開店祝いにぴったりな品が選べるのではないですか?」
「それがな……。今度、この街に新しく店を開く店と言うのが、今、クリスカレン百貨店に出店している店なんだ。薬草茶を販売しているお店でね。十年ほど前に、街のすみの客が通らないような通りで、今にも壊れそうなボロ屋で商いをしている時に私が目をつけて、クリスカレンに引き込んだんだ。そうしたら、国で一番人気のお茶店になったんだよ」
ほほう……小さいお店を大きくするなんてすっごい。
きっと、フリッツさんのお母様は慧眼の持ち主なんだろう。
「でもその店の者としてはそれは喜ばしいことではなかったのかもしれない。その証拠に、少し前から独立をして、前のような小さな店を王都に持ちたいと周りに相談していたらしい。それでも店を最初に贔屓にした私に気を使ったのか私が総支配人在任中は百貨店の一テナントに収まってくれていたんだ」
私は薬草茶屋さんの店主の気持ちがわかる。
レフィリアさんはきっと、お金をたくさん稼ぐために薬草茶屋さんをテナントとして、招き入れた訳ではないんだ。きっと、今も同じように王都のすみっこで細々と商いをしていたら、その魅力が他の多くの店で埋もれてしまったであろう、薬草茶屋さんを、それじゃもったいないと言う一心でクリスカレン百貨店に引き上げたんだと思う。
それで結果的には王都一の人気店になって……。だけれど、それは薬草屋さんにとっては、名誉なことすぎたのかもしれない。
百貨店のテナントに入っていたら、開店閉店の時間はお店に合わせなければいけないし、休日だって自由じゃない。それって、すっごく大変なことだと思うんだ。
食うに困らないくらいのお金を得て、細々と商売をしていきたいと思った薬草屋さんは、レフィリアさんに感謝しつつも、自分の店を持ちなおすことで、自分のペースを取り戻したかったんだろう。
「だから、新しい店を出店するのに、クリスカレンの商品を送るのは当てつけのように思えてしまうだろう? だったら、私も私個人で見つけた新しい店で買った商品を送った方がいいのではないかと思ってね」
「それは……とっても素敵なお考えですね」
レフィリアさんは薬草茶屋さんを萎縮させずに、でも祝う気持ちは持っているんだ、と言うことをこの贈り物で伝えたいんだろう。
よし! この気持ちを花に込められるように、花屋として頑張るぞ!
「ちなみにご予算はどのくらいでしょうか?」
「そうだな……。抑え気味にして百万エンくらいにしようかと」
「ひゃっ! 百万エン⁉︎」
ちょっと、ちょっと、ちょっと〜! この人、金銭感覚が狂っているよ!
はっ! そういえばフリッツさんも私に魔法陣付きの雨具や鞄をくれた時に、金銭感覚がバグっていた。もしかしたら、こういうところはものすごく似た者親子なのかもしれない。
「大変申し訳ないのですが、うちで取り扱っている花はそこまでお値段がしないものが多いので、そんなに高額な花飾りですと、お店の前がまるで豪華な結婚式場のような仕上がりになってしまいます。そうなると、受け取った側の方の負担になると思うのです……」
レフィリアさんは負担という言葉にハッとした。
「そ、それは私としても本意ではない! 嫌がらせをしたい訳ではないんだ! ただ、純粋な気持ちで開店を祝いたいだけで……」
「ですよね。では、花のサイズなどは私に任せていただけませんか? 予算は二十分の一くらいになると思いますが、レフィリアさんの気持ちに寄り添った素敵なものをお届けできると思います」
レフィリアさんは一瞬キョトンとした表情を見せたが、私の自信のありそうな顔を見て何か感じ取ったらしい。
「わかった。では、店主殿にお任せしよう」
「ありがとうございます!」
最終的には私に全てを一任してくれた。
どんな感じにしようかなあ……。できることはいっぱいある! 楽しみすぎる!
早くデザイン案をまとめなくっちゃ!
私とレフィリアさんはその後もこの王都の見所や、お得情報などで盛り上がり、レフィリアさんを連れてきたフリッツさんはそれを呆然としながら見ていた。
さすが、王都一の百貨店の元総支配人。驚くほど通な情報を知っている。
いつもたくさんのお客さんで混みあっているクリスカレン百貨店の営業時間の中でも比較的空いていて買い物がしやすいアイドルタイムや、時間ちょっと入り組んだ裏通りにある知る人ぞ知る美味しいショコラティエの存在を教えてもらったり。
あとは、それほど高くないけれどいい地金を使っている宝飾店なんかを教えてもらえた時は、テンションが上がって、すっかり花屋の店主を放り投げ、女の子な気分になってしまった。
その間誰もお客様が来なかったので、結構長く——小一時間話し込んでしまったところで、もういいか? と言わんばかりのフリッツさんが、レフィリアさんの襟元を掴むような形で引っ張る。
「これ以上、ここにいては店に迷惑がかかるから帰るぞ」
「ええ〜! まだいいじゃないか。お客さんもいないし」
「自分では気がついていないかもしれないが、あなたはこの王都の頭首と言える存在だ。それを知っている他の客は入りたくても、遠慮して入れないのかもしれない」
「そ! それはいけないっ! 私たちは早急に帰らせてもらうよ。長居してしまって悪かったね」
レフィリアさんは焦ったように踵を返した。
どこか子供のような無邪気さが見え隠れする、チャーミングな人だ。
「今日は母がすまなかったな。また合間を見て、今度は一人で来させてもらう」
フリッツさんはそう言い残して、颯爽と帰っていった。
「なんだか……。嵐のような一幕だったなあ……」
二人がいなくなって、静かになった店内に、私の呟きが響いた。
*
店に再びの静寂が戻ると、カウンター裏、衝立の後ろから服が擦れる音がした。
「奴は帰りましたか……」
そうおどろおどろしい声を出しながら、ひょこっと出てきたのはチャチャだった。
「わざわざ隠れてたんだね……出てくればいいのに」
「こんなこと言ってしまうと接客業失格なのでしが、フリッツの野郎が来ると『嫌』が隠せなくなってしまうのでし。……今日はお連れ様がいましたし、匂いから親族なのかな? と思ったので、失礼にならないように、隠れていました」
フリッツの野郎って……。チャチャって本当にフリッツさんのことが苦手なんだなあ。
もちろん、チャチャはフリッツさんが苦手なだけであって、レフィリアさんは苦手ではない。しかし、自分の息子が、小さい子供に嫌われている様子を見るのは辛いだろうと判断し、裏に息を殺して潜んでいたらしい。
一応、これもチャチャなりの気遣いなんだね。
「それにしても今日はびっくりしちゃったね。まさかフリッツさんのお母様がいらっしゃるなんて」
「フリッツのお母さん、という点はどうでもいいでしけど、クリスカレン百貨店は国一番の優良企業でしから、元総支配人と繋がりが持てたのはとってもいいことだと思いまし」
「おう……ドライな判断……」
チャチャは見た目小さい子供だけれど、親がいないこともあって、超現実主義者である。
「それにしても……てんちょさんはフリッツさんがくるととっても嬉しそうなのがムカつくでしよ……」
「え! そ、そうかな……」
チャチャの言葉に私は思っていたより動揺してしまった。
「そうでしよ! だって、お顔も朝顔が咲く瞬間みたいに、ぱあって明るくなりましから。……てんちょさんが嬉しそうだと私も嬉しいので、あいつが来ることも我慢しまし!」
チャチャは唇を噛み締めながら、涙を堪えている。
今まで、なんでチャチャとフリッツさんはこんなに仲が悪いんだろうって不思議に思っていたんだけど、チャチャは保護者兼上司兼家族である私を他の人に取られたくないんだ。
そのことに鈍感な私はこの時やっと気がついた。
チャチャは私が大好きなんだなあ……。
あちらの世界にいたときは、お母さんしか私を大切にしてくれる人はいなかった。お母さんが死んでしまってから、本当に、ただ一人も大切にしてくれる人はいなくなった。
だけど、私はこの世界でまた、大切な人を手に入れたのだ。
「チャチャ。私ね。チャチャのことが大好きだよ!」
「な、なんでしか? いきなり!」
チャチャは顔を真っ赤にしていた。
それに気がついた時の可愛さといったら……!
くぅーー〜と悶絶してしまうほどだった。ぎゅっと抱きしめると、チャチャの頭がすっぽりと埋まる。ゴールデンレトリーバーのような垂れ耳からはおひさまの匂いがした。




