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9 うーん! 職業難民!


 フリッツさんが買い物をしているのを見て、通貨の使い方やお金の払い方は大体覚えられた。


 これならこの世界で生活して行くことはできそうだ。


 残る問題は仕事だけか……。

 私にでもできる仕事が見つかるといいんだけど……。


 とりあえず今はどうにかなる金額を持っていたとしても、どうなるかわからないのが人生だ。


 想像力が貧相な人間には予想もしないことがいきなり起こったりする。


 ……私、今まさに思ってもいなかった異世界転移を体験しているし。


 もしかしたら、今後、この国で一年過ごしている間にも大金が必要になる場面に出くわすかもしれない。

 事故とか、病気とか、盗難とか。


 そんな時に備えて、できるだけ、堅実に生きていきたい私としては、目減りするだけの報奨金に頼ることはせず、自分の稼ぎもちゃんと欲しいところだ。


 でも……。今から下働きって言うのもしんどいだろうなあ……。

 働き先を探すにも店主しかやったことがない、というのは再就職にあたって、大きなマイナスになる。


 私は長年の店主生活の癖で、人を動かすことはできても、必要なことを察して動くことができないのだ。

 うちに来ていたパートさんたちはみんないい人ばっかりで、私の至らないところはフォローしてくれていた。彼女たちのように細かいことに気づける素質が私にあるかと問われると、うーんと首を捻ってしまう。


 ぶっちゃけいって、私は下働き要員として、かなり役に立たないだろう。


 それに誰かが効率の悪いやり方をしていたら、私、改善したくて口を出しちゃう気がする。経営に口を挟んでくるバイトとか、経営者にとったら、うるさいことこの上ないだろうなあ。

 この世界と前の世界じゃ、仕組みが違うことも多いだろうし。


 まさか自分の城を持っていた経験が新しい仕事探しの弊害になるとは思っていなかった。

 うーん。どうしたもんか……。



 おやつの時間を少し過ぎた頃。

 大抵のものを買い終えて、少しだけ疲れた様子を見せていると、フリッツさんが飲み物を奢ってくれた。

 どうやら、この街で人気の果実ジュースらしい。あまり飲んだことのない南国風の酸っぱい味と香りがして、なんだこれは? と首を傾げてしまったが、美味しいのでいただいておこう。


 こういうことをさらりとできるところを見ると、フリッツさんは妹たちにも同じことをしていたんだろうな、とわかってしまう。きっと、彼は妹さんたちにとっても優しいお兄ちゃんなんだろう。


「フリッツさん、色々面倒見ていただいてありがとうございます」


 私は改めて、一から面倒を見てくださったフリッツ様にペコリと頭を下げて、お礼をいった。


「……いいや。君はこの国を救ってくれた聖女様なんだ。このくらいの手伝いをするのは当然だ」


 相変わらず仏頂面。


「いえいえ。放置してもよかったはずの私なのに、こんなにも丁寧に面倒を見てくれるなんて思っていませんでしたから」

「これからも何か困ったことがあったら、これを渡しておくから遠慮なく呼び出してくれ」


 そう言って、フリッツさんはさっき使っていた手紙の魔法陣の束を私に手渡した。五十枚ほどの紙が紐で結ばれて束になっている。


「足りなくなったら補充するから、気軽に連絡してほしい」


 この魔法陣は、フリッツさんに連絡を飛ばす専用の魔法陣になっているらしい。私がこれに文字を書いて、適当に折り畳んでから空に飛ばすだけで、フリッツさんの元に連絡が行く仕組みになっているんだって。

 すっごい便利じゃん。


 でも、私ってこの世界の文字知らないや……。一抹の不安を抱えつつ、一緒に受け取ったペンを使って試し書きをしてみる。そうしたら、なんと手が勝手にこの世界の文字を綴っているではないか!


 どういう仕組みなのかはわからないが、私はこの世界の文字が書けるし、読めるらしい。

 きっと、あの女神様のお力添えなんじゃないかな。ありがとう! 女神様!


「ありがとうございます。多分、早々に呼び出すことになると思います……」


 多分じゃなくて、絶対だな。

 だってこの世界、わからないことだらけだもの。



 そんなこんなで初めての街見学を終えた私は、フリッツさんと共に宿へと戻る道を歩いていた。


 街にきたばっかりの時は、真上にあった太陽が、西の端へと移動し、空をオレンジ色に染めている。

 始めてこちらの世界で迎える夜が間近に迫っていた。


 別れ際、私はフリッツさんに弱音を吐いてしまった。


「はあ……。私この世界でどう食い扶持を稼いでいけばいいと思いますか?」

「この世界に来るまでやっていた職を引き継ぐのも良いのではないか? 前聖女のように武道の心得があれば、私のように騎士になることもできるだろうが……。ないとなると雇うのは難しいな……」


 前聖女って武道の心得があったのか……。王城を破壊するくらいの力の持ち主だもんね。

 武道なんて、中学の時に選択授業で剣道を取ったくらいだよ。もともと、私は運動神経に自信がある方じゃない。放課後は店の手伝いをしなくちゃいけないから、中高と部活に入ることもなかったし。


 あーあ。こんなことなら、小さい頃お母さん『何か運動系の習い事をする?』って聞かれた時に武道でも習っておけばよかった。

 うちのお母さんって、子供の頃から柔道を習っていて、大人になってからも、たまに市民体育館でやってる教室に指導員のボランティアに参加していたんだよね。


 お母さんがあんなにパワフルに動けた理由は社会人になっても運動を続けていたからだろうな。

 だから、自分の体がボロボロでも無茶ができちゃって、死んじゃったっていうところは悲しいけれど。


 私の体力はせいぜい人並み。花屋の肉体労働で、一日中立っていられるだけの体力と重い物を持つ力がある程度。


「じゃあ私に騎士は無理ですね!」

「そうなのか? こう言ったら失礼かもしれないが、手の皮が厚そうだから、てっきり剣でも嗜んでいるのかと思っていた。指に巻かれているそれも、剣を握りやすくするための滑り止めではないのか?」

「これは……そう言うのじゃないですから」


 フリッツさんの言葉を受けて私は自分の手に視線を落とす。

 彼が巻かれている、と表現したのは絆創膏だ。もしかして、この世界は絆創膏もないのかな?


 花屋というしょっちゅう水を触るお仕事に従事していたから、私の手はアカギレだらけだ。指の腹がぱっくり割れることも多くて、割れるたびに絆創膏を貼っていた私にとって、もはやそれは仕事道具の一部なんだけど、この世界にないとなるとすごく困るなあ……。


 あ、でももう守るべき花屋はないんだから、水仕事も無くなるし、指が割れることもなくなるのか……。


 嬉しいことのはずなのに、なぜだかぽっかりと心に穴が開いてしまったような虚無感に襲われる。


 それはこちらにくる前の私がなんのために働いているか、わからなくなった時に感じた、名前のつかない寂しさとは違うみたいだ。その場所に収まっていたものがすとんと抜け落ちてしまったような、形を持った寂しさだった。


 多分、その部分は仕事が埋めてくれていたんだ。


 あった時は疎ましく思っていたのに失われた瞬間寂しくなるなんて、私って本当に根っからのワーカーホリックだったんだなあ。


「うーんならば、城下町まで足を運んで日雇いの仕事でもしましょうか」

「日雇いか……。街で求人が出ている職種は、冒険者向けのものが多いからおすすめはしないな」

「そうなんですね……。この世界で女性が働くって難しいことなんですかね?」

「そういう訳ではないが、場所によっては条件がかなり厳しいところもある。こちらにきたばかりの君がすぐに働けるくらい、余裕がある職場を探すだけでも時間がかかるだろう。……報奨金はそこそこあるのだから、まずはこちらになれることを優先したらどうだ? そんなに急いで働きに出る必要はないだろう?」


 フリッツさんの言うことは、もっともだった。

 でも……。


「私、ずっと働いていたので、体を動かしてないとムズムズしちゃってしんどくなりそうです」


 女神様に「旅行だと思って楽しんだら?」と言われた時は「やったー! 旅行だあー」と気楽に考えられたけど、いざ現実的に考えると、不安な感情が押し寄せてくる。

 私は不安を感じると、とにかく働きたくなってしまう性分らしい。

 最初に持っていたお気楽な思考はさっさと消え失せ、今は早く体を動かして労働して、少しでも安心を手に入れたい、と思う感情に支配されつつあった。


「それも難儀だな……。ちなみに今まではどんな職業についていたんだ?」

「店屋の店主をしていました」


 そういうとフリッツさんは、一瞬固まって見せた。多分、驚いたんだと思う。


「君は……。ずいぶん若く見えるが、店を切り盛りしていたのか?」

「ええ。もともと母親が店主だったんですけど、突然死してしまいまして、私が店を継ぐことになったんです」

「そうだったんだな……。苦労をしたんだな」


 今まで人に労られることがほとんどなかったので、ちょっとくすぐったい気分になる。


 店屋の店主か……とつぶやいたフリッツさんは少し考えたあと、思っても見ないことを口にした。


「なら、まとまった資金を使って、店を出すっていうのも一つの手だと思うがな」


 フリッツさんが提示した手段は私の選択肢にこれっぽっちもない驚きの手段だった。




明日も朝から投稿予定です。

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