第77話 なりゆきデート
俺が梅宮さんに声をかけられている、そのすぐ隣で――
桜井さんは完全に石化していた。
「……ど、どうしよう……大河くん……」
その震えた小声に、俺は無言で首を横に振る。
(もう無理だ……完全に見つかってるって……)
諦めにも似た感情が胸に広がった、その時。
「そちらは――」
梅宮さんの視線が、ゆっくりと俺の隣へ向く。
そこには、慌てて黒ぶちメガネをかけ直し、キャップを深くかぶり直した桜井さん――という、逆に目立つ状態の彼女がいた。
(これなら……もしかして誤魔化せるか?)
そう一瞬だけ希望を抱いた俺だったが、
「もしかしなくても――澪お嬢様ですよね?」
梅宮さんの屈託のない柔らかい声が、それを粉砕した。
(やっぱダメだったーー!!)
桜井さんは「ひっ」と肩をすくめ、
俺は心の中で膝から崩れ落ちる。
とはいえ――
偶然ここで出くわした、ということにすれば特に変に思われることもないだろう。
たぶん。
だけど――
「ち、ちちち……違うの梅宮さん! これはその……!
べ、別に尾行とかそういうんじゃなくって!」
(いや、言っちゃってるじゃん……桜井さん……)
案の定。
「え?」
梅宮さんは小首を傾げている。
このままではまずい。
俺は軽く咳払いをして前へ出た。
「い、いえ。今日は僕が無理を言って……その、彼女についてきてもらっただけなんです。ほら、今年はホワイトデーのお返しを大量に買わないといけなくなりまして」
俺の言葉に、梅宮さんは「ああ」とすぐに理解したようにうなずく。
「そういうことだったんですね。では吉野さんも、澪お嬢様からのチョコレート……ちゃんと受け取られたんですね?」
「あ、はい。受け取りましたけど……」
その瞬間、桜井さんの肩がピクリッと跳ねた。
「お味はどうでした!?」
梅宮さんは一歩前へ。
瞳はキラッキラ、期待に満ちて俺の顔を覗き込む。ここはチョコレートの作り方を教えた張本人としての責任感と期待がうずくのだろうか。
「え、あ、その……と、とても美味しかった……です」
答えた途端――
「まぁ……! よかったです! お嬢様の“想い”が詰まってますものね! ねっ、澪お嬢様!」
「あ、あううう……っ」
桜井さんは黒いシックな服装とは裏腹に、顔だけ真っ赤に熟れていた。
が――
体温が上がっているのは、何も彼女だけじゃない。
(まずい……! これはとにかく、一旦話を逸らさないと!)
俺は慌てて別の話題を探した。
「ところで梅宮さん、こちらでは何をされていたんですか? ショッピングとかですか?」
俺がなんとか空気をつなぎ直そうと話を振る。
「ええ。それもありますけど――
ほんの今まで、ここで人と会っていたもので」
さらっと言うその声音に、桜井さんがビクッと反応した。
次の瞬間、
彼女は俺たちの会話の間にスッと割って入る。
「そ、それって……この前言ってた梅宮さんの“大切な人”ですか?」
(おお……! 桜井さんにしてはだいぶストレート……!
だがナイスだ桜井さん……これは松野さんのためにもぜひ聞いておきたいことだ……!)
俺が内心ガッツポーズしていたその時――
梅宮さんは、ふわっと頬を赤らめ、両手で顔を覆った。
その仕草は――
完全に“恋する乙女”のそれだった。
「え、ええ……。じ、実はそうなんです……!」
(やっぱりそうなのか……!)
梅宮さんは目線を落としながら続ける。
「竹田さんといって……。
私に、このお仕事のイロハを叩きこんでくださった方なんです。先日のバレンタインに私がチョコレートをお贈りしたので……。今日は“そのお礼に”と、お誘いいただんです……」
その言葉に、俺は思わず天を仰いだ。
(松野さん……
やっぱり……チェックメイトでした……。)
完全なる――敗北。
やがて、梅宮さんは右腕のシルバー装飾入りの腕時計にちらりと目をやると、ふわりと微笑んで言った。
「あ――そろそろ行かないと。それでは私はこれで失礼しますね。澪お嬢様、吉野さん、二人で楽しんでくださいね」
深々と丁寧なお辞儀をして、梅宮さんは足早にショッピングモールの出口へ向かって歩き去っていった。
「……行っちゃったな」
「……うん」
俺と桜井さんだけが、広いフロアの一角にぽつんと取り残される。
「やっぱ、このこと一応、松野さんに連絡入れといたほうがいいかな」
「ちょっと可哀想かもだけど、その方がいいかも」
しかし、問題はこのあとだ。
(梅宮さんも“二人で楽しんでくださいね”って言ってたし……ここはもう――)
隣を見ると、桜井さんはキャップを深く被って俯いている。
黒いキャップのつばの下、耳だけがほんのり赤い。
「なぁ、桜井さん」
「は、はいっ!」
無駄に反応が早い。
「せっかくだし、このあと時間あったら俺の買い物に付き合っていかないか?
その……ホワイトデーのお返しって、なに選んだらいいかわかんなくてさ」
桜井さんの瞳が、ぱっと星が灯ったように明るくなる。
「――うん! いく!」
さっきまでのドタバタが嘘みたいに、嬉しそうに微笑んだ。
* * *
ショッピングモールの二階。
雑貨屋やアクセサリーショップが並ぶフロアを歩いていると、
桜井さんはきょろきょろと周囲を見渡しながら言った。
「わぁ……ここ、可愛いお店多いんだね」
「来たことなかったのか?」
「ううん。昔お母さんと来たときは、忙しくてすぐ帰っちゃったから……。こうやってのんびり歩くのって、なんか新鮮」
「まぁ、ここ結構広いからなあ」
少しだけ俺の後ろを歩きながら、桜井さんはそっと俺の袖をくいっと引っ張る。
「ね、大河くん。あそこ見ていい?」
「お、おう」
袖を掴んだまま連れていかれたのは、ガラス細工のアクセサリー店だった。
ショーケースに顔を寄せて、桜井さんはきらきらした目で言う。
「見て見て。これ全部手作りなんだって」
「へぇ……。確かに綺麗だな。なんというか……澄んだ色してる」
俺がそう言うと、桜井さんはふっと笑った。
「大河くんって、男の子なのにそういうのわかるんだ」
「桜井さんは俺をなんだと思ってんだ」
「あはは」
からかうような、けれど優しい笑い方。
(……その笑顔、なんか反則だろ)
胸の奥が少しだけ熱くなる。
* * *
「ここ、座れるみたいだよ!」
歩き疲れた頃、フードコート横の休憩スペースで桜井さんが手を振る。
俺たちは木製のベンチに腰を下ろした。
「桜井さんは何頼んだんだっけ?」
「カフェラテ。大河くんは?」
「俺はカフェオレ。って、どっちも一緒じゃないのか?」
「ふふっ。大河くんって勉強はできるのに、コーヒーのことは私のほうが詳しそうだね」
紙コップを胸元で温めるように握りながら、くすっと笑う。
「む。まぁ、そこに張り合うのは無謀だな。なんせ桜井さんの家、本物のプロだし」
そういえば、桜井さんも“いつでもブラックコーヒー”ってわけじゃないんだな。
「今日……ありがとね。なりゆきとはいえ、誘ってくれて」
「いや、別に」
少しの沈黙。
「桜井さん?」
「あ、ううん。
私ね、あの日……バレンタインで大河くんに、ああ言ってから……なんか、ずっとぎこちなくなっちゃうかなって思ってたの」
視線は紙コップに落としたまま、ゆっくり続ける。
「でも、こうやって普通に話してくれて……すごく嬉しい」
「……桜井さん」
胸の奥が、きゅっとなる。
「俺も嬉しいよ。なんというかこう……桜井さんが近くにいると、安心するっていうかさ」
言った瞬間、桜井さんは驚いたように目を瞬かせ――
すぐにキャップのつばの影で顔を隠してしまった。
「ふぅん。そっか……なら、よかった……」
静かにこぼれる声が、胸に刺さる。
小さな沈黙。
そして――彼女は顔をあげて言った。
「ね、また……こういうの、したいな」
「え?」
「今日みたいに、話したり、歩いたり……。
“友達”って、こういうのだよね?」
バレンタインの告白も、俺の事情も全部理解したうえでの言葉。
優しさがまっすぐ染みてくる。
「ああ……だな。もちろん」
「うん!」
嬉しそうに笑う桜井さん。
ショッピングモールのざわめきの中で、その笑顔がやけに綺麗に見えた。
「さて、これ飲み終わったら、みんなの分のホワイトデーのお返し選ぶの付き合ってくれよな」
「うん! 任せといて!」
「ちなみに桜井さんは何がいい?」
桜井さんは頬をふくらませて、ぷいっと横を向く。
「私のは……大河くんが自分で考えてよ〜」
「え、あ、はい」
そこだけは、やたらハードルが高い気がした。




