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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第7章 運命のバレンタインデー編

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第71話 桜井さんが俺に伝えたかったこと


 桜井さんが取り出した手作りのチョコレート。


「……そんなの、俺がもらっちゃっていいのか?」


「うん」


 彼女は不安そうに、それでもしっかりとうなずいた。


 俺はタッパーを両手で受け取る。

 指先に伝わる、ほんのりした温かさ。


「せっかくだし……食べてみていいか?」


「う、うん……!」


 彼女はぎこちなく両手を膝の上で握り、

 期待と緊張をまぜたような瞳で俺を見つめている。


 カチッ。


 タッパーのフタを外す。

 ふわっと甘い香りが広がった。


 ミルクチョコの柔らかい香りに、ほのかなカカオのビター。それに、バターと砂糖が溶け合った“手作りの匂い”。


 まぎれもない――家で誰かが作ったチョコの匂いだった。


(……すげぇな、これ)


 俺はその中から、

 ひときわ小さめで、白い線がくるんと描かれた丸いチョコを選ぶ。


 形はいびつで、プロのものとは全然違う。

 でも、その不器用な感じが胸に刺さる。


「じゃあ……いただきます」


 口に入れた瞬間――


 ほろり、と。


 外側のチョコが思ったより薄く、やわらかく崩れた。


 舌の上でゆっくり溶けるミルクチョコレート。

 そこに混ざるのは、ほのかなビターと……少しだけザラッとした舌触り。


 甘さは強いけど、不思議とくどくない。

 ミルクのまろやかさとカカオの深みが一緒になって――


(……うまい)


「……どう、かな?」


 俺は、ひと呼吸おいてから言った。


「……これ、すげぇうまいよ」


「ほ、ほんと!? 本当に……?」


 桜井さんの目が一瞬で輝く。

 胸のところでぎゅっと手を握りしめて、今にも跳ねそうだった。


「ああ。なんて言うか……ちゃんと“手作りの味”がしてさ。甘さもいいし、口に残らなくて……なんか、安心する味。バイトの後だからマジで染み渡るよ!」


「よかったぁ……! ほんと、よかった……」


 桜井さんの肩から力が抜けるのが分かった。

 ほっとした笑顔が、コンビニの光に照らされてやわらかく揺れる。


 俺はもう一粒、今度はハート型のチョコをつまみながら言った。


「そうか、学校じゃあ手作りのチョコレートは持参禁止だもんな。

 でも……まさか桜井さんから、こうやってもらえるとは思わなかったな」


「……」


 桜井さんは、ぎゅっと膝の上で手を握りしめたまま、言葉を返せずにいる。


 俺は少し照れをごまかすみたいに、手元のチョコを見つめながら言った。


「俺さ、最近知ったんだよ。チョコって、種類がめちゃくちゃあるって。逆チョコとか義理チョコ、友チョコ、マイチョコ……」


「うん……」


「ファミチョコに、世話チョコに……あとは推しチョコだっけ?」


「そうだね。今は色々あるよね」


「そんで、これはあれだな。

 友チョコか義理――」


「……本命」


「え?」


 聞き間違いかと思った。

 でも桜井さんは、目をそらさずに言った。


「本命チョコ、だよ。大河くん」


 ドクン。


 その瞬間、心臓が強く跳ねた。


「い、今なんて……?」


「だから、本命だよ」


 夜風も、小さく聞こえていた店内のBGMも、一瞬で遠くに消えたように感じた。


 言葉の意味を理解した瞬間、頭が真っ白になった。


「じょ、冗談だよな!?

 いやー桜井さんも俺に冗談言えるくらい仲良くなったってことで……」


 必死に笑おうとしたが、声がうまく出ない。


 だけど彼女は、静かに首を横に振った。


「冗談じゃないよ」


 目はまっすぐ。

 逃げる場所もごまかす余地もない。


「……私、大河くんのことが好きだもん」


「え……」


 その言葉は、やわらかいのに、逃げ場がないほど真っ直ぐで。


 タッパーの中のチョコみたいに、不器用で、なのに温かくて。


 現実感が追いつくまで、数秒かかった。


「さ、桜井さん……」


「ずっと言いたかった。今日じゃないとダメだと思ったの」


 彼女の肩がわずかに震えている。

 それでも視線だけは逸らさなかった。


「大河くんが、前に進もうとしてるのを見たから」


 息が吸えないくらい胸が詰まった。


 渚先輩への想いに区切りをつけたその日に――

 こんな言葉を聞くなんて、想像もしていなかったから。


 ただ一つだけ確かなのは、この告白は、本気で俺に向いている。


「それにね、大河くんが勇気を出して渚さんに想いを伝えた日に、私も言わなきゃって――そう決めてたんだ」


「あ、その……おれ……」


 言葉が出ない。

 喉の奥で引っかかって、形にならない。


 そんな俺を前にして、桜井さんはすっと立ち上がった。


「あー……すっきりした!」


「お、おいっ!」


 彼女は肩に鞄をかけると、夜の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 さっきまで何かを必死に押し込めていたような表情は消え、まるで重い荷物を全部降ろした人みたいに、晴れやかだった。


「今の……本気、なんだよな?」


 俺がようやく絞り出すように言うと――


「うん!」


 迷いも、揺れも、一切なかった。

 ただ素直で、真っすぐで、強い。


 俺のほうは――


「……」


 再び、沈黙するしかなかった。


 胸の奥が熱く、冷たく、痛く、嬉しく、混乱して……感情の出口が見つからない。


 さっきまで普通に接していた桜井さんが、今は大切な何かを差し出してくれているように見えて―― 視線の置き場すら困る。


 さっきまで当たり前だった世界の見え方が、一瞬にして変わってしまった気がした。


 桜井さんは、言葉を失ったまま固まっている俺の顔を、そっとのぞき込んだ。


「大河くん」


「え?」


「大丈夫。わかってるよ」


 彼女の声は、とても柔らかかった。

 責めもしないし、急かしもしない。

 ただ、俺の心の揺れをそのまま受け止めるような声だった。


「今の大河くんは……色々、気持ちの整理が追いついてないよね」


「……ああ。ごめん」


「ううん。いいの。

 私がどうしても伝えたかっただけだから」


 桜井さんは、座っている俺の前にすっと立つ。

 街灯に照らされた横顔は、泣きそうにも、笑っているようにも見える――

 そのどちらにも当てはまらない、不思議な表情だった。


「これからも……私と友達でいてくれますか?」


 たった一言。


 “友達”という言葉が、

 あんなにあたたかくて

 あんなに切なく響くものだなんて――

 俺は知らなかった。


 この表情を……俺は絶対に忘れられる気がしない。


 考えるまでもなかった。


「そ、そんなの当たり前だろ!!」


 言い終えるより早く、桜井さんは小さく笑った。


「ふふ」


 その笑顔は――

 ただ俺にだけ向けられた、ひとりの“女の子”の飛び切りの笑顔だった。

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