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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第7章 運命のバレンタインデー編

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第65話 呼び捨てとギャップ


 今日は二月十一日。


 バレンタインデーまで、あと三日。


 コンビニのレジ前は――いつもの雑多な風景とは、まるで別物になっていた。


 特設コーナーの棚一面に、色とりどりのチョコがぎっしりと並んでいる。

 ピンク、ハート、リボン、金色の箔押し。

 どれもこれも、普段のコンビ二の定番商品では絶対に見ないような“華やかさ”だ。もちろんその分、単価も華やかなことになっている。


 棚の端には、外国メーカーのチョコが目立つように積まれている。


 濃厚なココアの香りが想像できそうな、黒と金のパッケージのベルギー産。

 宝石箱みたいにカラフルなイタリアのアソート。

 シンプルでスタイリッシュなフランスのビターチョコ。

 そして、毎年やたら人気だという“高級トリュフ”の小箱まで置いてある。


 小さなコンビニの中なのに、そこだけ百貨店の特設会場に迷い込んだみたいだった。


 レジに立っている俺の横を、次々とお客さんが通り過ぎていく。


「これ、会社の人に配るやつなんだけど、どれがいいかなぁ」

「こっちのほうがコスパも良くて見栄えしますよ、お客様」


 店長が普段の三倍くらいテンション高く接客していた。いわゆる「かきいれどき」というやつだろう。


 時を同じくして、他校の女子高生たちが三人でひそひそ話しながらチョコを物色している。

「うわ、見てこれ可愛い!」

「でもこれ高くない?」

「でも好きな人にはこれくらいのほうが良くない?」

なんて話が勝手に耳に入ってくる。


 そして、子どもに手を引かれた若い母親は、

「パパにこれ買ってあげよっか」

と言い、子どもが笑いながらハートのついたチョコをかごに入れていた。


(……なんかすごいな。去年もこんな感じだったのか?)


 俺はひそかに圧倒されながらも、バーコードを「ピッ」と読み取っていく。


 コンビニという場所は、季節の空気に一番早く染まる。


 クリスマス、大晦日、お正月――そして今は、バレンタイン。


 チョコの甘い香りなんて実際は漂っていないはずなのに、空気のどこかが、少しだけ甘く感じるのは気のせいだろうか。


 そんな中で、不意に思う。


 カウンター越しに見える華やかな特設棚を眺めながら、俺はそっとため息をついた。


 これは最近、同じクラスの女子に聞いた話なのだが――

 今どきのバレンタインデーは、もはや“好きな人へチョコを渡す日”なんて単純なものじゃなくなっているらしい。


 えーっと、確か……。


・逆チョコ

・義理チョコ

・友チョコ

・マイチョコ

・ファミチョコ

・世話チョコ

・推しチョコ


 ……だったか。


 もはや種類が多すぎて、チョコの市場がどこへ向かっているのかすらわからない。売れるのならば何でもありということなのだろう。


 ひと昔前のように、やれ“本命チョコ”だの、“義理チョコ”だの、そんなストレートな時代が懐かしい。


(好きな異性……か)


 胸の奥が、少しだけきゅっとなる。


 渚先輩に告白して、振られて。

 あのあとなんとか立ち直ったとはいえ、恋愛についてはなるべく考えないようにしてきたつもりだった。


 だけど――


 こうしてバレンタイン商戦のど真ん中にいると、嫌でも“恋愛”の気配が視界に飛び込んでくる。


 色とりどりのチョコレート。

 誰かのために選ぶ指先。

 レジに置かれる、少しだけ特別なパッケージ。


 俺はそのいくつかをスキャナーに通し終えて、お客さんの波が途切れたタイミングで、そっと息を吐いた。


 レジの前で軽くため息をつく。


 ――その時だった。


「勤務中にため息とは、あまり感心しないな、吉野副会長」


 それは俺の視界の外から。

 背筋にまっすぐ落ちるような、聞き覚えのある芯の通った声。


「え!?」


 思わず振り返る。


 そこに立っていたのは――

 紛れもなく、生徒会長・霞汐乃その人だった。


 向こうから、淡いキャメル色が流れるように近づいてくる。


 ダブルのトレンチコートの裾が揺れ、黒のタートルネックのセーター。

 無駄のない直線で構成されたようなシルエットは、そのまま彼女の性格を表したようにすら見える。


 きっちり整えられた艶のある長い黒髪。

 そこにいるだけで空気の温度が変わったような、凛とした存在感。


 とてもじゃないが、同じ学年とは思えない。


「か、霞さん!? なんでこんなところに……!」


「私は生徒会長だぞ。一生徒の情報は、あらかた頭に入っている」


(いや、プライバシーって概念はどこにいった……?)


「桜井澪にラインで聞いて、バイトに入っているだろうと思って来てみたら、案の定だったというわけだ。それに吉野副会長、君には“缶コーヒーを奢る”という約束も果たしておきたかったしな」


「あー、あれな。別に良かったのに。霞さんって律儀なんだな」


 彼女は微かに顎を引き、わずかに唇の端を上げた。

 それは笑っている、というより“柔らいだ”と表現した方が近い。


「あとさ」

「なんだ?」

「その、学校じゃないんだし、“副会長”っていうのやめてくんないかな」

「ふむ。では――大河」

「いきなり呼び捨てかよ。まぁ、不思議とあんたなら別に違和感ないな。なんなら俺も汐乃って呼ぶよ」

「……」

「どうした、嫌だったか?」


「……いや。多くの者は私のことを“会長”とか、“汐乃様”などと呼ぶから、少々驚いただけだ」

「ならいいけど」


 淡いトレンチの裾が、暖房の風を受けて揺れた。


 彼女の黒い瞳は、向こうのバレンタイン特設棚へと向けられている。


 彼女はチョコレートの棚の前へ歩き――涼しい顔で迷いなくそれらを手に取って買い物かごに入れていく。


 外国製の高級トリュフ。

 ブランドの板チョコ。

 期間限定フレーバー。


 色も形も違うチョコレートを次々と。


(……いやいやいや、絶対俺のコーヒーの奢りは口実だろこれ!!)


 俺が心の中でツッコむより先に、彼女は静かに振り返った。


「勘違いするな大河。これは――“家族のためのチョコレート”だ。決して私が独り占めするつもりはない」


(ダウト――。だけどまぁ、別に俺はそれを止めるつもりはない。欲しいのなら買えばいい。稲葉のやつが見たら、ちょっとどうなるかわからないが)


 彼女が目を輝かせてチョコレートを選ぶ様は、いつもの完璧な生徒会長ではなく、どこか少しだけ、チョコレートの甘い誘惑に敗北した一人の女子高生に見えた。


 だけど――もちろん当の本人はそんな弱みは一切見せない。むしろ堂々としているあたりが、やっぱり霞汐乃なのだ。


「さぁ大河。早くレジを打ってくれ。私は客だ」


 俺は、やっぱり再びため息をつきながら、笑うのを我慢しながらこう言った。


「わかったよ、汐乃。レジ袋はご入用ですか?」

「ああ、欲しい」


 やっぱり、普通の女の子なんだな。


 彼女のその姿に学校とのギャップを感じながら、俺はいつものようにレジを打った。



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