第59話 まーだだよ
俺たちは霞汐乃――我らが生徒会長の気まぐれに付き合う形で、年甲斐もなく“かくれんぼ”をすることになった。
(ったく……霞さんは何を考えているんだか。こんなことで本当に俺達のオリエンテーションになるのか)
一通りの説明を受けたあと、霞さんは俺たち四人を引き連れて生徒会室の前の廊下へ出る。
彼女は長い髪をさらりと翻し、生徒会室の扉を閉めると、取っ手に『ただいま外出中』の掛け看板をドアノブにかけながら言った。
「これでいい。では皆、ここで十分間待ってから私を探し始めてくれ」
その言葉を聞いた稲葉が、すっとスマホを取り出し無表情のままアラームをセットする。
「十分、そんなに短くていいのか?」
「ああ、問題ない」
「……やっぱりやるんですね……」
桐崎さんが、ため息混じりに肩を落とした。
霞さんは俺たちに背中を向けたまま、ふと思い出したように付け加える。
「おっと、そうだった。オリエンテーションとはいえ、これはゲームだ。――もし君たちが“勝った”場合、ご褒美として一人一つずつ、何でも私が言うことを聞こう」
「な、なんでも!?」
そう反応した俺に続いたのは桐崎さんだった。
「……では、例えばですが会長。“私を副会長にしていただく”ことも可能ですか?」
その場の空気が一気に動く。
「お、おい、桐崎さん……!」
俺が思わず声を上げたが、霞さんは静かに振り返りもせず答えた。
「私が負けて、その時も君が本気でそれを望むのなら……前向きに検討しよう」
「はい」
桐崎さんの声は、いつになく力がこもっていた。
――今、この人に火がついたのがはっきりわかった。
「あっ、ちょっと待った霞さん! 俺たちが、一時間以内に見つけられなかったらどうなるんだ!?」
「そうだな。すぐには思いつかないから……隠れながらゆっくり考えるとしよう。なにせ、一時間もある」
さらりとした声でそう言い残し、彼女は優雅な足取りで廊下の角を曲がり、その姿を消した。
「なんて余裕なんだ……。まるで自分が負けるわけがないって態度だな……」
「まぁまぁ。落ち着いて、みんなで力を合わせればきっと大丈夫だよ」
桜井さんは俺を見上げ、ふわりと微笑んだ。あの夜の桜井さんの顔と重なる。
「ああ、だな。とにかく――稲葉も桐崎さんも、よろしくな」
稲葉澄仁は静かにうなずく。
「わかりました」
稲葉とはまだ深く話したことはない。
だが、冷静で話せば分かるタイプなのは、短時間でも十分に伝わってくる。
問題は――
桐崎杏奈だ。
彼女は俺に背を向けたまま、すたすたと歩き出した。
「おい、どこ行くんだよ! まだ探しには――」
「そこのトイレよ。ト・イ・レ。どうせ十分間待たないといけないんだから、それくらいはいいでしょ」
「あ、ああ……」
気まずい空気を察したのか、桜井さんが慌てて前に出る。
「あ、桐崎さん! 私も一緒に行く! 大河くん、ちょっと待っててね!」
「わかった」
二人は生徒会室の隣にあるトイレへ入っていった。
……さて。
やるならば、きっちり霞さんを見つけて勝ちたい。
しかし、さっきの桐崎さんの“願い”を聞いたあとだと、どうにも複雑な気持ちになる。
そもそも、なぜ霞さんは急にあんなことを言い出したんだ?
そんなふうに考えていると、稲葉が静かに口を開いた。
「吉野くんはあまりご存じないと思いますが、彼女――いえ、会長がこういうことを言い出すのは珍しくありません。ですので、あまり深く考えないほうが良いですよ」
「ああ。って、お前……霞さんのことよく知ってるんだな?」
「ええ、まぁ。彼女と僕は小学校の頃からの同級生ですから」
「へぇ。幼馴染ってやつか」
「そんなところです。……とはいえ、今回、彼女がどこに隠れるつもりなのかは、僕にもまったく検討がつきませんけどね」
「はは。そういうもんか」
「彼女のもとで副会長を務めるのは、色々と骨が折れると思いますが……。僕も付き合いますので、どうか無理はなさらず」
「稲葉、お前……」
俺は思わず、彼の眼鏡の奥にある涼しく、だが綺麗な目をじっと見つめた。
「抱きしめていいか」
「絶対にやめてください」
* * *
一方、女子トイレでは。
トイレの扉が閉まると、外の運動部の声が聞こえてくる。
鏡の前で桐崎さんは水を止めると、ハンカチで手を拭きながらふぅ、と長い息を吐いた。
「……ほんと、会長は突拍子のないことばかり」
ぶつぶつ文句を言っている姿は、さっきまでの鋭さが少し和らいで見えた。
私は横で手を洗いながら、おそるおそる口を開く。
「あの……桐崎さん」
「ん? なに? えっと桜井さん」
「さっきの……“副会長にしてほしい”って話……驚いちゃって。桐崎さんは大河くんのこと、その……嫌い?」
桐崎さんは手を止め、軽く眉を上げた。
「……別に隠してないしね。嫌いだよ。悪い?」
口調は強いけど、どこか迷いがある気がした。
「ううん。それって一年生のころの……大河くんのこと?」
「そう。今はどうか知らないけど、あれはほんと最悪だったもん。
クラスの空気を悪くするし、喧嘩はするしで……。まぁ、桜井さんは最近の彼しか見てないから共感できないだろうけどね」
「……そっか」
桐崎さんは話しながら、手洗い場の花瓶に差された花の向きを整えて言った。
「今はまぁ……確かに変わったとは思うよ。
でも、それとこれとは別。私は簡単に忘れる性格じゃないから」
「何があったのか聞いちゃだめ?」
「え?」
「桐崎さんがそんなにこだわるってことは、何か特別なことがあったのかなって」
「……」
彼女は少し遠い目になったがすぐに我に返って言った。
「……そんなに気になるんなら彼に直接聞けば?」
はっきりと言い切る。その顔は、少しだけ寂しそうだった。
「……でもね、桐崎さん。大河くん、ほんとに変わろうとしてるよ」
「あー……まぁ、それはなんとなく見てればわかるけどさ」
彼女はあえてこちらを見ない。
「さ、もう行こうよ。時間になっちゃうし」
私はそっと微笑んだ。
「……ねぇ、桐崎さん」
「なに?」
「私、今日……みんなで一緒に勝ちたい」
「“みんなで”ねぇ……」
「うん。桐崎さんも、稲葉くんも、大河くんも。
生徒会として、ちゃんと“チーム”になれたらいいなって」
彼女は視線を鏡の自分に落とし、腰に手をやり小さくため息をついた。
「……あんた、ほんと優しいよね」
「えっ!? や、優しいつもりじゃ……!」
「いや、優しいよ」
今度は私の方をまっすぐ見る。
「でもね、桜井さん。
あんたに言われなくても私は会長を見つけて勝ってみせるよ」
「それって……」
「そう。副会長になるべきなのは私だから」
「桐崎さん……」
「さ、もう行こ」
トイレのドアが開く。
一年前、大河くんとの間に一体なにがあったんだろう。




