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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
6章 オリエンテーションかくれんぼ編

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第57話 私は君に興味がある


 私は、霞汐乃。


 霞財閥の長女として生まれ、約束された将来と、整えられた環境の中で育ってきた。

 幼少期から語学、礼儀作法、経営学、帝王学、国際情勢──ありとあらゆる“未来に必要とされるもの”を与えられ、私はそれらをこなしてきた。


 周囲は私をこう呼ぶ。


 文武両道の才女、完璧な令嬢、そして──この学校の象徴。


 けれど、私は満たされなかった。


 学業で首席を取っても、あらゆるスポーツの大会を制して表彰されても、胸が高鳴ったことなど、一度もない。


 どれも、努力した記憶がほとんどないからだ。


 私にとって“結果を出す”ということは、

 机の上に置かれた水の入ったグラスを手に取るのと同じだった。


 そこにあるものを、ただ掴み取っただけ。

 それだけのことに達成感を覚える人間が、果たしてどれほどいるだろう。


 私にとって大抵のことは、その程度なのだ。


 ──だからこそ、私はずっと退屈していた。


 どんなことも、できてしまう。


 そんな私にも、どうしても思い通りにならないことがある。


 それは──人の心。


 自分のことなら、いくらでもコントロールできる。

 勉強でも、競技でも、役職でも。

 やると決めて、行動し、結果を取りに行けば必ず辿り着ける。


 だが──


 人だけは、違った。


 私にとって“特別なものではないはずの能力”は、どうやら一般的ではないらしいと気づいたのは、中学に上がった頃のことだ。


 周囲が私を褒め称え、敬意を払い、頼りにするようになった一方で、


 ──彼らは、私からそっと距離を取った。


 私が何かをすれば「さすが霞さん」。

 私が成功すれば「どうせ霞さんだから」。

 周囲は勝手に私を“届かない存在”として扱った。


 その時、私は初めて理解したのだ。


 これが“孤独”という感情なのだと。


 いつだったか、父が私に言ったことがある。


「人を、そして世界を導く者は──いつだって孤独なんだ」


 私は問い返した。


「孤独ってなに?」


「寂しいってことだよ」


 その頃の私は、寂しさの意味を知らなかった。

 むしろ、その必要性すら感じていなかった。

 なぜなら私は、常に結果を手にしてきたし、感情に価値を見出したことなどなかったからだ。


 私は高校に入ると、その能力を息を吸って吐くように自然に行使し、生徒会長の座を掴んだ。


 なぜ、と問われると返答に困る。


 それは──当然のことだから。


 普通とは違う能力を持つ者が、皆を正しい方向へ導く。

 皆によりよい学園生活を送ってもらえるよう尽力する。

 それは、私にとって特別なことでも、苦労することでもなかった。


 ――そのはずだった。


 昨年十二月、生徒会長に就任した私は、この高校の規則に従ってメンバーを集めた。

 選抜基準はただひとつ。


 “能力”があること。


 稲葉会計は数字の処理に関しては学年随一。

 桐崎書記も作文・文章整理はもちろん、その他の事務のスキルでも私と遜色ないほど優秀だ。


 だからこそ、二人を選んだ。

 この二人となら、最小人数でも完璧な生徒会運営ができると思った。


 ――副会長は必要ない。


 というより、私が相応しいと認められる人間がいなかった。


 血縁による権威もいらない。外聞もいらない。

 ただ、機能性と合理性を追求した結果が“三人体制”だった。


 完璧であるはずだった。


 ……なのに、思うように上手くいかなかった。


 なぜか。


 人の心が、あまりにも難解だったからだ。


 正しい指示を出したつもりでも伝わらない。

 合理的な理由を説明しても反発されることもある。

 スムーズに行くはずの合理的な計画に、必ずどこか“人の感情”という非合理が割り込んでくる。


 私にはそれが理解できなかった。


 今までのように一人で行動する分には良かった。だが、生徒会という団体で動く必要があるということは私にとって生まれて初めての挫折だとも言えるだろう。


 努力も才能も環境も──

 すべてが揃っていても、どうにもならないものがこの世には存在する。


 それが“他者の心”。


 そして、私はその扱い方を知らなかった。


 どうするべきか。


 誰にも相談できず、胸の奥に澱のような不安が積もっていたある日のことだった。


 ――ふと、耳に届いた。


「さ、電話番号教えてよ」

「ラインの交換でもいいし、どっちでも。ね?」


 休み時間の廊下。

 軽薄で、配慮の欠片もない男子生徒の声。


 声をかけられた女子生徒は困った笑みを浮かべ、明らかに視線を逃がしている。


 ……やれやれ。

 私が介入するしかないか。


 そう思って一歩踏み出しかけたその瞬間――


「おいおい、君たち。休み時間に不純異性交遊はいかんなぁ」


 私が出るまでもなく、はっきりとした声で咳払いをしながら、ふたりの間に割って入った男子生徒がいた。


「吉野くん!」


 女子生徒の顔がぱっと明るくなる。

 一方で、声をかけていた男子たちは露骨に嫌そうに眉をひそめた。


「なんだよ、お前には関係ねぇだろ?」

「そうそう。俺ら別に――」


「いーや、大いに関係がある。俺はこの人と同じクラスのクラス委員だからな」


 ――吉野。


 その名前を聞いた瞬間、私の中で“情報の引き出し”が自動的に開いた。


 もちろん、全校生徒の概要程度なら私の頭に入っている。

 だが、そこにある“吉野大河”という人物像と、いま廊下で堂々と介入した彼は、まるで一致していなかった。


 静かで、冷めていて、周囲と上手く馴染めない――

 それが一年生の頃の吉野大河の印象。


 なのに。


 数分後、遠巻きに彼を観察して気づいた。


 対応が的確。

 声色は優しい。

 女子生徒の不安を先に察して行動する勇気と積極性。


 ……あれは、誰にでもできることじゃない。クラス委員であるかどうかは関係ない。


 その後、私は彼のこれまでから現在に渡る成績・生活態度・クラス内での評価を調査した。


 一年生と二年生。

 成績も態度も、人格ですらも――まるで別人ともいえるほどの変貌ぶり。


 短期間でここまで変わった生徒など、私は見たことがない。


 そして、それだけではなかった。そんな彼と関わる周りの生徒にも何かしらの良い変化があることがわかったのだ。


 面白い。


 私には理解できない“人の心”という領域。

 そこを、あの吉野大河という人間は軽々と越えていくかもしれない。


 そして。


 ――この男なら、あるいは。


 私は、生徒会長としてではなく、一人の人間として生まれて初めて一人の人間に“興味”という感情を抱いたのだ。



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