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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
6章 オリエンテーションかくれんぼ編

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第56話 花には棘がある


 ――カタカタカタ。


 生徒会室の隅で、パソコンのキーボードを叩く音だけが軽やかに響いていた。


 稲葉が画面の中のスプレッドシートに向かい、無表情のまま全校アンケートの結果を黙々と集計している。

 視線は一切ぶれない。数字の羅列をまるで呼吸するように処理していくその姿は、もはや芸術に近い。


 桜井さんと、生徒会長の霞さんは先生から卒業式関連の打ち合わせということで不在。

 放課後の生徒会室には、ストーブの低いうなり声と、紙の匂い、そして作業音だけが満ちていた。


 その反対側の机では会計の桐崎杏奈が、卒業式関連の資料を広げて静かにペンを走らせていた。

 目の前には大量の進行表、前年度の式の問題点を書きだした書類、ホッチキス留めされた指示書類。

 どれも色の付箋で几帳面に整理整頓されている。


 ――彼女の手だけもまた止まらない。


 静かだが、どこか凛とした空気。

 無駄な言葉は一切ない。淡々と仕事をこなすその姿は、一種の緊張感すら生んでいた。


 俺は手持ち無沙汰になりつつ、しばらくその背中を見てから声をかけた。


「まぁ、桐崎、さん。その卒業式の仕事……手伝おうか? 俺、今ちょっと手が空いててさ」


 ペンの動きが止まる。

 だが、彼女は顔を上げない。


「結構よ。吉野くんは稲葉くんのほうを手伝ったら?」


「いや、稲葉の仕事は手伝えるもんじゃないし……明らかに桐崎さんが大変そうだし」


 その瞬間――杏奈のまつ毛がわずかに揺れ、ゆっくりと顔が上がった。


 表情は穏やか。でも、言葉は鋭い。


「あのねぇ。私だってひとりで十分。むしろ吉野くんに渡したら、あとで私がやり直す羽目になるでしょ?」


「……っ!」


 カタカタカタ


 稲葉が手を止めずに、しかし明らかに“聞いている”気まずそうな気配を見せた。


 彼女は、淡々とした口調で続けた。


「それに、手伝うって言えば聞こえは良いけど……今の吉野くんは“作業の流れ”をまだ理解できていないでしょ? 余計なところ触られると、かえって非効率なの」


「そこまで言うか……」


「言うわよ。これは会長から私が書記として命じられた仕事だもの」


 ピシャリ。


 正論ではある。だけど、刺さる。


 俺が口を開きかけたところで――


 桐崎はふっと視線をそらし、ほんの少しだけ語気を落とした。


「……この際だから言っておくけど、私まだ君のことを副会長として認めたわけじゃないから」


「……なるほどな」


「少しくらい会長におだてられたからっていい気にならないで。私はね、吉野くんが一年の時に“やったこと”忘れてないから」


 ここで少し胸が痛む。


 ――ここで、桐崎杏奈と俺の関係について触れておこう。


 彼女と俺は、この高校の一年生の頃、同じクラスだった。


 その頃の俺は……今みたいに落ち着いてなんかいなかった。

 渚先輩とも衝突してばかりで、クラスの雰囲気にも馴染めず、無駄に尖って、周りに当たり散らすような馬鹿だった。


 クラスメイトのほとんどとは上手くいかず、揉め事も多かった。

 その中には橘海斗もいたし――そして、桐崎杏奈もいた。


 橘とはお互いどこかで折れて、次第に普通に話せるようになったけれど、桐崎とはそうなる前に進級してしまった。

 二年からはクラスも別になり、話す機会もなくなった。

 まさか生徒会でこうして再び関わることになるとは思っていなかった。


 だから――


『私はね、吉野くんが一年の時に“やったこと”忘れてないから』


 その言葉が、今も刺さる。


 桐崎杏奈にとって俺は、まだ“一年の頃の吉野大河”のままなのだ。


 それは当然だ。


 俺は彼女に、まだ何も返していない。

 信用を得られるようなこともしていない。


 むしろ、マイナスのまま止まっている。


(……さて。どう取り返すか、だな)


 ペンとキーボードの音だけが響く生徒会室で、俺はひとつ息を吐いた。


 今までの俺だったら――

 ここで「そうだよな」と引き下がっていたかもしれない。


 怖い。


 正直、あの時のことを今更言い訳する気はない。


 だけど。


(負けない。やるって決めたんだ。だったら食らいつくしかない)


 信頼が崩れているなら、崩れた分だけ積み上げればいい。

 むしろ、マイナスからのほうが伸ばせる分が多い。


 心の中でそう決意した時だった。


「……なに? なにか言いたそうね」


 ハーフアップにまとめたウェーブの髪が、彼女の肩で揺れる。

 耳にかかった髪の隙間から覗く黒い瞳が、まっすぐこちらを射抜くように向けられた。


 この視線。痛い。


 でも――


 俺も真正面から言おうとした。


「桐崎さん――」


 その瞬間だった。


 ――ガラリ。


 生徒会室の扉が開き、絶妙すぎるタイミングでふたりが戻ってきた。


「ただいま戻りました」


 桜井さんが俺達に軽く会釈し、資料を胸に抱えて入ってくる。

 その後ろで霞会長が淡々と姿勢よく腕を組んでいる。


「おかえりなさい、霞会長」


 俺をひとまず視界から外し、桐崎はすぐさま霞会長へ向けて声を張った。


「ああ、皆揃っているな」


 霞会長は全員を見渡し、表情を崩さずに続ける。


「今、先生から卒業式の進行についての詳しい話を受けてきた。

 これよりミーティングを始める。準備を」


 その場の空気がきゅっと締まる。


 言いかけた言葉は喉の奥に戻った。

 けれど――ここで止まったわけじゃない。


(いいさ。続きはまたで言えばいい)


 俺は自分の席に戻りながら、小さく息を吐いた。


 決意は、まだ消えていない。


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