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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第3章 突撃のメリークリスマス編

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第25話 いらっしゃいませ


 桜井澪が下校中に見る街並みは、クリスマス前の浮き足だった空気に包まれていた。


 光るイルミネーションの前で写真を撮るカップル。

 友達同士で笑いながら駅へ向かう生徒たち。


挿絵(By みてみん)


 その人波の少し外れたところで、彼女はひとり、スマホを耳に当てていた。


「……お母さん、明日はイブなのに。──お父さんも久しぶりにちゃんと顔を見せるって言ってるよ?」


『……。お母さんね、どうしても外せない仕事があるの。梅宮さんに言って、料理と特注のケーキは頼んであるから彼女と一緒に食べて頂戴』


「でも!」


『……今は、今だけは私を困らせないで。お願い、澪』


 澪の唇がかすかに動いた。


「……うん、わかった。じゃあね」


 通話が切れる。


 ディスプレイの光が消えた瞬間、彼女は俯く。


 通りの向こうで友達同士が写真を撮り合っている。


 鈴の音が風に混じり、ひとり歩く足音だけが冷たい舗道に響いた。


「吉野くん……」


 澪は一度だけ空を見上げて、マフラーを整え、ゆっくりと歩き出した。



 * * *



「いらっしゃいませー」


 俺はいつものように、バイト先のコンビニにいた。


 レジの前には、クリスマス仕様の小さなPOPと、誰も手を伸ばさないケーキのチラシ。


 外はもう完全に暗い。


「ありがとうございましたー」


 ~♪


 お客さんが出ていったあと、店内に静寂が戻る。


 渚先輩がコーヒーマシンの水を入れ替えながら、ちらりと俺を見る。


「ねぇ大河。なんか今日、上の空じゃない?」


「いえ、まぁ……」


 曖昧に笑ってごまかす。


 手元では釣り銭の硬貨がカチャ、と音を立てた。


「今日、このあと桜井さんがここに来るんですよ」


「ふーん。あの子、また何かあった?」


「……たぶん、そうだと思います」


 言葉にしてしまうと、急に現実味を帯びる。

 胸の奥が小さくざらついた。彼女の“変化”が、ただの気分転換じゃないことくらい、もう分かっていた。


「うん。なら、君は聞き役に徹しなよ。余計な正義感は、今日は置いといたほうがいいんじゃない?」


「……はい」


「じゃないと大河って頭に血が上るとすぐに行動に移すタイプだもん」


 先輩が少し笑った。


「忠告ありがとうございます」


 俺は、レジの画面の右上に表示された時計を見た。

 もうすぐ二十一時。いつもなら桜井さんがくる時間だ。


 外では雪がちらつき始めていた。

 天気予報ではどうやら明日のクリスマスイヴまで降り続くそうだ。


 街灯の下を舞う大きな粒が少しずつ駐車場のアスファルトを隅から白く染め上げていく。


「明日は間違いなくホワイトクリスマスだねー」


 先輩がそう言った。



 * * *



 街の一角にあるガラス張りのオフィスでは、蛍光灯の白い光がまだ眩しかった。


 デスクの上に積まれた契約書、ノートパソコン、散らばったメモ。

 その中心で、桜井春香はイヤホンマイク越しに低い声を発していた。


「言い訳はいらないの。結果を出して」


「しかし桜井社長――!」


 相手の反論を遮るように言い切り、すぐに通話を切る。


 デスクに置かれた冷めたコーヒーから、かすかな苦い香りが立ち上っている。


 コンコン――。


 ドアがノックされる。


「入りなさい」


「失礼します。そろそろ就業のお時間ですが」


 入ってきたのは春香専属の秘書の松野。


 その控えめな口調に、春香は疲れた目を上げる。


「ええ、でも私は残業があるから。あなたはあがっていいわよ」


「……あまりご無理はなさらないでくださいね。明日はクリスマスイブですし」


「ありがとう、松野」


 春香は口元だけで微笑む。


「それと、今日はお嬢様からコンビニの送迎のご連絡を頂いております。後ほど対応いたします」


「あの子……そう。残業代は出すからよろしくね」


「はい。あの、社長」


「なに?」


「僭越ながら、澪お嬢様は社長の意向に従って、私によくあのコンビニに連れていくように言いますが、時折とても寂しそうなお顔をされるのです」


「……」


「業務上、手が離せない状況なのは承知しておりますが――いえ。私としたことが、出過ぎた行動でした。失礼いたします」


「お疲れ様」


 松野が静かに退室する。


 ドアが閉まると同時に、オフィスの静寂が戻った。


 春香は深く息を吐いて、コーヒーカップを手に取る。


 飲み口に口を近づけて、ふと視線が止まった。


 ――白いカップの側面に、小さく印字されたロゴ。


 Sakura Coffee.


 その文字を見つめたまま、春香の手が動かなくなる。

 彼女の脳裏に過去の光景が浮かぶ。それは家族三人で一緒に飲んだコーヒーの記憶。


「……もう戻れないのよね。当然ね。私は、私の道を選んでしまったのだから」



 * * *



 夜二十一時過ぎ。


 コンビニの自動ドアが、チリンと音を立てて開く。同時に軽快なBGMも鳴る。


 ~♪


「いらっしゃいませー」


 俺はレジの奥から声をかけた。


 入ってきたのは、マフラーを外しながら息を白く吐く桜井さんだった。

 ピンクのダウンジャケットを羽織ってはいるが、服装はやっぱりグレーのスウェットの上下組だった。


(寒くないのかな。ちゃんと中にも着込んでるならいいけど)


「こんばんは、吉野くん」


「お、来たな。寒かっただろ」


「うん……。でも今日は松野さんの送迎だから大丈夫だよ。でもやっぱり雪、積もりそうだね」


「そうだなぁ」


 彼女の頬は赤く、指先が少し震えている。

 スウェットの上からジャケットを羽織っているせいか、肩に小さな雪の粒が残っていた。


「あ、新発売のブラックコーヒーはあれね」


「うん、ありがとう」


 桜井さんがそう言って微笑む。


 ――やっぱりこの時間に会う彼女は、どこか力が抜けている。


 そんな俺達の様子を見ていたらしい店長が、奥から出てきて声をかけてきた。


「吉野くん、今日はあの子のレジが終わったら上がっていいよ」


「え?」


「お客さんも減ったし、明日は出勤変更になったお詫びだよ。それにね――」


 店長は少し笑って言葉を続ける。


「この間、ここに憔悴した彼女が来た時、僕も居てね」


「そうだったんですか」


「うん。あの時は枝垂さんが上手くなだめてくれてたけど、今日は君がその役目を引き継ぐんだろう?」


 その言葉に、俺は小さく息を飲んだ。


「……はい、ありがとうございます」


 そのころ、向こうのドリンク棚の前では、なにやら渚先輩と桜井さんが話し込んでいるようだった。


「あ、渚さん」


「お、澪ちゃん。いらっしゃい。イメチェンしたんだねー、すごく似合ってるよ!」


「ありがとうございます! あの……この間は……取り乱してすみませんでした」


「いいのいいの。誰だって泣きたい時はあるよ。今日は、澪ちゃんの王子様が来てるから安心だね」


「お、王子様だなんて!」


 澪が赤くなって思わず声を上げると、渚は悪戯っぽく笑った。


「冗談冗談。さ、早いとこお会計してきたら?」


「あ、はい。ありがとうございます」


 澪は照れたように笑い、ドリンク棚から缶コーヒーを一つ取る。


 夜のコンビニで交わるふたりの特別な時間が今、始まる――


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