第19話 タイミングブス
私の名前は吉野瑞希。十四歳。
誰もが羨む(たぶん)華の中学二年生。
日曜日の朝、私は洗面所でコンタクトをつけ、髪を整える。
「よし、今日も可愛い!」
そして鏡の前で笑顔を作る。これが私のモーニングルーティーン。
リビングに戻ると、兄とすれ違った。
寝ぐせを直しながらあくびをしてる。
「お兄ちゃんおはよ。もう九時だよ、日曜日だからってぐうたらしすぎ!」
「……おはよう。瑞希、朝から元気だな」
この人は吉野大河。三つ上の高校二年生で、私の兄。
一年前までは朝だけじゃなくて、昼も夜もぼんやりしていたのに、何があったのか今じゃ毎日バイトと勉強の虫。(いいことではあるけれど)
だけど――今日は、そんな兄にちょっとだけ感謝している。
「なんだその服。ずいぶん気合い入ってるな」
「ふふーん。忘れたの? 今日は澪さんとショッピングに行く日なんだよ!」
兄が目を見開く。
「っと……今日、だったか? どこに行くんだ?」
「駅前のショッピングモールだよ」
「ふーん。あそこね」
「へへー。羨ましいでしょ? 澪さん、可愛いもんね」
「べ、別に羨ましくなんて……。ま、まぁ楽しんでこいよ。桜井さんによろしくな」
「当たり前でしょ。お兄ちゃんこそ、学校もバイトもないんだし、たまには外出たら?」
「……考えとくよ」
どうせまた家で勉強。
“今の”兄のそういうところ、嫌いじゃないけど――少しくらい高校生生活を謳歌したらいいのに。
私は靴を履きながら小さく息を弾ませた。
「さて、今日は絶対に澪さんをたくさん笑わせる! そして仲良くなる」
ドアを開けると、朝の光が差し込んだ。
* * *
駅前の噴水広場――
冬の光が水面に反射して、白く揺れていた。風は冷たいが陽の光のおかげで十分暖かい。
「澪さん!」
声をかけると、すでに澪さんはそこにいた。
肩までの髪をゆるく結び、黒いフレームの眼鏡をかけた姿は、どこか大人びて見える。淡いベージュのコートに、チェック柄のマフラー。
――清楚で上品。せっかくの可愛い童顔なのに、どこか近寄りがたい雰囲気を感じた。
(うわぁ……。お兄ちゃんに聞いた通りほんと、桜井さんって“お嬢様”って感じだ)
「おはよう、瑞希ちゃん」
「おはようございます! 早いですね、まだ約束の十五分前ですよ?」
「ううん。自転車で来るつもりだったけど、家の人が車で送ってくれて。思ったより早く着いちゃっただけだから、気にしないで」
「なるほど……さすがは桜井家。上流階級の香りがしますね~」
「そんなことないよ」
澪さんが笑った! その笑顔に私はくすぐったくなる。でも、今日はもっと笑わせるぞ!
「それで、今日はどこ行こっか?」
「えっと! 見たい映画があるんです。あの恋愛のやつ、もうすぐ上映終わっちゃうんで!」
「恋愛映画? ふふ、意外。瑞希ちゃんってそういうの観るんだ」
「だって気になりますもん! ほら、衣装とか演出とか!」
「そ、そっちなんだ……」
「あ、もちろん恋愛の方も気になりますよ!」
ふたりで顔を見合わせて笑う。
映画館の中、ポップコーンの香りが漂う。
やがて照明が落ち、スクリーンが明るくなる。甘いセリフに観客がざわつく中、澪さんは真剣に画面を見つめていた。
(澪さんの横顔、やっぱり綺麗だなぁ……)
やがて上映後。
スクリーンにエンドロールが流れ始めた。
澪さんは最後まで姿勢を崩さず、じっと見入ってた。
やがて照明が少しずつ明るくなる。
「はー、終わったね。じゃあいこっか?」
「はい!」
周囲から小さな拍手と、感想を交わす声が広がっていく。カップルや家族連れが立ち上がり、ロビーへ向かう足音が重なる。
映画館を出てから少し歩いたあと、私たちはショッピングモールのカフェに入った。木目調のテーブルに、ガラス越しの午後の日差しが差し込んでいる。
「映画はどうだった瑞希ちゃん?」
「演出も音楽も最高でした! でも、主人公の女の子、ちょっと鈍感すぎません?」
「ふふ、確かにすごくすれ違ってたよね。私は恋愛とかあまり良くわからないけど、ちょっと憧れるな―」
その言葉に、私は澪さんの横顔を見つめた。
(……誰のことを思い浮かべてるんだろう)
澪さんはストローを指でくるくる回しながら、静かにアイスコーヒーを口にした。
そんな穏やかな空気の中で私は、つい気になって聞いてしまった。
「ねぇ、澪さん。好きな人とか、いるんですか?」
「え!? す、好きな人!?」
澪さんが驚いて目を瞬かせる。頬が少しだけ赤くなっていた。
「はい! 澪さんの恋愛事情はどうなんですか? 付き合ってる人とか、いるんですか?」
「そ、そんなの……。正直、恋愛のことはよくわからなくて。お付き合いをしたこともないし、ああいう映画みたいな世界には、少し憧れるけど……」
(――澪さん、か、可愛い!!)
思わず叫びそうになる。
「そうなんですね。澪さんって、正直すごく可愛いですよ? 私が男だったら、絶対ほっとかないのになぁ」
「そ、そんなことないよ……。あんまり自信がないから」
そう言いながら、澪さんは照れたように笑う。
その仕草がまた可愛くて、つい私は調子に乗ってしまった。
「じゃあ――お兄ちゃんとは、その辺どうなんですか!?」
その瞬間。
澪さんがストローをくわえたまま、盛大にむせた。
「ご、ごめんなさい! タイミングミスりましたね!?」
「う、ううん……。大丈夫……っ」
澪さんは手で口元を押さえながら、顔を真っ赤にして俯いた。
(……この反応! もしかしてお兄ちゃんに脈あり!?)
私は一瞬で確信した。いや、もはや“第六感”が告げていた。
澪さんは、兄のことが気になっている。間違いない。
脳内で鐘が鳴り響く。
ピンポンパーンポーン♪
――作戦開始の合図である。
(そうだ! この可愛い澪さんを合法的に“姉”にする方法がひとつだけある!)
それはもちろん、兄と澪さんをくっつけること! そうすれば私は晴れて“澪お姉ちゃん”を手に入れられるのだ!
(お兄ちゃんは無愛想だし、鈍いし、恋愛レベルでいえば化石みたいな人だけど……)
(誰が化石だ!!)
今なにか聞こえた?
(でも、根は優しいし! 澪さんみたいな人がそばにいたら絶対変わるはず! うん、そうに違いない! これは人類のための恋の架け橋プロジェクト!)
気づけば私は、テーブルの上のストローを握りしめていた。
澪さんが首をかしげる。
「み、瑞希ちゃん? どうかした?」
「いえっ! ちょっと未来の計画を立ててただけです!」
「……未来の、計画?」
「はい! 気にしないでくださいっ!」
私は“未来のお姉ちゃん”に満面の笑みを返した。
* * *
――その頃、自宅の一室では。
吉野大河は、机の上にペンを放り出した。
「……気になって勉強できねぇ」
視線をスマホに落とす。画面には、枝垂渚のアイコン。最新のメッセージは、期末テストの結果が出た日の夜に届いたままだ。
『不在着信』21:46
『大河のタイミングブス! 澪ちゃんを守ってやんなよ』21:46
『すみません。寝てました。どういうことですか?』07:06 既読
それ以降の返信がない。
「なんなんだよ、それ……」
意味がわからないまま、時計の針が進む。
時間は午後一時。
「……ったく。気分転換だ。俺もあのショッピングモールに用があるんだった」
大河は着替えを済まし、バッグを身に着けて家の扉を開けた。




