85.物語は消えていく
復習しておくぜ。
四迅決定戦は、誰でも参加可能な一騎打ちレースだ。
会場を中心に峠をぐるっと回る1周4kmぐらいのコースを使って、1vs1のバトルが次から次へと行われる。
それによって、エンジン形式別で最速の称号を手にしたチューニングカー4台である四迅が決まる。
エンジン形式別の称号ってのは、“ターボの玄武”、“ロータリーの青龍”、“スーパーチャージャーの朱雀”、“自然吸気の白虎”の四つ。
既に太陽は西に傾き始めてる。
もし決勝までに陽が沈めば、ただでさえ見通しの悪いこの峠はさらに狂暴になるだろうな。
そうなる前に何事もなく終わってくれるといいんだが。
お、そろそろ朱雀トーナメントの準決勝か?
それじゃあ俺はレイの走りをゆっくり眺めるとするか。
*
狭いスタート地点に車が並ぶ。
興奮している観衆を煽るように、会場にアナウンスが響く。
『腕のあるスーパーチャージャー使いが集まる朱雀トーナメントも、いよいよ準決勝だ! まずはこの2台!』
あくまで称号は車に贈られるものらしいな。
『右側、駆るのはルーキーにしてクラス3全国チャンピオンのレイナーデ・ウィロー。西日に照らされてV6が赤く唸る! フェアレディZ!!』
湧き上がる熱狂に応えるべく、レイはエンジンを軽く吹かした。
『左側、ドライバーはおなじみのニヴェル・アロウ。軽さが武器と言わんばかりにローパワーの駆逐艦が牙を剥く! “朱雀”オクソール!!』
――――聞き間違いじゃねえな。
トーナメント準決勝まで来てついに、レイは現王者と当たっちまったってわけだ。
この近くで知らない人はいない走り屋のニヴェルが乗るオクソールは、古い車だが国産軽量スポーツカーとして最も人気が高い車種の一つだ。
典型的なFRのレイアウトに、車重はわずか900kg。1.6リッター直4のエンジンは、発売当初は自然吸気だったが後にスーパーチャージャーを搭載した仕様も登場した。
“朱雀“のパワーは250馬力にも満たないらしいが、狭い峠でその全てをコントロール下に置けば、向かうところ敵なしってことだ。
そんな王者を相手に、レイはどう戦う?
『3、2、1――――GO!!』
白煙が舞い、パワーにしてみれば二倍以上の差があるフェアレディZとオクソールはほぼ同時に出た。
Zのわずかなホイールスピンを逃さずに、オクソールが最初のコーナーのインを刺す。
瞬きする間もなく、二台は奥へ吸い込まれるように姿を消していった。
風にヒビを入れるような鋭いエンジン音と、山を揺さぶる爽やかで軽快なエンジン音だけが残った。
*
音が近くなってきた。そろそろか?
フェスティバル会場端の展望デッキからは、大勢の観客が今か今かと二台を待ちわびている。
いよいよ来た。
橙や黄に彩られた木々から先に見えたのは、烈火の如く激走している赤いマシンだった。
レイが前だ。
会場がざわめく。
『おぉ!? まず先に姿を現したのは、フェアレディZだ! “朱雀”のオクソールがすぐ後に続く! しかしこの闘争心溢れる若きレーサーは、譲る素振りを微塵も見せない!!』
まったく、あいつにはつくづく驚かされてばっかだぜ。
どうやったらあの“朱雀”の前を、あんな堂々と走れるんだ?
俺は知ってる。あいつが誰よりも速いってな。
Zとオクソールの差がじわじわ広がっていく。その差は決して覆ることのないまま――――
『歴史が! 今、変わった!! レイナーデ・ウィロー、そしてフェアレディZが、初参戦にして、現王者のオクソールを置き去りにしてフィニッシュ!!』
エンジン音をかき消すほどの歓声が響き渡った。
『まさかの決勝戦進出だ! 毎年何かが起きるこのフェスティバル、今年も波乱万丈は健在!!』
レイにお疲れの一言でも投げつけようかと思ったが、この後はターボ車最速を争う玄武トーナメントの準決勝が控えてる。
さあ、俺も歴史を塗り替えてやらねえとな。
イライザは確かこの辺にあったはずだ。
「ん?」
歩いていた俺はふと通り過ぎた展示ブースが気になり、思わず足を止める。
そこには5年ほど前に発表されたコンセプトカーのレプリカが置いてあった。
「……さすがにレプリカだよな」
この車は当時レースで常勝を誇っていたレーシングカーのエンジンをほぼそのまま搭載して市販化する計画だとして、一時期話題を呼んだ。
結局は翌年の経済不況の影響を受けて白紙化されたが、その時のアイディアが元になって後に開発されたのがエネシスという車種だ。
よくよく見たらエンジンの解説も乗ってるな。助かるぜ。
あったあった、これだ。
内径95ミリ×行程75ミリ、総排気量3188ccのV6自然吸気。
たったの3.2リッターでパワーは500馬力以上、最高回転数は9500回転の、純粋なレーシングエンジン。
トルクはわずか41.5キロにすぎない。つまり、下の方がスッカスカで超扱いづらい代わりに、上の方までブン回せば最高に気持ち良いエンジンってことだ。
カムシャフトという部品を切り替えるお得意のXECT機構も使われてる。
市販化されてれば、間違いなく世界一面白い車だっただろうに。
そういや、この車のオリジナルはまだ現存してんのか?
ここに展示されてるのがレプリカってことは、本社のどっかにあったとしても不思議じゃねえな。
ん、書いてあった。
『製造された2台のプロトタイプのうち1台は、市販化計画が中止になった時点で開発テストドライバーのシヴァ・ダリルが譲り受けた。もう1台は広告塔として様々なレースやイベントなどに持ち出されていたが、現在どこにあるのかは分かっていない』
なるほどな。
――――どこにあるのか分からない?
どういうことだ?
おっと、そろそろ玄武トーナメント準決勝の時間だ。
風がやけに冷たい。
ポケットから出したイライザのキーを落としそうになり、ゆっくり深呼吸して俺はドアを開けた。




