84.秋のおすすめスポット
*数十分前*
「うっ、危ねぇな……」
一瞬でも紅葉に気を取られれば、すぐに馬力で殴られて谷底まで真っ逆さまだ。
俺が二年間乗ってきたイライザ350のはずなのに、今までとは全然違う乗り味になりやがって――――
ストレートが終わり、曲率高めの左コーナーだ。
フルブレーキング。そのまま右に振る。そして左にすぐ切り返す。
タイヤはいとも簡単に役目を放棄し、スキール音が鳴り始めた。俺の身体が遠心力で持っていかれる。
スピードを考えればありえないほどの早さでブレーキを離し、代わりにコーナーのど真ん中でアクセルを全開にする。
ステアリングは右に曲げっぱなしだ。タコメーターの針が一心不乱に震え、まだ聴き慣れないサウンドが背後から俺を揺さぶっている。
既にイライザは次のコーナーへと向きを変え、道幅ギリギリまで膨らみながら危険なほどの勢いで加速した。
まったくこんな狭い峠道を、600馬力オーバーのマシンでドリフトして走り抜けるなんてな。
上級校の小さなサーキットを攻めるたびに緊張で心臓が締め付けられていた頃が懐かしいぜ。
不思議なことに、恐怖は感じない。それよりも思うのは呆れだ。
このイライザを製造し、ここまでチューンしたコーリン社のメカニックに対する、呆れ。
クラス3全国選手権の最終戦が終わってから、わずか2日後のことだ。
突然コーリン社の重鎮から連絡を受けた。
簡単な話だった。
『我が社と契約して走らないか』
まさか、そんなことを言われるとは夢にも思っていなかった。
俺のしたことと言えば、中古のイライザ350を安値で買って、レースに出場しただけなのによ。
それがメーカーの目に留まって、ワークスチームのドライバーとして来年からクラス2のレースに参戦させてもらえるようになった。
ワークスチーム。つまり、自動車メーカー直属のレーシングチームだ。
自費で車両を購入してレースに参戦するプライベーターとは違い、ワークスはメーカーが自社開発したマシンで参戦する。もちろんそのノウハウや経験、知識量、資金力、運用能力は大きなアドバンテージとなり得る。
俺はこの契約に即サインした。
そしてクラス2のレースで戦えるようイライザを改造してもらうために、本社のファクトリーへ持ち込んだ。
あのときはまだ経験の浅い俺にも親身になって接してくれて、エンジニアの人たちも良い人だな――――と思ったんだが。
こんな正気を疑うようなパワーを与えられたイライザを見る限り、どうやら間違ってたらしいな。
確かに、この路面状況と見通しの悪い峠で走らせている俺にだって非はある。
にしても。こんな扱いづらくてどこに吹っ飛んでいくか分からないようなマシン、サーキットで走らせたって同じようなもんだ。
端的に言って、ありえないほどピーキー。慣れるしかねえのか――――?
「ん……あのエネシス、幽霊か?」
そろそろ走行を終えて会場に帰ろうと思っていた矢先、うっすら赤く色づいた木々の向こうに白いエネシスが聴こえた。
首都高で走ったときと同じ音。エヴァーミタとかいう走り屋チームのリーダー、幽霊だ。
抜こうと思えばいつでも抜ける位置に接近して、全開で走りながら様子を見る。
幽霊も幽霊で、かなり攻めた走りしてんだな。特にコーナー立ち上がりでのアクセルワーク――――サーキットならともかく状態の悪い公道でも、駆動力を絶妙な力加減で路面に分け与えてる。
そういえば幽霊は昔、慢心していて雨の日にスピンしたことがあるんだっけか?
真後ろから走りを眺めていると、いろんなことが見えてくる。
俺を違和感が襲った。
――――俺の、見間違いか?
幽霊は今の1周で一度たりともシフトレバーから左手を離していない。右手はずっとステアリングを握っている。
片手でこの峠を攻めようってか――――
*現在*
「なんだウラク、来てたのか。ってことはこれお前の?」
「おう。実はここだけの話な、この前コーリンからオファーを受けた。来年からはこいつでクラス2に昇格ってわけだ」
「じゃあ……ワークスドライバー!?」
「そうだぜ。へっ、羨ましいだろ」
ウラクが――――メーカーと契約したのか。
しかもコーリンといったら、60年以上前からモータースポーツ活動を行っている老舗のレーシングチームでもある。製造している市販車はイライザ350を初めとして、どれも軽量なボディーに他社供給のエンジンをチューニングして搭載した、尖った性能のモデルが多い。
「ところで、レイは何しに来たんだ?」
「な、何って」
どういう意味だよ。
「デートか?」
「うん!」
「エルマ!?」
待て待て待て待て。
どうしたんだエルマ、今まで全くそんな話してなかっただろ。というかウラク、お前もお前だ。なんでわざわざそんなこと聞いた。そもそもフェスティバル来るのに理由が必要か。車見たかったからでいいじゃん。十分じゃん。
「おー、そうか。じゃあごゆっくり楽しめよ、お二人さん。午後の四迅決定戦でまた会おうぜ」
そう言ってウラクはどこかへ歩いて行った。
言いたいことは山ほどあったが、追いかけるには人が多すぎる。
「え……これ、デートなの?」
「うん。違うの?」
「……なんかそう言われてみれば、そんな気もするな」
「でしょ?」
どこかモヤモヤした違和感となぜかは分からないが照れくさい気持ちに、俺は置き去りにされたような感情になった。
違う。俺にはもっと重要なことがあったはずだ。
そう、午後にはフェスティバルの名物である、四迅決定戦が行われる。
ウラクの変なテンションに惑わされている場合ではない。
いや、これは惑わされたというのか?




