83.年に一度のお祭り騒ぎ
*土曜日*
「忘れ物ないね?」
「大丈夫!」
せっかく外した助手席を再び取り付けてエルマを乗せ、エアロパーツのおかげで今までとは明らかに異なるオーラを放つフェアレディZがゆるやかに大通りへ出た。
シビくんは留守番だ。致し方ない。
調整を終えたZの感触を確かめながら、俺は朝日が射す高架道路をのんびり走らせている。
エンジンパワーは実測値529馬力。安全マージンをかなり削った分、多少の不安は残る。
それとは別に、俺にはもう一つ引っかかる点があった。
例の“災いのウェットレース”絡みだ。
もう一度整理してみよう。
5年ほど前の豪雨のレースで、トップを走っていたアイギス・イルハッシュという名のレーサーがスピン。そこから多重クラッシュが発生し、レースは赤旗中断になった。
その後、アイギスともう一人のレーサーが失踪。
時を同じくして、主催側スポンサーの自動車メーカーがPRのためにサーキットへ持ち込んだ試作車も姿を消した。
失踪したもう一人のレーサーと同じロータリー使いにして、唯一無二の親友だったというファイン・オリエンス。彼女もまた新人としてウェットレースに出場していたが、二人の後を追うように引退した。
そして彼女は、『もう二度と雨の日は走らない』と固く誓った。
今俺の手元にあるのは、アイギスがクラッシュしたとき左手首を負傷したという金属片。
ファインから渡されたものだ。
ぐちゃぐちゃしてきた俺の思考を、涼しい山の風が遮った。
眼前に広がるのは、走り屋にとって母なる大地にも等しいゲメント山。(理由は不明だが)法律上高架道路であるために速度制限がない唯一の峠。
道幅は狭く、路面は上下にうねり、起伏と木々が視界を塞いでいて見通しが悪い道路。
完璧だ。
「うわぁ……山ってこんなに大きくて、広いんだね」
「そういえば、エルマはここ初めてか」
「うん」
高架道路を降りると、もうすでに数えきれないほどのスポーツカーとバイク、それから荷台にそれらを積んだトラックなどが峠へ向かっていた。案内に従って山道を登る。
ゲメント山は、雪が降るシーズンにはスキー場としても人気だ。今は使われていないゲレンデの麓にあるログハウスを中心とした広大な芝生の広場が、フェスティバルの会場となる。
30km/hでさえ気を抜いたら滑り落ちそうな道を、辿っていくこと10分と少し。
オフィシャルにチケットを渡してゲートをくぐると、目指していた楽園は確かにそこにあった。
フェスティバル会場に入ってまず目に入ったのは、ログハウスの庭で眩い存在感を放っているオブジェ。
何台かの実車を使った真っ白の巨大なアートは、今年も祭典が始まることを高らかに宣言している。
メイン会場となる広場を取り囲むようにして各自動車メーカー・ショップのブースがあり、空いているスペースには個人出展の車や売店、そして大勢の参加客でごった返していた。
「結構、人集まってるんだな。まだ開場して間もないのに」
俺は駐車スペースを探してZをゆっくり走らせながら呟いた。
年々規模が大きくなっていくこのフェスティバルは、毎年世界中から注目される。
会場にはおそらくメディア関係者と思われる人々もちらほら。
「すごい……あれ、30年ぐらい前のグループTマシンじゃない!? あっちにラリーカーもある……! うそ、あれって――――!?」
エルマは数々のレア車に圧倒されて息を呑みながら、Zの窓から顔を出してあちこち見回していた。
無理もないか。実際ここに置いてあるのは、コレクターたちが家一つ買えるほどの大金を投げ打ってでも欲しがるような車ばかりだ。
そういえばオークションもあるんだっけ。
「ここに停めるか。赤いZは結構目立つし、場所が分からなくなるようなこともないだろ」
「りょうかーい」
芝生に車を停め、とりあえず飲み物でも――――
「なあ、これクラス3の優勝マシンじゃねえか!?」
「マジで!? 本物かよ……! やっぱ生で見ると迫力が違うな!」
と、俺は声がした方を振り返る。盲点だった。
のんびり歩いて見て回ろうとでも思っていたが、よくよく考えれば俺は全国チャンピオンだ。
参加者の間に垣根がないから有名ドライバーと気軽に交流を図れる――――というこのフェスティバルの醍醐味だが、俺までそっち側になるとは思いもよらなかった。
「エルマ、どうする?」
「うーん……とりあえずファンサービスとして、ボンネットぐらい開けていけば?」
「そうだね」
俺はタイミングを見計らってZのドアを開き、ハンドルの右下にあるレバーを引っ張って即座に正面へと回った。
まだ熱々のエンジンに触れないよう気を付けながら、ボンネットを開ける。
支えとなるステーを起こしてボンネットの裏に引っ掛ければ、あとはこのまま放置しても自由にZのエンジンが見れるだろう。
正直言って俺はフェアレディZのエンジンを晒すことに需要も何も感じないが、(存在するかどうかは分からない)俺のファンがもし近くを訪れたときにでもゆっくり覗いてくれればいい。
「じゃあ、改めて」
「出発!」
俺とエルマはZを停めた駐車スペースをそそくさと後にした。
会場全体を見回し、まず目に入った近くの売店に立ち寄る。
そこがどうにも奇妙な店で、帽子をかぶった髭の濃い男性がケミカル類と飲み物を売っていた。
「らっしゃい。注文は?」
看板に書かれているメニューを一通り読む。
「モバイルエースの2番と、クリーチャーを1缶」
「私はオータムスムージーで」
「はいよ」
俺が買ったモバイルエースというのは、この世界で最もメジャーなエンジンオイルの一つだ。
スポンサーのみならず、全世界の様々なレース活動に深く携わっている。
そしてクリーチャーは、ウラクが最近ハマっているエナジードリンク。
この前勧められて飲んだら案外美味しかった。
地図を見て、とりあえず中心となるログハウスを目指しながら歩いている。
「エルマはスムージー買ったんだ? いいね」
「でしょ? 見た目もかわいい!」
クリーチャーの缶を開けて飲む。たちまち炭酸が俺の喉を無数の針で刺す。
「ねぇ、一口あげるから一口ちょうだい?」
「いいよ」
エルマが頼んだオータムスムージーは、季節の果物を粗めにミキサーにかけてデコレーションした期間限定のドリンクらしい。
たしかに秋を感じる優しい香りだ。
「うーん……これ、開けづらいな……」
「えっ?」
開けづらい?
目を離した隙に、俺の左手からモバイルエースの缶が消えていた。
「――――!? それ、オイル!」
「え? ……あっ!」
エルマは慌ててオイルを俺に返し、ゆっくりとクリーチャーを取った。
本当に、危なかった。
「間に合ってよかった……クーラント液ならともかく、エンジンオイルなんて飲んだら絶対に無事じゃ済まないだろ」
「ごめん! うぅ、炭酸きっつ」
どうして俺の周りでは誤飲事故が起こるのだろうか。
まあ今回はオイル缶のデザインとエナジードリンクのデザインがたまたま似通ったものだったから、理解はできるが。せめてもう少し確認しろと。
ともかく改めて地図を広げ、会場図を把握する。
「ふーん、新型スペランザのレーシングコンセプト……」
「なにそれ!? 見たい!」
「じゃあ行こうか」
ハイテンションで主導権を握るエルマの希望に沿って、ブースを目指し歩いた。
「すっごい……かっこいい……!」
「ガッチガチのレーシングカーだな……」
現行型スペランザの生産終了が宣告されてから、しばらく経った現在。
レーシングカーとして蘇った新型スペランザのコンセプトモデルは世界初公開らしい。
ありがたいことに、展示スペースの周りには解説を記したプレートが配置されていた。
「デザインはキープコンセプト、かつ近代的って感じか。ボディー素材はカーボン……うわ、内装もレース仕様だ。さすが、メーカーの本気」
「おやおやァ、やっぱり来てたか。久しぶりィ」
振り返ると、首からカメラを提げたガズルが立っていた。
ガズル・レイザー。直線番長の黒いスペランザ2Gを操る彼もまた、新型スペランザをチェックしに来たのだろう。
「誰?」
「そっか、エルマは知らないのか。首都高で1000馬力のスペランザに乗ってる走り屋」
「せっ……!? 本当?」
「本当さ。まあ今日はさすがに峠だし、700まで抑えたけどなァ」
それでも700あるあたり、本当にどうかしてる。
「おっとォ、ファインとの待ち合わせに遅れちまう。そろそろ行かないと」
と言ってそそくさと立ち去ろうとするガズル。
「え、知り合いだったんですか? というか一緒に来てるんですか」
「ああ。今日は晴れててよかったよ。じゃあなァ」
行きたい場所が尽きないエルマに引っ張られていた俺は、ふと目に入ったマシンが気になり足を止めた。
「あれ、このマシンって……」
「どうしたのレイ? イライザ350だけど……あっ!」
そう、ウラクが乗っているイライザだ。もちろんそれとは別の個体だろうが。
深い緑のイライザを駆るあいつとは違って、目の前のマシンは吸い込まれそうな艶のあるブラックに上品な金色のストライプがデザインされている。
「こういう感じで仕上げるのもありなんだな……かっこいい」
思わず口から漏れた感想に、車の主が反応した。
「へっ、そうだろ? 性能も格段に上がってるんだぜ」




