80.サーキットの剣劇
*決勝*
『感度良好、データは問題なく取れてるよ。…………レイ?』
「ああ、ごめん」
俺はさっきからずっと作戦を考えている。
20周もの長丁場で争われる最終戦、なんとしてでも表彰台の頂点を勝ち取りたい。
先のことを見すぎるのは好きじゃないからあえて話題を避けていたが、このクラス3全国選手権でシリーズチャンピオンになれば、クラス2のレースに出場できる資格が与えられる。
この世界のレースを統括しているWRAに一目置かれるのだ。
――――捕らぬ狸の皮算用はこの程度にしておいて、状況をもう一度確認しよう。
予選1位、つまりは晴れてポールポジションを獲得したのは、落ち着いた銀色のスペランザ2G。
地方戦南東ブロックでは敵なしだったらしい。
どっかの真っ黒1000馬力直線番長に比べれば常識的なパワーだが、高い次元でまとめられたトータルバランスは“クラス3最強”の称号を手にすることも容易いだろう。
予選2位、ウラク。
説明するまでもない。首都高で何度も競り合ったから、戦い方は心得ている。
深い緑を身に纏ったティアルタ共和国製超軽量スポーツカーのイライザ350にも、そろそろ敗北を受け入れてもらおう。
予選3位、青い51型シノレSpec-R。
今までの地方戦で俺と接戦を繰り広げた、例のシノレだ。
彼のドライビングテクニックは脳裏にはっきり刻まれている。
予選4位が俺だ。
自分の中では完璧な走りだと確信していたが、現実はそう甘くないらしい。
とはいえ、まだ悲観するのは早いだろう。
他に警戒すべき相手といえば、予選7位のリュードあたりか?
エンジン載せ替えを施されたルクスは、もともとの性格である低重心・コーナリングマシンという強みとリュード自身によるタイヤに負荷をかけないドライビングも相まって、素晴らしいパフォーマンスを発揮するだろう。
時間が来た。
聴覚を完全にシャットアウトして、目の前で光るシグナルに全神経を集中させる。
5、4、3――――
アクセルを煽る。まるで両足の付け根から先までオイルが流れているようだ。
2、1――――
一瞬の静寂を引き裂く爆音がベルディサーキットに鳴り響き、息をつく間もなくレースが始まった。
トップに銀のスペランザ、2位はウラクだ。
俺はスタートで若干失敗した青いシノレと横並びのまま、前の2台を追って1コーナーへ飛び込んでいく。
ここの1コーナー・2コーナーはイン側から進入できる奇数列が圧倒的に有利。
アウトでだらだら並走していても仕方がない、ここは一旦引き下がろう。
右足の力を抜きアクセルをほんの少し戻して、シノレの斜め左後ろをぴったり抑えながら回っていく。
遠心力で横Gを感じる――――
キュッ!
とその時、シノレがグリップを失った。
さっきまでイン側の縁石を抑えていたシノレのタイヤは、情けなくアウト側へ膨らんでいる。
「行ける」
すぐさま俺はシフトレバーに置いていた左手を離し、両手でステアリングを握りなおしてアクセル全開。
がら空きとなった2コーナーのインを掠めて直線的にフル加速した。
瞬く間にバックミラーから遠ざかっていくが、油断する訳にはいかない。
過去の経験上、この青いシノレは終盤まで安定したペースで走り続ける。
とはいえ今は前だけ見ていてば問題ないだろう。
トップのスペランザはもう既に2位のウラクとじわじわ差を広げている。
もしかしたら1秒ぐらい離されているのでは?
おいおいウラク――――いや、あいつにはあいつなりの作戦があるんだと信じたい。
「俺も負けてはいられないな……」
1周目のエルンストカーブを走り抜けながら、俺はそう呟いた。
*ウラク*
あぁ、最悪だ。
もう12周目が終わる。レースは折り返し地点すら通り過ぎたってのに、トップを走ってるスペランザとの差は一向に縮まらない。
それどころか後ろからせっついてくるレイのZに神経を削がれて――――認めたくはねえが、今のポジションである2位を死守するのが精一杯だ。
くっそ……レイが気付いてるのかどうかは知らないが、今4位を走ってる青の51シノレがさっきから猛烈に追い上げてる。
今はまだかなり遠いが、俺らがいつまでもバトルしてたらここまで追いつかれるのも時間の問題だ。
むしろあいつはそれを狙って時間稼ぎしてるのか?
さすがにそれはねえか。
Zと比べて圧倒的に軽い俺のイライザ350は、コーナーが連続する右回りの前半で有利に出られる。
だが立体交差をくぐれば、たちまち逆転だ。
直進安定性とパワーで勝ってるZに対して、あの長いストレートじゃ勝負のしようがない。
左回りの後半さえ抑えてれば、絶対抜かれねえはずなのによ……!
「なっ!?」
何の疑いもなく2コーナーを脱出しようとした矢先、いつの間にかZがイン側にその車体をねじ込んでいた。
横並びのまま立ち上がる。この後の連続コーナーでどうにかして抑えねえと、終わりだ。
気持ち悪ぃほどの加速力を持つZは、ほんのわずかなストレートで俺のイライザと頭一つ差をつけた。
だがまだ間に合う。
最初の左コーナー、縁石の端っこまでタイヤを乗せてインを守る。
アウトを並走するしかないZは目論見通り失速した。
次の小さい右は流れるように脱出し、左。
インとアウトはそのまま、再び限界までこらえた。
レイはなんでそんな重っ苦しいマシンで、スムーズに曲がれるんだ?
あいつのバケモノじみたテクニックを改めて思い知る。
右コーナーをアウトに流しながら、路面のうねるセクションを抜けた。
Zはまだ俺の右で重厚感のある排気音を響かせてる。
この先は全開で曲がれる緩い左コーナーだ。
加速で負ける。
イライザ350のターボにはどうしてもパワーがドカンと出るまでラグが生まれちまう。Zのスーパーチャージャーには存在しない弱点だ。
このままじゃ、次のエルンストカーブでインを取られる――――と思った頃。
(シュキュルルル……)
「ちっ、もう来やがったのかよ!」
遠く後ろで走っているはずの青い51シノレ。
そいつのバックタービン音が今、俺にはハッキリと聞こえた。
音からして1秒ぐらい……駄目だ、しっかり聞き取れ。
――――1.24秒後方だ。
1位を追うばかりか、後ろに追いつかれる始末。
この状況をなんとか打破しねえと、俺に帰る場所はない。
こっちはもう背水の陣だってのに……。
エルンストカーブでレイにインを取られた俺は、なおも並走する。
こんなところで終わってたまるかよ。
Zがアウトに膨らんでくるが、そうはさせねえ。
まだ俺はここにいる。ここを走ってるんだ。
コーナーを脱出して、立体交差の下をイライザは加速しながら主張し続ける。
それを遮るようなライン取りで、俺を後方へ置き去りにしようとするZ。
両手の手のひらに微かな振動が伝わった。
イライザがバランスを崩しかけ、俺は苦い思いをしながら姿勢を戻して加速する。
俺がアウト、レイがインのまま短いストレートを通り抜けた。
この先のヘアピンで――――
ウウウゥゥゥン、ブァァアアアアン!!!!
「クソッ、時間切れか」
インの縁石を、青いボディーが切り裂いた。
紛れもなく51型シノレだ。正直、さっきのタイムロスがそこまで響くとは思ってなかった。俺のミスだ。
なすすべもないままポジションを明け渡す以外にできることはねえ。
どうすりゃいいんだ?
1位は遥か彼方、2位のレイも取り逃がした。3位までひっくり返されたら――――
考えるのは後だ。
抜いてったシノレの後ろにピッタリくっついてスリップストリームを狙う。
こっちも向こうもターボ。ならエンジンのデカさ、排気量で勝ってる俺の方が優位に立てるはずだぜ。
ヘアピンでのタイムロスがみるみるうちに縮まった。
長いストレートの折り返し、フォークカーブに差し掛かる。
正解がいくつもあるこのコーナーで、俺が選ぶのはV字だ。
ギリギリまでブレーキングを我慢し奥まで突っ込んだら、コンパクトに向きを変えてまたアクセル全開。
上手く決まった。
ここから1.2kmのバックストレートで、できる限り前との距離を縮める。
左にスッと曲がって、この先はシケイン。
最高速から一気に1速までスピードを落とすシケインは絶好の勝負所。
ここで抜かずにどこで抜くんだって話だ。
イライザを右に振ってシノレの横に並びかけたとき、俺の頭に一つの可能性が生まれた。
ここで抜くためにブレーキングを遅らせ、順位を守るためにどちらが先に減速するかの度胸試しになったら――――
いや、そんなことはありえねえか。
シケインを真っ直ぐ見据えて、俺の右足に力が入る。
確実に抜くためにはまだ距離が必要だ。
まだ全開。もう少し全開。
左を見ると、シノレも減速する気配は感じられなかった。
簡単にポジションを譲ってくれるとは最初から思ってねえよ。
まだ耐える。
ここだ。
俺の右足はワープしたようにブレーキペダルを捉え、一瞬の躊躇いもなく蹴り飛ばすように減速した。
視界の左端を青い閃光が掠める。
「な、無理だろ!?」
俺よりわずかに遅くブレーキングしたシノレを待ち受けていたのは、コース外に茂った人工芝。
そして、その奥に積まれたタイヤバリアの壁だ。
バランスを崩して白煙を上げながら、シノレは力なくコース外を滑っていく。
低速域だったからか、衝突音は聞こえなかった。
ただブレーキランプだけが責めるように俺を睨んでいた。




