70.俺に分かることは
*
「……えっ?」
俺は目を覚ました。
いつものガレージ、部屋のベッドの上。
何もおかしいところはない。
一つあるとすれば――――夢がありえないほどに鮮明で、かつ昨日の記憶がないことぐらいだ。
確かその夢は、全国選手権の第3戦だった。
俺はZに乗っていて、もうすぐスタートで……そこで目を覚ました。
あれは本当に夢だったのか?
レース自体の記憶はないから、おそらくそうなのだろうが。
あたりを見回す。
シビくんはもう起きているのだろう。エルマは布団をかぶっている。
とりあえずエルマを起こす。
「おーい、起きてる?」
「う……おはよう、レイ。風邪は治ったみたい」
「風邪?」
エルマは風邪なんて――――いや、夢の中では風邪で寝込んでいた。
だから第3戦ではシビくんが代わりにサーキットへ来ていたはずだ。
すると、あれは夢ではないのか……?
「昨日はレース行けなくてごめんね。お疲れ様」
「いや、いいんだ。ありがとう」
訳が分からないまま、階段を降りる。
おっちゃんが下で作業していた。
「おはよう……」
「ああ、おはよう。お前さん、どこか体調は悪くないか?」
「俺? 特になにもないけど……」
「昨日何があったか、言えるか?」
言われて心臓が止まりかける。
昨日――――昨日きのう昨日。何があった? なにもなかった?
「言え……ない……」
「やっぱりか。簡潔に説明するぞ。昨日は第3戦だった。そこでお前さんは魔法を使えなくするために薬を飲んだ。その副作用で、前後の記憶が錯乱してるんだろう」
昨日はレースだったのか?
「結果は!?」
「4位。予選12位であることを考えれば、上々だろう」
4位か……
「とにかく、今日はどこか出かけてきたらどうだ。頭の中も多少はすっきりするかもな」
「じゃあそうしてみる。ありがとう」
と言ったのもつかの間、ガレージ前の道路に突如として――――
フォオアアアアアアアアアアンンンンンン…………
――――爆音が響いた。
「う……えっ?」
午前の青空から覗く太陽が、ブランドの象徴である澄んだ赤い色のボディーを照らす。
誰が見ても一目瞭然の、紛れもない純然たるスーパーカー。
フェンリル――――ん?
確かにフェンリル社の車であることは間違いない。
エンブレムと音がそれを物語っている。
しかし俺の目から送られてきた情報と、俺の脳内にあるデータベースが一致しない。
この車種を、俺は知らない。
車の中から降りてきたのは、フィーノとウラクだった。
「いたいた。まあ細かいことはいいから、乗れよ」
ウラクは持ち前の強引さで、呆然とする俺を車の後席に押し込んだ。
「え、この車は? フェンリルの何?」
やっとのことで俺が質問する。
ウラクは助手席、フィーノが運転席に乗って車は走り出した。
「あー、フィーノ、説明よろしく頼むぜ」
「うん。えっと、夏の休暇をもらった僕はせっかくだし帰省したが、いっそのこと任されてた新車開発テストもやっちゃおうと思ってこの車を持ってきた。一石二鳥。分かってくれたかな?」
いや全然わからない。
「てかそもそもフィーノって今何してんの?」
「運転」
「違う、そうじゃなくて……どこか就職したの?」
「僕はフェンリルのテストドライバーとして働いてるよ」
「え、すごいじゃん」
自動車メーカー直属のテストドライバーは、発表前の新車開発に手を貸すのが主な仕事だ。
ましてや超名門スーパーカー製造社であるフェンリル社のテストドライバーともなれば、相当なレベルのテクニックが要求されるに違いない。
「つまりこの車は、まだ世に出てないプロトタイプってこと?」
「まあ、そういうことだね」
だいたい分かった。
にしても、フェンリルか。
誰もが知っている高級スーパーカーの代名詞。創業以来様々なカテゴリーのレースに参戦し、その名を広く知らしめた。
まさかこの俺がフェンリルに乗る日が来るなんて、夢のようだ。
「それで、フィーノのことはだいたい分かったけど。ウラクは?」
「知ってんだろ。お前と同じように全国選手権で頑張ってるよ」
「いや、ここに来る前は何してたのかなって」
「実を言うと、俺もついさっき待ち合わせして拾ってもらったんだ。昨日の夜はビックリしたぜ、急に『明日帰国する』なんて言い出すもんだからよ」
「ふーん……帰国って、フィーノはまさかティアルタ共和国にいたの?」
「当たり前さ。フェンリルの本社がティアルタにあるんだから」
「いろいろ忙しそうだな……」
とりあえず近況報告が終わったところで。
「そういえばウラク、誕生日おめでとう」
「おう、ありがとよ」
ウラクの誕生日が7月17日であったことを思い出した。
フィーノは……たしか2月19日だったはず。
「にしても、リアシート狭いな……」
ウラクによって半ば強制的に後席へ押し込まれた俺。
2ドアのクーペなんだから当たり前と言えば当たり前だが、狭い。
「しょうがないな。じゃあ雰囲気だけでも、僕が広くしてあげるよ」
そう言うとフィーノは、ボタンを操作した。
「えっ……えっ?」
およそ14秒経ち、俺は何が起きたのか理解する。
頭上に広がる夏の青空。
「これカブリオレだったのかよ」
カブリオレ、いわゆるオープンカーのことだ。
帆を閉じた状態でも特に違和感なかったから気が付かなかった。
確かに開放感のおかげで広くなったような気がしないでもない。
それよりも気になるのが、エンジンだ。
こんなスーパーカーに乗る機会はそうそうないし、喜びを知り尽くしてから味わいたい。
「なあフィーノ、これってどんなエンジン積んでんの?」
「あー、俺も気になるな」
ウラクが賛同してくれた。
「せっかくだから、当ててみてよ」
ということでフィーノから挑戦状を叩きつけられた俺とウラクは、全感覚を総動員してエンジン形式とその性能を探り当てることになった。
まずは俺から。
フェンリル社に存在する既存車種のエンジンを流用していると考えることもできるが、わざわざここに持ってきてまでテストしているぐらいだからその可能性は捨てるとしよう。
まずエンジン音。
ツインターボは間違いない。
フェンリルの伝統といえばV型12気筒の自然吸気だが、ターボの音がしているということは少なくとも本気仕様ではないのだろう。狭いながら後席もあるし、高級感と実用性に重きを置いた車種なのは間違いない。
V12ツインターボはさすがに違う。
自然吸気で今までやってきたエンジンに、さらにパワーを上げるツインターボなんか搭載したら、この世の終わりみたいなバケモノが生まれることは想像に難くない。
すると4気筒減らしてV8ツインターボまで絞れた。
あとはエンジンの大きさにあたる排気量と、そこから導き出されるパワーだけだ。
排気量は……だいたい4リッターちょっとか。
あまり重苦しい音はしないし、かといってこれより減らすと馬力が賄えない。
「さあそろそろ聞こうかな。まずレイ、どうぞ」
時間切れか。
「4.2リッターV8ツインターボ、550馬力。自信ないけど」
「なるほどなるほど。続いてウラク、どうぞ」
「ん、俺か。3.9リッターV8ツインターボ、600馬力。トルクは77.5キロ、燃費は頑張ってだいたいリッター9.5キロぐらいか?」
「めっちゃ探るなぁ」
思わずそう呟いてしまった。
当てずっぽうにもほどがあるだろ。
「……大正解」
「「えっ!?」」
「え、ウラクなんで知ってるの? まさか企業スパイ? 情報漏れた? 僕クビかなぁどうしよう」
フィーノが信じられないといった口調で言う。
大正解って……まさか、全部?
「いや知ってるも何もねえよ、音で探っただけだ。さすがに全部当たるとは思ってなかったぜ」
音、か。
昔から耳が良いのは知ってたが、さすがにここまで来るともはや不気味だ。
なんでそこまで分かるのか、不思議で仕方ない。
「それで、話変わるけどさ」
と、フィーノ。
いや急すぎる。もうちょっとウラクについてツッコむべき点があっただろ。
「二人は“災いのウェットレース”って知ってる?」




