66.ミスよりリカバリー
*数週間後*
『予選と比べて、ちょっとサスペンションを固くしたからね。慎重に攻めてよ』
「分かった。どのぐらい固くしたの?」
『んーっと……だいたい2kg/mmぐらいかな』
「了解」
無線を切り、目の前に集中する。
ここはクラス3全国選手権第2戦の舞台、ヴェルバーノサーキット。
個性豊かなコーナーが数多く存在する、全長約6kmのロングサーキットだ。
その決勝レースが、まもなく始まろうとしている。
今回は予選で3位につけた。
スタートが上手くいけばトップへ躍り出ることも可能だろう。
そうしたら後は、バックミラーに気を使いながら逃げ続ければいい。
よし、作戦は完璧だ。
問題は俺が成功させられるかどうか。
……成功させるしかない。
縦2×横5に並んだシグナルが赤く点灯した。
アクセルを吹かして、エンジンに熱を入れる。
視界左端の三連メーターを見る――――油温・水温、共に問題なし。
ステアリングを握りなおす。
左足が震えそうだ。
エンジン音から安心感を得ようと必死になっているうちに――――
全てのシグナルが緑に変わった。
踏めっ!
ヴォォァァァアアアァァァン!!!!!
(キュキュキュキュルルルルルルルル!!!)
「あぁ、くっそ……!」
アクセルを開けすぎた。
リアタイヤのホイールスピンが止まず、いつまでも後ろから鬱陶しいスキール音が聞こえる。
少し貪欲すぎたか……まあ、今更悔やんでも仕方がない。
大事なのはミスをしない技術じゃない、ミスをリカバリーする技術だ。
俺は右足を可能な限り速く痙攣させた。
バタバタと忙しくアクセルペダルを小刻みに蹴りながら踏んでいく。
これはずいぶん昔、伝説のF1ドライバーが編み出したテクニックだ。
前世の俺も憧れて必死に練習したな。
そもそも「彼にしかできない」と言われていたテクニックを俺が模倣したところで、完成度は本家の足元にも及ばないが――――
ホイールスピンが止み、やっと駆動力を取り戻したZは前へ物凄い勢いで飛び出していった。
短いホームストレートが終わるとすぐに、左から右へと続くシケインが待っている。
ここで少なくとも1台は抜く……!
「入った!」
前の2台がばらけた瞬間、開いた隙間に迷わず飛び込んだ。
どうにかコース内に踏みとどまり、インを塞ぐ。
現在2位。
そのまま抑えながらシケインを脱出すればひとまず後ろは大丈夫だ。
抜かれる心配より抜けない心配を。
再び短いストレートを挟んで、中速コーナー。
ここは曲率がだんだんきつくなってくるので、調子に乗ってると痛い目を見る。
必要以上なほどスピードを落とし、しっかり回り切って加速。
後ろの車と少し距離が離れた。
ここからはアップダウンが激しい低速セクション。
「うわっ!?」
予選より固いサスペンションは衝撃をあまり吸収せず、下から突き上げてくるような衝撃が直に来る。
乗り心地の悪化は覚悟していたから気にしないが。
そうして加速していくと、バックストレートが伸びる。
バンクがついたヘアピンへと続く、かなり急な長い下り坂。
この先でもう1台も仕留める……!
アクセルを早くから踏んでストレートスピードを伸ばす。
前の車を追うことに全神経を集中させている俺の耳には、スーパーチャージャーが空気を吸う音まで聴こえてくる――――
真後ろにピッタリ張り付く。
スリップストリームによって空気抵抗が減り、さらにスピードが上がる。
もっとだ、もっと。
ここで可能な限りスピードを稼ぐんだ!
まだ足りない……!
まだ……
「足りない……!」
痛い。
「もっとスピードが……必要なんだ!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
「う……ぐっ……ま、だ……あっ……足、りない……!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
全身に何千本もの針を刺されている。
「もっと……!!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
全身の神経が細かく切り刻まれている。
「……抜、け……る!」
ヘアピン。
痛みで感覚がとっくに消えた右足を引きずり、ブレーキペダルにぶつける。
「いぃ……いった……い……!!」
クラッチ――――駄目だ、ヒール&トウができない!
「な……!?」
エンジンブレーキが効かず、車はスピードを保ったままだ。
「……停まれ……っ!」
ウオオオオォォォォォンン――――
ブゥンッ…………
「はっ!?」
突如として力を失ったZは、そのままスピンしてコース外の砂地へ突っ込んでいった。
「はぁ……はぁ……何が……?」
ようやくはっきりした視界に映るタコメーター……針が0を指している――――
「エンスト……? 駄目だ!」
Zがスピンした傍らを通り過ぎる何台ものマシンには目も向けず、俺は慌ててエンジンの再始動を試みる。
シュイィィンキュッキュッキュッキュゥン…………
「なんで!?」
シュイィィンキュッキュッキュッキュゥン…………
「頼む……!」
シュイィィンキュッキュッキュッキュゥン…………
「嫌だ……嫌だ!!」
エンジンが掛からない。
路肩にスピンした時、どこか擦ったのか?
あぁ、もう……嫌だ。
間一髪壁に当たらなかったのは幸運だが、車体には何かしらのダメージが入っているに違いない。
エンストによってエンジンやギアボックスに負荷がかかった可能性もある。
もう嫌なんだ。
俺はZに約束した。もう過ちは繰り返さないと。
わざわざこんな世界に来てまで、俺は一体何をやってるんだ?
俺にできることと言ったら、Zと一緒に走ることしかできない。
だったらせめてそれだけでも。
俺はZと、どこまでも走り続けるしかないんだ――――
シュイィィンキュッキュッキュッ、ブォォォオオオオオオオォォォン!!!




