60.白煙に見た慢心創痍
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「挑戦、受けて立つ!」
右から仕掛けてきた車と横並びのまま、長いストレートを駆け抜ける。
この先のキツい1コーナーがレース本番でも格好の抜きどころとなるのは間違いない。
さっきまで真横に並んでいた車が、ジリジリと俺の斜め前に出てきている。
おそらくはスリップストリームを利用していたのだろう。俺の真後ろに隠れていれば空気抵抗が抑えられて最高速度が伸びる。
視界の奥がコーナー手前150mの看板を捉えた。
ああ、そんなものは気にしない。
隣をチラチラ伺いながら、ブレーキのタイミングを探る。
この限界領域で俺が頼れるのは己の研ぎ澄まされた感覚だけだ。
最高段の6速に入っていてもなお、スピードメーターの針はとどまることを知らない。
260キロ……270キロ……275――
「ここっ!」
あと0.1秒ズレたら確実に破綻してしまう、その寸前で全体重をブレーキペダルに押し付けた。
瞬間、まるで俺だけが止まった世界に取り残されたような景色を見る。
俺だけが。
インから刺そうと横に並んでいた車は、減速する俺を置き去りにして前方へ吹っ飛んでいく。
「間に合わな――!?」
そしてそのまま1コーナーアウト側の路肩に敷かれている砂地の餌食となった。
小石をバラバラと巻き上げ、傷だらけのバンパーを引きずりながら停車する姿を横目で見ながら通り過ぎる。
『あーあー、やっちゃったね。ちなみにさっきのタイムは1分51秒1』
「まだ全然詰めれるな」
俺はエルマの無線に返答し、きっちりインを回って1コーナーから抜けていった。
さっきの車、大丈夫か?
かなり速度が乗っていたが壁にヒットはしていなかったようだ。
しかしバンパーはボロボロ、もしかしたら車体底面のマフラーやらオイルパンやらに深刻なダメージが入っていたかもいれない。
はぁ……落ち着け。
きっと大丈夫だ。
そう思って気持ちを切り替えるぐらいしか俺にできることはない。
あの車が近いうちにまたサーキットを走れるように、と祈るばかりだ。
「今のタイムはどう?」
『んーっと……1分50秒8。あれ? 今、車が……』
「どうした?」
『1台ピットから出た』
目を細めて遠くに意識を向けると、確かに今ピットから出てきた車がいる。
艶のある真っ黒いボディーに太陽が反射していて、形を持った風のような流線形がより美しく見えた。
「あ、あれか」
『車種はスペランザかな?』
「間違いない。スペランザ2Gだ」
スペランザ。この国でも一、二を争うほど人気が高いスポーツカー。
3リッター直6のエンジンには当然のごとくツインターボが搭載されていて、純正値は280馬力。
だがそのポテンシャルは高く、軽いチューニングだけで400馬力越えはザラだという。
相手にとって不足なしと見た。
黒のスペランザ2Gに追いつこうと、Zのタイヤを限界まで酷使して前へ前へ進み続ける。
どうやら向こうもまだ全開アタックではなかったらしく、半周ほど行ったところで再び視界に捉えた。
「そろそろ追いつけるか」
『メインストレートで抜けるかもよ!』
シケイン、そして左右にうねる登りセクションで一気に距離を詰めた。
最終コーナーを回るころにはもはや目と鼻の先。
「さあ、ここからが勝負だ」
何もかもが吸い込まれていきそうな長い長いホームストレートを前にして、俺はアクセルからZのエンジンパワーを全て解き放つ。
「行っけぇ!!」
一瞬だった。
たった一瞬だけ、俺は勝ちを確信した。
俺のZが持つスーパーチャージャーからなる加速力、それに溺れて天狗になっていたのかもしれない。
あるいは、スペランザのドライバーがたまたまアクセルを緩めていたのかもしれない。
俺はたったの一瞬だけ、勝利を喜んだ。
グゥウォォォォォオオオオオオンンン!!!!! (キュィイイイイイイン!!)
「――――――――!?」
漆黒のスペランザ2Gは、まるで神話か御伽話に登場する怪物のような咆哮を上げ、タイヤから白煙をもうもうと出しつつ加速していった。
「嘘、だろ……」
信じられない光景を前にして、俺はただただ否定することしかできない。
白煙が収まる頃にはスペランザの姿は消えていた。
影になったのか、はたまた空へ飛んでいったのか?
いや、違う。
俺の目が、遠く離れたストレートの彼方を疾走しているスペランザ2Gを捉えた。
トリックか何かでも使ったのかというぐらい、常識外れのスピードだった。
俺だってアクセル全開だ。
Zのパワーさえ無かったものにするほどの暴力的な加速。目に焼き付いて離れない。
「――――思い出した」
『えっ?』
俺は記憶の中を探って言葉を引っ張り出す。
「噂にすぎないけど『直線番長の黒いスペランザ』って聞いたことがある」
直線番長。それは直線を最速で走ることだけに全てを懸けたマシンの俗称。
あのスペランザ2Gこそが、噂の直線番長なのか……?
『そんな噂が……』
「降参。今の俺にはお手上げだ」
笑っちゃうぐらい惨めな負け方を味わって、俺はむしろ清々しい気分だった。




