42.暖気、温存、熱狂
「――――以上、解散」
ドライバーズミーティングが終わって、時刻は9時30分を少し過ぎたところ。
いよいよあと30分で予選が始まる。
といっても運転するのはリュードだが。
俺はガレージに走って戻った。
「二人ともおかえりー。準備万端だよ!」
リフトから降ろされた車には、車検のときに支給された新品タイヤが装着されていた。
ガレージの隅にはタイヤがもう1セット積んである。
「ガソリンは入れたか?」
「もちろん!」
よし、車はすぐにでも走れる状態だ。
あとはドライバー。
すでにヘルメットをかぶって準備しているリュードに、俺はできるだけリラックスできるように話しかけた。
「1周目はタイヤが滑ると思うけど、空気圧は高めにしてあるからすぐに熱が入ると思う。食いついてきたと思ったら全開だ。1分13秒台に入るか、3周したら戻ってこい。落ち着いていこう」
リュードは強く頷き、俺に「ありがとう」と返した。
「よし、エンジン暖気しよう」
朝は湿度や温度の変化が激しい。
万が一エンストでもしたら再始動しにくくなるリスクを抑えるために、今のうちにエンジンを吹かしてオイルを循環させておくべきだ。
シュンッ、ドロドロドロドロドロ……。
水平対向エンジン特有のアイドリングがガレージのなかに反響する。
良い音だ。
「5分前だ。ピットレーンに並べよう」
ゆっくりと進む3号車はガレージ3の枠内にきっちり収まって、スタートを今か今かと待ちわびている。
他のチームの車も続々とピットに並んだ。
全てのドライバーが、ピットの出口で点灯しているシグナルに集中しているようだ。
活気溢れるチーム3も、今ばかりは張り詰めた空気になっている。
その空気に押されかけている自分に気付き、たかが予選だと言い聞かせた。
が、それでも緊張感は消えない。
メカニックの二人は万一のトラブルに備えガレージ内で待機している。
エンジニアの姉弟はルーチェがヘッドセットをつけてリュードを見守り、弟のシャンテは引き締まった表情で備え付けられたモニターを凝視している。
もうすぐだ。
ピット出口のシグナルが、今――消えた。
ピットレーンに並ぶ10台の実習車が列を成して、一斉にコースへ散らばる。
予選開始。
我らが3号車は、全体のなかで真ん中ぐらいに位置している。
予選で大事なのは他車より前へ出ることではない。
タイムを出しやすい位置にいることだ。
果たしてリュードがそこでタイムを出せるのかは分からないが、俺には見守ることしかできない。
「抜かれても大丈夫ですよ。落ち着いてタイヤを温めてください」
ルーチェが無線でリュードに的確な指示を飛ばした。
今、全体の流れはちょうど半周をすぎたところ。
リュードの位置は……肉眼では見えない。
先頭集団が一周して、目の前を走り抜けていった。
2台、3台と次々にアタックラップへ入る。
リュードは前から数えて7台目だ。
「……分かりました。焦らないでくださいね」
エンジニアのルーチェが無線に応答するが、リュードの声はルーチェにしか聞こえないので会話の内容が分からない。
おそらく『この周から攻める』とかだろうか?
「先頭集団のタイム、だいたい1分13秒前半っす」
シャンテがモニターを見て伝えてくれた。
おそらく速いチームは12秒台に入れてくるだろう。
リュードがどこまでやってくれるかに尽きる。
そんな俺の思いに応えるが如く、3号車がホームストレートを走り抜けた。
「タイムは?」
思わず聞いてしまう。
「えっと、1分13秒860。いきなり13秒台来たっすね」
おお、思ったより速い。
こんなことなら13秒台出して戻ってこいなんて言わなきゃよかった。
「ルーチェ、まだピットに帰らなくていいって伝えてくれないか」
「ご心配なく。たった今、リュード君から『まだいけるからもっと走らせてくれ』って言われました」
「完璧だ」
だがタイヤは温存しなけらばならない。それが今日の作戦の大原則だ。
「多くとも、あと2周」
タイヤがいい感じに温まってくる頃だろうか?
空気圧が高めだから発熱は良いはずだが、熱劣化したらおしまいだ。
「っ!? トップタイムが12秒台突入……」
シャンテから情報が入る。
予想はしてたことだが、予選の上位争いは12秒台という世界で争われる異次元の戦いになりそうだ。
「何号車?」
「チーム1っす」
「やっぱり」
優勝候補と言われているチーム1はおそらく5年生全員にとって最大の脅威であろう。
さすが期待を裏切らないな、ウラク。
負けてられないというばかりのスピードで、3号車がラップを重ねる。
「1分13秒653、暫定6位」
なかなかいいタイムだ。
タイヤを考えると次でラストだろう。
1コーナーへ消えていった3号車が再び最終コーナーから現れるのを、じっくりと待つ。
「セクター1と2で自己ベスト更新、これはもしかしたら……」
シャンテからラッキーな情報だ。
期待に高鳴るチーム3へ、リュード操る3号車が視界の淵から姿を見せる。
スキール音のひとつもせずに自然なラインでコーナーを立ち上がり、流れる濁流のようにストレートを駆け抜けた。そのタイムは――
「1分13秒499っ、暫定4位!」
チーム3のガレージ内に、歓声を巻き起こした。
「やりましたね! 1分13秒4です!」
ルーチェが小刻みに拍手しながら、真っ先にリュードへ伝える。
「これは優勝間違いなしっすよ!」
シャンテが興奮して空を仰ぐ。
「おぉ!」「速い……!」
メカニックの二人も感嘆の声を漏らした。
チーム3が一体となり、予想もしていなかった好タイムを喜んでいる。
ピットへ帰ってきたリュードを、チームの熱狂が温かく迎えた。




