38.勘違いしないように
「あ、来た来た! おかえりー!」
ガレージが並ぶ実習場のピットレーンに着くと、奥の方からエルマの元気な声がした。
俺はセッティングによってどこかが変わったルクスに早く乗りたくてたまらず、ガレージに向かって走っていった。
暑い日差しを遮るガレージの中で、ルクスは誰かの運転を待ちわびているように停まっていた。
おそらくは俺の気持ちが高ぶっているせいだろう、ルクスのフロントフェイスはいつもよりグッと低く構えているように見え、まるで敵に向かって威嚇する肉食動物のように感じる。
「それじゃあ、いってらっしゃい」
エルマが俺にキーを渡してくれた。
「……事故らないでよ。私のセッティングに慣れなくてクラッシュなんかしないとは思うけど」
「わかってるよ。ありがとう」
温かい声掛けは嬉しかったが、ランスの思考がフィーノみたいな勘違いをしないように祈るばかりだ。
大丈夫だとは思うが。
俺はヘルメットとグローブを着用して、ルクスの運転席に座った。
左手の親指が押すボタンによって、エンジンに火が灯る。
どこのセッティングが変わってるかわからないので、多少の警戒心を抱きつつも俺はコースへ合流した。
加速しながら1コーナーを回り、その後に続く長い直線で慎重にアクセルを踏んでいく。
いつも通り、ルクスのエンジンは軽快なフィーリングで高回転まで吹け上がっていった。
2コーナー、減速。
ドンッと蹴りこむように強くブレーキングし、アウトからインへ大きく振って切り込む。
曲がっていく――あれ、ロールが控え目になってる?
車がコーナーを曲がるときは、遠心力で車体が外側に傾く。
これをロールと呼ぶが、そのロールが多少抑えられている気がする。
ロールすることでタイヤの接地感が薄くなってしまうから、速さを求めるならロールはしないほうがいい。
これはもしかして……?
俺はインについた後、アクセルをいつもより早く踏み込んでみる。
すると、ルクスは今までにない挙動で加速しながらコーナーを抜けていった。
やっぱり。
ロールしにくくなればコーナーを曲がる速度を高められる。
俺の予想は正解とみて間違いないだろう。
そのまま加速しながら考える。
どこをいじってロールしにくくしたのだろうか?
サスペンションまわりということは明らかだ。
というと、スタビライザーか。
スタビライザーは別名アンチロールバーとも呼ばれ、読んで字のごとくロールを抑えてくれる部品だ。
このスタビライザーの効きを強くした――と結論づけるのは、まだ早い。
もっとじっくり、車のどこが変わったか見極めよう。
3コーナーを曲がって、4コーナー。
ステアリングの切り返しに素早く反応してくれる。
速くなったコーナリングスピードに甘えすぎた。
さすがに減速が足りず、車はスキール音を響かせながら外へと膨らんでいく。
アウト側の縁石が広いので、そこに逃げればコースアウトは免れるはずだ。
縁石に乗った右側のタイヤから、ガツンという衝撃がステアリングを通して伝わってきた。
両手が少し痺れる。
やはりサスが変わったことは明らかだ。
縁石の衝撃をあまり吸収してくれないってことは、バネが硬くなったのか?
これならロールしにくくなったのも納得がいく。
そう確信したが、俺は勘違いしていることを次の5コーナーが教えてくれた。
減速、旋回。
ルクスが鋭くコーナーへ切り込んだ瞬間、油断していた俺の体が遠心力によって外側へ引っ張られる。
あれ、ロールする……?
いやしない。
なんていうか、ロールすることにはするが、途中で止まる感じ。
もしバネが硬くなったのなら、最初からロールしにくくなっているはずだ。
だが今回の場合は、普通の勢いでロールするかと思いきゃ途中で止まったような感覚。
わかった。
車高を低くしたんだ。
サスペンションをいじって車高を低くすれば、当然サスペンションの可動範囲は狭くなる。
だから、ロールする量には限界がある。
縁石に乗った衝撃を吸収しきれなかったのも、ストロークが足りなかったから。
俺の口からは、自然と笑みがこぼれた。
ピットレーンを進んでガレージに車を停めると、エルマが迎えてくれた。
「おつかれー。じゃあさっそくだけど、どこのセッティングが変わったでしょうか?」
俺は一瞬の迷いも抱かずに答えた。
「サスペンション。車高を下げた」
「ファイナルアンサー?」
「ファイナルアンサー」
ランスが後ろのテーブルで、何かにメモしている。
たぶん俺の答えを記録しているのだろう。
俺は視線をエルマに戻した。
「ここでは正解かどうか言えないから、明後日の結果発表まで楽しみにしててね」
そうだ、明日は後半組のテストがあるんだ。
「えぇ、明後日までモヤモヤしながら過ごすのか……あれ? テストは数回やるんじゃなかったっけ?」
「さっき先生から連絡があって、1回で省略するんだって」
「そうなんだ」
ってことは今の答えが一発勝負だったということか。
そう思うと急に自信がなくなってくる。
「いい走りだったよ。今日はゆっくり休んでね」
「ありがとう。2人はここに残るの?」
「いじったところを明日までに元通りにしなきゃいけないから」
考えてみれば当然か。後半組の生徒が不利になってしまう。
「大変だね。気をつけてよ」
「大丈夫」
俺はエルマと別れて、寮の部屋へと帰った。
さっきの会話の余韻が脳に響く。
あんな会話をしちゃったら、ますますランスに勘違いされる確率が高くなる――
あ、大事なことを思い出した。
フィーノを紹介するって約束したのに……。
まあ期限は指定されなかったし、テストが終わってからでもいいか。
ベッドに寝っ転がると、疲れが一気に押しよせた。




