夢:Borrowed Speed
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『もしもし、空凪か? お前に頼まれてたあれ、準備できたぜ』
スマホ越しの相手は俺に何か伝えようとしているが、いまいち状況がわからない。
だが、俺の口が意思に反して勝手に喋った。
「サンキュー。今から取りに行く」
そう言って俺は電話を切り、スマホをポケットにしまったところで、やっと体の自由が利くようになった。
さっき電話していた相手は誰だ?
んーっと、そう、思い出した。
峰浦来人。
なんで俺は峰浦の名前を忘れてたんだ?
まあいい。
それより、何かを取りに行く約束だ。
たしか、あいつになんか貸してもらうんじゃなかったっけ?
峰浦が言ってた“あれ”を借りるんだ。
あれってなんだっけ……。
考えてみたが、どうもおかしい。
記憶が全体的にあやふやで、自分が今何をすべきなのかいまいちわからない。
まるで……エンディングまで行かずに諦めてしまったゲームを、3年ぶりに起動したみたいな――――――
いや、今はこんなことを考えている場合じゃない。
あれを取りに行かないと。
俺はアパートを出て、1階の駐車場に向かった。
Zの運転席に乗り込む。
シートに座った瞬間、今までなんとなく感じていた違和感は消えた。
なんだったんだろう、寝不足か?
とりあえず、峰浦が務めているショップに行こう。
俺はエンジンをかけて、ゆっくりとZを発進させた。
だがしばらく道を走って、再び違和感のようなものを感じる。
峰浦がどういう人なのか、鮮明に思い出せない。
さすがにおかしい。
俺は運転しながら記憶をたどり、峰浦という人間のデータを改めて脳内に書き込んだ。
峰浦来人。俺の友人。
兄貴を除けば、俺と最も親しい人のはずだ。
知り合ったきっかけは……たしか、このZの点検を持ち込んだショップで働いているからだ。
峰浦もレース好きだと知って、すぐに打ち解けあって……。
そうこうしているうちに、峰浦のショップに到着した。
『おっ、来たな。いつものとこに停めてくれ』
俺は若干戸惑いつつも、ガレージの中に駐車した。
やっぱり、何かがおかしい。
俺という人間が、この世界に慣れていない……と言ったら正確だろうか?
いつもやっているはずの動作のひとつひとつが、初めて行うように感じる。
ずーっと長い夢を見ていた後の朝のような、起きているのに寝ぼけている――――――
あるいは、俺はずっと、どこかでよく分からない幻想を見ていたのかもしれない。
俺はドアを開けて車を降りると、峰浦が両手で抱えている段ボール箱に気付いた。
『ほらよ。中古品だけど、扱いは丁寧に頼むぜ』
そうそう、俺はこれを借りに来たんだった。
「もちろん。貸してくれてありがとうな」
『気にすんなよ。長い付き合いだ』
俺はその段ボール箱を助手席に乗っけると、「じゃあな」と言ってシートに座った。
『気を付けろよー!』
峰浦は手を振って応えてくれた。
帰り道で、懸命に考える。
この段ボールの中身はなんだ?
俺と峰浦がここ最近、これを借りる話ばかりしていたのは覚えてる。
俺はずっとこれを使いたかったはずだし、峰浦が貸してくれると聞いて喜んだことも覚えてる。
だが、何が入っているのかだけはサッパリと思い出せない。
さっきの電話をもう一度思い出す。
『もしもし、空凪か? お前に頼まれてたあれ、準備できたぜ』
そう、俺が頼んだんだ。
空凪……俺が。
待て、なんで俺は自分の名前にすら疑問を抱いたんだ?
空凪澪。からなぎれい。れい……レイ。
澪。
俺は――――――今までどこにいた?
さっきまで、幻想を見ていたような……そんな気がする。
夢を見ていたのに、現実に引き戻されたような。
ここ、どこだ?
気を抜くと現在地すらわからなくなってきそうだ。
ここは日本の……。
――――――日本か。
そういえばどっかで聞いたことがあるな。
えっ……え?
わけが分からない。
顔への衝撃と共に――――――
唐突に、世界が消えた。




