27.スタート、ストップ
「じゃあテストの順番を決めるので、くじを引きに来てください」
サリーン先生が取り出した袋には紙切れがたくさん入っている。
生徒たちはみんな、くじを引いた。
俺は4。
ウラクが15。
フィーノが1。
「えぇっ、僕が最初!?」
「そんな日もあるさ。頑張れよ」
「う、うん……」
サリーン先生は、「テスト順に並んでください」と指示を出した。
「1番はフィーノ君ね。じゃ、運転席に乗って。他のみんなはそこで座って見てて」
フィーノは不安そうな表情のまま、ルクスの運転席に乗り込んだ。
*
「ふぅ……」
「お疲れさん。どうだった?」
「わかんない。結果は後で出るって」
それはそうか。
先にテストした生徒がすぐに結果を教えてもらるなら、評価基準を聞ける後の生徒が有利になってしまう。
俺もそろそろだ。
緊張していても仕方がない。車について考えていよう。
「レイナーデ君、そろそろ準備して」
「は、はい!」
もう順番か。
俺は靴紐をしっかり結んで、一呼吸した。
俺の目の前でルクスが止まり、中から生徒が降りてくる。
「はい、お疲れ様でした。じゃあレイナーデ君、運転席に乗って」
俺はドアを開けて、ルクスのシートにゆっくりと腰を下ろす。
シートポジションは大丈夫。ステアリングも問題なし。
俺はシートベルトを締めた。
となりの助手席にサリーン先生も乗った。
「それではテストを始めます。まず、エンジンをかけて」
サイドブレーキがかかっていて、ギアはニュートラル。
俺は左足でクラッチペダルをしっかり踏み、エンジンスタートスイッチを押した。
水平対向エンジンに、火が灯る。
シュルルルンッ、ゴロゴロゴロ……。
独特のドロドロしたアイドリング音が車内に響いている。
「OK。じゃあ、発進して」
俺はクラッチを踏んだまま、ギアを1速に入れる。
右足でアクセルを踏んで煽り、サイドブレーキを解除しながらクラッチから足を徐々に離す。
ルクスのタイヤはゆっくりと回りだした。
「次は、80km/hまで全開加速」
おおう、一気に飛ばすのか。
俺はアクセルを限界まで踏み込んだ。
軽快なエンジンの反応が、低重心の車体を加速させる。
回転数がどんどん上がっていく。
メーターの針は5000、6000、7000――
7500。
今だ。
アクセルから右足を一瞬離し、入れ替わるように左足でクラッチを素早く奥まで踏み込む。
同時に、すでにシフトノブを掴んでいる俺の左手は、ギアを2速に叩き込んだ。
スピードメーターの針もどんどん上がっていき、ついに80を指した。
「0km/hまでフルブレーキング」
先生の声が耳に入るころには、俺の右足がブレーキペダルで減速のタイミングを待ち構えていた。
この車にはブレーキの強さがタイヤの限界を超えないように調整してくれるABSという機能がついている。
俺は深いことを考えずに右足でブレーキを蹴りこんだ。
タイヤからキュッ、と微かな音がして、ルクスのスピードは瞬く間に失われていく。
……そろそろだ。
エンジンの回転数を見計らって、俺は左足で再びクラッチを踏んだ。
タイミングを一瞬ずらして、右足のつま先でブレーキを踏んだまま、右足を90度ひねる。
右足のかかとでアクセルをちょんとつつく。
ヒール&トゥ。
ブレーキングとブリッピングを同時に行うテクニックは、こう呼ばれている。
3つのペダルを2本の脚で同時に踏まなければいけないため、かかととつま先を別々に使い分けるしかない。
左手はギアを2速から1速へ。
ブォオオンンン……と悲しげにパワーを失うエンジンの声が車内を満たした。
ルクスはついに、停止する。
「お疲れ様。エンジンを切って終了よ」
俺はギアをニュートラルに戻し、サイドブレーキを引いてエンジンを切った。
終わった……。
運転席のドアを開けて、地面に降りた。
さっきまで車を運転してたせいか、地を支える自分の体が心もとなく感じる。
俺はウラクとフィーノのところまで歩いて行った。
*
「それでは、結果発表です」
教室がざわつく。
サリーン先生は両手をパチンと叩いて言った。
「なんと、全員合格! おめでとう!」
よかった……。
俺はほっと胸を撫で下ろす。
周りのあちこちから歓声が聞こえる。
「それじゃ、仮免許を配っていきます。今後のカードキーはこれになるから、今まで使っていたやつはこっちの袋に入れて」
サリーン先生は席を回って、順番に仮免許を渡していく。
「はい」
俺にも渡された。
レイナーデ・ウィロー 4年生
E級ライセンス(仮運転免許証)
ラ・スルス自動車上級校
仮免許にはしっかりと俺の名前が刻まれている。
その文字列を何度も何度も目でなぞり、喜びを全身で感じた。
「今日の授業はこれで終わり。明日からいよいよ実習授業が始まるから、今日はゆっくり休んでおいてくださいね。以上!」
*
「ごちそうさま。レイ、勝負しようぜ! 今朝のリベンジだ!」
「夜ご飯食べたばっかだし、食休みぐらいさせてくれよ……」
「はぁ、しょうがねえな。フィーノ、先にやってようぜ!」
「いいよ。今回は負けないよ!」
そう言うと、2人は走っていった。
あいつらには胃もたれとかそういう概念がないのか……?
とりあえず俺は寮の部屋へ戻り、読書を始めた。
近くにはウラクの服が散乱している。
風呂までまだ時間はあるし、少しぐらい勝負してやるか。
「おーい、来たぞ」
「おっ、遅かったな。ちょうど今レースが終わったところだから、3人でやろうぜ」
「今朝に続いて2連勝してやる」
「そうはいかねえ」
軽口を叩きながら、俺はシミュレーターのシートに座った。
対戦エントリー……と。
誰が一番速いか見せつけてやる。
*
「あったかい……」
「レイ……俺はお前のことを一生恨んでやる」
「ごめんって。あれは不慮の事故だった」
「ほんとか?」
「シフトミスだ」
「やっぱ許さねえ」
いくら最終コーナーで事故ったからって、風呂まで因縁を持ち込んでくるとは。
結局レースは、事故った俺とウラクを差し置いてフィーノの一人勝ちだった。
「僕だって、あんな勝ち方には納得してないよ」
「だよなぁ? 全部レイのせいだ」
「うるさいな……」
「なあ、風呂あがったらもう1レースやろうぜ」
「いいね。今度は僕の実力で勝つから、覚悟してよ」
「俺はパス。今日はもう寝たい」
夜更かしして明日の実習授業に支障をきたしたら困るし、夕食後に読んだ本の続きを読みたいし。
「こういうのを当て逃げって言うんだろうな」
「気を付けないとね」
はぁ、放っておけばこいつらはいくらでも俺のことをイジれるな。
「俺はもう出るよ」
「もう出るのか? レイ、もうちょっと長風呂していこうぜ」
「僕も出ようかな」
「フィーノも出んのか。じゃ、俺も出る」
「いい湯だったな。俺らは1レースしてから寝るぜ」
「俺は先に寝てるよ。おやすみ」
「おう、おやすみな」
俺は2人と別れて、階段を上っていった。




