22.取り戻すトルク
「どうだ。データは得られたか?」
おっちゃんが車を降りて俺に聞く。
「はい。にしても、すごいエンジンですね……」
「ああ。1か月に1回ぐらい、こういうメチャクチャ速い車の仕事が来るんだ」
「なるほど」
「じゃあさっそく、エンジンを見てみようか」
そう言って、おっちゃんはボンネットを開けた。
エンジンルーム内に収まっている怪物からは、絶えず熱気が発せられている。
「モニターで何か気になることはあったか?」
「強いて言えば、低速域でのトルクが細いですね。馬力はかなり出ていると思います」
「ほう……」
エンジンの性能を表す指標としては、馬力とトルクが使われる。
馬力というのは、エンジンのパワー、つまり最高出力を表したものだ。
当然馬力が上がれば速くなるが、扱いにくくなる。
基準として、軽自動車が60馬力、普通車が150馬力ぐらい。
俺が乗っていたフェアレディZは、純正で336馬力。
この車は……600か700ぐらいあってもおかしくないだろう。
そして、もうひとつの単位がトルクだ。
これは速さではなく、エンジンの強さを表す。
どういうことかというと、馬力はトルク×回転数で求められる。
つまりトルクが太いエンジンは、高回転まで回さなくてもパワーが出やすい。
結果、低速域から扱いやすいエンジンになるということだ。
このヴィバームスは最高速こそ300キロオーバーを叩き出すが、それにしてはトルクが足りないように感じた。
「お前さん、よくそこに気付けたな。俺も運転中にトルク不足を感じていたんだ」
「原因は何ですか?」
「おそらく、吸気系チューンと燃調がうまく合っていないんだろう」
そういうことか。
車のエンジンは空気と燃料を混ぜて着火することで、その爆発力を使って動いている。
だからチューニングには、より多くの空気を取り入れてパワーアップを狙う吸気系チューンがある。
だが、より多くの空気を取り込めば、燃料と空気の混合比(空燃比という)がうまく合わなくなる。
これを修正すればエンジンは本調子を取り戻すだろう。
「燃調……ですか」
「ああ。燃料が濃すぎるか薄すぎるかのどっちかだろう。お前さんはどっちだと思う?」
うーん、どっちだ?
あれを見ればわかるが、見させてもらえるだろうか。
ダメもとで聞いてみることにした。
「……プラグ、見てもいいですか?」
「もちろんだ」
車のエンジンは空気と燃料を混ぜて爆発させるが、そのとき着火の役割を担うのが点火プラグだ。
それを見れば、一目で燃調がわかる。
でもプラグ外すのに結構時間かかるし、そもそもここに工具なんか……と思っていたら、おっちゃんが貸してくれた。
俺は6本のプラグをひとつひとつ丁寧に外して、じっくり眺めた。
間違いない。
プラグはかぶってない。
もし燃料が濃すぎるなら、ガソリンのせいでプラグが湿っているはずだ。
この現象を『プラグがかぶる』というが、このエンジンのプラグは乾いている。
つまり――――――
「燃料が薄すぎるんだと思います」
おっちゃんは黙って頷き、プラグを元に戻してボンネットを閉めた。
「なるほどな。今から燃料噴射量を増やしたセッティングで走るぞ。答え合わせといこうじゃないか」
「はい」
俺とおっちゃんを乗せたヴィバームスのエンジンに、再び火が灯る。
パーキングエリアから出て高架道路の本線に合流すると、唸りを上げて加速していった。
フロントガラスを通して映る景色のスピードに圧倒される暇もなく、俺はモニターを確認する。
グラフが描かれているが、さっきとは状況が違う。
トルクが、太い。
目の前の車線を一般車が遮った。
減速、旋回……その車を躱して、加速。
その加速が一味違う。
さっきの走りとは変わって、低回転からでもアクセルを踏むと同時に前へ蹴り出されるような加速感。
その途方もないパワーを受け止めるタイヤは、4WDのおかげで真っ直ぐに安定してスピードを上げる。
これが本当の、ヴィバームスだったんだ。
排気量2.6リッターのエンジンは、非常にトルクフルで扱いやすい。
その特性は、たとえ純正だろうと改造車だろうと変わることはなかった。
最適な空燃比のおかげで本来の力をとりもどしたヴィバームスの加速は、どこまでいっても止まることはない。
数百メートル先にせまるカーブ。
ぎりぎりまで全開だったアクセルをおっちゃんが離し、ブレーキングとともに目にもとまらぬ速さのシフトダウン。
そして、抜群の安定感を誇るコーナリング。
曲がり終え、視界が開けた先は長い長い直線。
おっちゃんがアクセルを再び全開にする。
俺の体は慣性で急激にシートに押さえつけられた。
太く扱いやすいトルクと高回転まで気持ちよく回るパワーの両方を併せ持つヴィバームスの心臓が、太陽が高く上る高架道路に大きく轟いた。
モニターには回転数が絶え間なく表示されているが、もはや目で追えない。
ほんの一瞬、時間が止まった。
シフトチェンジ。
一番上のギアである5速に入ったヴィバームスの加速は依然として衰えずに、路面を蹴ってスピードを上げ続ける。
より一層大きくなるエンジン音が俺の耳を包み込む。
あんなに長かった直線がもう終わりに近づき、分岐路が見えてきた。
おっちゃんがアクセルを緩める。
「完璧だ。手伝ってくれてありがとうな」
「いえ、こちらこそ」
ウィンカーを出して、ゆっくりと出口のほうへ向かう。
南から太陽の日差しが眩しいから、もう正午ごろだろうか。
気持ちに余裕が出てきたところで、俺の胃が空腹感を訴え始めた。




