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異世界でレースしてみない?  作者: 猫柾
第三章 ラ・スルスでの歩み
19/140

18.最高の手伝い

 

「おはよう」


「相変わらず、兄ちゃん遅いなー」


「いいじゃん休みなんだし」


「あ、休みなの?」


「うん」


「兄ちゃんズルい」


「ズルくない」


 欲望のままに二度寝を繰り返した結果、俺がベッドから抜け出せたのは10時過ぎだった。

 昨日のエンジン音がまだ耳に残っている。


 月曜日に俺の入学式があって、今日は火曜日だ。

 本来なら今日から通うはずだが、ラ・スルス自動車上級校は寮へ引っ越す生徒が多いので、生徒は次の週の月曜日から通うことになっている。

 その間に引っ越しの準備やらなにやらをしなければいけないのだが、そんなに荷物もない俺は1週間暇になる。




「あぁ……暇だ、1週間何しよう……」


「そんなに暇ならジョンのお店でも手伝ってきたら?」


 母さんが暇人のボヤきに答えてくれた。


「ジョンって誰?」


「知らない? ここから歩いて10分ぐらいのところにある、ガレージみたいな店」


 そういえば何度か通りがかったことがある。


「手伝ってくるってどういうこと?」


「ジョンが最近忙しくて人手が足りないって話してたから、行ってくれば?」


 考えが読めた。

 たぶん母さんは俺がいると鬱陶しくてくつろげないのだろう。

 まあ、どうせ暇だし行ってくるか。家でグダグダしてるよりは車でも見てたほうが楽しいし。


「じゃあせっかくだし行ってみる」


「はーい。帰りは遅くならないでね」


「いってきまーす」


 そう言って、最低限の持ち物を持った俺はドアを開けた。




 えーっと、どこだっけ……。

 何回か通りがかることはあっても、そこを目指して歩いたことはないから気を抜くと迷いそうだ。

 あれ、ここを曲がるんだっけ? もうひとつ先の交差点か?

 同じような道をグルグル回った末に、やっとガレージを見つけた。


 “John's Garage”という看板のかかった建物からは、作業音が絶え間なく聞こえてくる。

 腰ぐらいの高さまで上がっている半開きのシャッターのせいで、中はギリギリ見えない。

 とりあえず声をかけてみることにした。


「ごめんくださーい」


 作業音が止まる。


「ん、誰だ? 用があるなら入ってくれ」


 男性の声が聞こえた。

 お言葉に甘えて、シャッターを屈んで潜る。


 中には、リフトに乗せられて整備されているシノレの改造車があった。

 ボンネットが開けられてむき出しになっているエンジンはピッカピカだ。

 驚きと嬉しさとかっこよさのあまり今すぐにでも叫びたいが、今はそれどころではない。目の前に立っている男性に挨拶しなければ。


「こんにちは、ジョンさんですか?」


「おう、そうだ。お前さんは何の用だ?」


「人手が足りないって聞いて、手伝いに来ました」


「ふーむ、なるほどな……」


 ジョンさんは、見た目30代後半といったところだ。

 筋肉質な体に作業着を着て片手にレンチを握っている姿からは、一目でこの店の主だということがわかる。


「手伝ってもらえるなら嬉しいが、本当にやれるのか? ここの仕事はかなりキツイぞ」


「車の知識には自信があるので、大丈夫です」


「そうか。お前さん、年はいくつだ? もう上級校には通っているのか?」


「上級校1年生です」


「ウチの娘と同い年だな……ま、やるだけやってみっか」


「手伝わせてもらえるんですか?」


 母から聞いたときはあまり乗り気ではなかったが、いつのまにかやる気が出ていることに気付いた。

 こんな改造車を扱っている店を手伝えるとなれば、誰だってそうなるか。


「おう。改めて、俺は店長のジョン・クライスだ。よろしくな」


「レイナーデ・ウィローです。よろしくお願いします」


 自己紹介を終え、握手した。

 ジョンさんの手には車への熱い情熱がこもっていた。


「ところで、ジョンさん」


「ん、そう堅苦しくなるなよ。おっちゃんとでも呼んでくれ」


 おっちゃんか。

 なんか慣れない呼び方だが、まあいいや。


「じゃあ、おっちゃん」


「なんだ?」


「この車って、31(サンイチ)型シノレですよね」


「お、よく知ってるな。その通りだ。この車が今回の仕事だ」


「リフトに乗せてるってことは、修理ですか?」


「いや、改造の依頼だ」


 改造か。

 31型シノレはかなり古いスポーツカーだが、低価格かつ程よいパワーが走り屋などの若者を中心に人気を博し、約30万台を売り上げた。

 それ故に事故率が多いせいで保険料が高いというデメリットもあるが、今でもちょくちょく街中で見かける。

 ここにあるシノレも改造車であることは、一目見て明らかだ。


「改造って、どんな改造ですか?」


「NAモデルのターボ化だ。こりゃ大仕事だぜ」


「なるほど……」


 シノレはNAエンジンとターボエンジンの二種類を販売していた。

 NAと比べてターボのほうが当然パワーは上がるが、その分扱いは難しくなる。

 だが、この車の持ち主は何らかの理由でNAのシノレを買った後、パワーが必要になったのだろう。


「ターボを付ければ、パワーは推定280馬力になるはずだ」


「そんなにパワー上がりますか?」


「このエンジンはNAの段階でかなりいじってあって、今のままでも200馬力は出てると思うぞ」


「結構出てますね」


「ああ。ちょうどこのエンジンの具合を見ようと思ってたし、吹かしてみるか?」


 えっ……え? 俺が?

 エンジンを吹かすって?


「え、本当にいいんですか!?」


 転生して(年齢的に)車に乗れなくなってから10年以上が経って、再び車に乗れる日が待ち遠しかった。

 今回はまたとないチャンスだ。

 運転はできなくとも、エンジンを吹かせる。

 それが今の俺にとってどれだけ嬉しいかは言葉で表現しきれない。


「もちろんいいとも。キーは差してあるから、エンジンをかけてくれ」


「ありがとうございます!」


 俺はリフトで上げられているシノレの運転席にどうにか乗り込んで、座ってドアを閉めた。

 こうして乗ってみると、まだ子供の俺は自分の体がいかに小さいかを実感する。

 それでもどうにかアクセルに足が届くので、なんとかなった。

 運転席の窓から顔を出して伝える。


「エンジン、掛けますよ!」


「おう!」


 下からは威勢のいい返事が返ってきた。


 キーの位置は、わざわざ探さずともステアリングの付け根だとすぐにわかった。

 意を決して捻る。


 キュルンっとスターターの音がした。


 ワンテンポ遅れて、ドゥン! とエンジンがかかる。


 2リッター4気筒のシノレのNAエンジンは、元気そうにドッドッドッとアイドリングしていた。


「よくやった! じゃあアクセルを吹かしてくれ!」


 下からおっちゃんの指示が送られてきた。

 言われたとおりに、アクセルに足を伸ばす。


 ギュッとペダルを踏み込むと、エンジンは反応よく応えてくれた。


 グウォオオンンーーという腹の底に響くような音が聞こえるとともに、目の前にあるメーターの針が跳ね上がる。


 これだ、この感覚……。

 この世界に来てからすっかり忘れていたこの喜び。

 それをもう一度味わえただけでも、ここに来た甲斐があった。


 嬉しくなって、ペダルを何度も踏み込む。


 グォーン、グウォオオンン――


 ああ、もう、最高だ。


「オーケーだ。エンジンを切って降りてこい」


 喜びで我を忘れている俺を、おっちゃんの声が現実に引き戻した。

 俺はキーを逆に捻ってエンジンの火を消した。

 ドアを開けて、車を降り――――――


 !?


 地面がない。

 いや、数十センチ下にあった。

 この車がリフトで上げられていることをすっかり忘れていただけだ。


 だが、気づいたときには手遅れだった。


 想像よりずっと下にあった地面は俺を受け止めきれず、靴がつるっと滑った。




 姿勢を崩した俺を待ち受けていたのは、半開きのシャッターだった。




「おい、大丈夫か!?」






 おっちゃんの声よりも先に、激痛が届く。










 視界が黒く閉じた。




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