129.相棒だから
「あ、前が空いたよ。踏んでいこう!」
「よし……!」
レイがアクセルを全開にし、シフトアップ――変速ショックが大きい。ガックンッ、と挙動が乱れる。そしてまた加速する。
「ああ、もう!ドグミッションってこんなシビアなのかよ」
きっと回転数が合ってないんだろう。
普段のレイの街乗りに限って言えば、クラッチの繋ぎ方は限りなくスムーズだった。それでいてレースでは瞬時にシフトチェンジをこなしているのを、テレメトリーでよく見てる。
でも、今は話が違う。
Zのギアボックスは、特注のドグミッションに換装された。ギア比は変わってないけど、純正品とドグミッションじゃ扱い方が異なる。
ほとんどの市販車のマニュアルトランスミッションには、シンクロメッシュ機構が搭載されている。これはエンジンとギアの回転数をシンクロさせ、変速を滑らかにしてくれるものだ。ドグミッションには、それがない。露出してる歯車とエンジンの回転数を自力で合わせて、ギアを叩き込む必要がある。
耐久性や信頼性を考えると、ドグミッションのほうがサーキットに向いている。それに回転数を合わせさえすれば、クラッチすら踏まずにシフトチェンジすることができるはず。
ただ、今のレイに、それができるのか。
「いい?焦らないで。Zとゆっくり、会話して」
「会話……?何それ?」
「記憶を失う前のレイがよく言ってたことだよ。Zがどうして欲しいのか、気持ちを感じ取る、って。それができたとき、あなたは誰よりも速く走れた」
私は、Zに乗るレイの走りを知ってる。でもレイが乗るZの走りは、きっと知らない。
車の走りは、そのステアリングをずっと握ってきたドライバーだけにしかわからないはずだ。
「……うん」
レイは小さく頷き、左手でまたシフトレバーを握った。アクセルを緩めているのか、Zはだんだんと失速している。
ガコン、と一瞬の衝撃を感じた時には、既にアクセルは全開に戻っていた。
シフトダウンから再び加速する。スピードと一緒にまたエンジンの回転が上がり、レブリミットに近付く。
今度はさらに短い衝撃でシフトアップした。
「ん……?」
首を傾げつつも、レイは加速をやめない。またレブリミットに近付く。
シフトアップ。私が気付かないほど速くレイはギアを入れた。ドグミッションが上手く噛んでいる。
「うん……!」
感覚を掴んだようだ。
「一旦、降りていいかな。ワインディングに戻りたい」
「いいけど、スピード違反はダメだよ?」
「気を付けるよ」
ウィンカーを出して、ハイウェイを降りる。
右は草原、左は雑木林に挟まれた田舎道に入っていく。コン、コン、とシフトダウンし、ラウンドアバウトを通り抜け、ワインディングロードへ。
「パワーは……すごいんだろうな。アクセル踏んだらすぐ吹っ飛んでくのにさ、でも全然驚かされないんだ。なんかこう、カッチリしてて……安心する。どう言ったらいいのか分かんないけど」
レイは車線からはみ出すことなく、理想的なラインを描きながらコーナーを次々に抜ける。
綺麗な荷重移動だ。まるで散歩みたいに、一歩一歩着実に運転している。
「楽しい?」
「ああ。……最高だ」
よかった。Zに乗ってる時のレイは、前と全く変わっていない。
「私、レイのZに乗るの……久しぶりだなぁ」
「そうなの?」
最後に乗ったのはいつだっけ。普段の買い物やドライブにはフェンリルのF-650を使ってるし、パーティーに行った時もそうだった。軽量化のために助手席を外したのはだいぶ前だ。
「本当は、私もここにいちゃいけないんだと思う。レイとZのつながりを邪魔しちゃうし……それに、重りを積むのも嫌でしょ?ふふっ」
「フューエルエフェクトに比べれば誤差じゃないかな」
「もう……!」
森を抜け、幹線道路に合流する。レイはまた加速した。
「記憶が戻ってセッティングが終わったら、また助手席は外す。だからそれまでは……」
5速、6速。スピードが上がっていく。
加速が止まらないのに、どうしてこんなに安心できるんだろう。
「それまでは、ここにいさせて」
*
「やっぱり、下が太い……」
誰もいないガレージに、私の独り言が反響する。
専属エンジニアとしての仕事は、ドライバーが走り終わってからが本番だ。
モニターに描かれるデータと夕方のレイの走りを照らし合わせる。
アウト=ファーニュの時とは明らかに違う。同じタービンのはずなのに、ラグが全然ない。こんなこと、どうやって――――――
「……あっ!」
見たことのないデータが隠されていた。拡張プログラム?
「なにこれ……?」
サブコンみたいなものが、いつの間に。
すごい。燃料マップ、点火マップ、ブースト、目標空燃比、フェイルセーフまで――全部、こんなに細かく設定できるなんて。今までの制御とは比べ物にならない。
フェアレディZとレイの会話を盗聴しているみたいで、罪悪感すら覚えるぐらいだ。それでもじっくり確認してみないと。
うん、確かにこれならラグを消すことができるはず。悔しいけど、この制御のおかげでZの進化はより完全なものに近付いてる。
ただターボに換えて繋げただけじゃない。ここまでして初めて、Zは進化する――――――
でもそれには、レイがいなきゃ始まらない。




